北岡道場通信

5月28日・・・(俺のガキの頃からの親友:隆勇の)親父が逝った

 

3年前・・・お母ちゃんが先に逝ってからっちゅうもの・・・

もう一人の『お母ちゃん』-熱血!北岡道場 仙台の子供柔道教室 (kitaoka-dojo.com)

 

親父はいつも・・・

「「オバン、早よ迎えに来てくれよ」って、仏壇に向かって言うんやけど・・オバン、「まだ来たらアカン」っちゅうんやしや」って、話すたびに言うとった

 

コロナの真っ只中やったから・・・なかなか、大阪に帰ることができへんかったけど・・・

お母ちゃんが逝ってからっちゅうもの・・・俺は、ちょくちょく親父に電話をしとった

(もしかしたら・・・ホンマの親父やお母ちゃんに連絡するよりも、親父に連絡する方が多かったかも知れへん?)

 

 

昨年9月・・・

コロナも、ちょっとずつ下火になってきて・・・やっと(3年9ヶ月振りに)大阪に帰ることができて・・・

お母ちゃんに、不義理を通したまま(葬儀にも参列できんと)やった俺は・・・真っ先に、お母ちゃんに手を合わしにいかせてもらった

 

その時、親父・・・メッチャ泣いとった

「耕太郎・・・いつも気に掛けてくれて、ありがとうな  すまんのぉ  オバンも喜んでら  ありがとうな  ホンマに、ありがとうな」って、俺の手を握りながら、メチャメチャ涙を流してた

 

俺自身も・・・

お母ちゃんには・・・もう、もちろん会われへんし・・・

もしかしたら・・・

親父にも、(コロナもあったから)もう会われへんかも?って、ずっと思ってたから・・・親父の顔とお母ちゃんの遺影を見て、涙が止まれへんかったのを覚えてる

 

 

10年程前は・・・

大阪に帰省して、親父とお母ちゃんに会いに行くたびに・・・

帰り際に、「耕太郎・・・気に掛けてくれて、ありがとうな」って・・・そない言うてくれる親父に対して・・・

「親父っさん、もう言うてる間に死ぬかも知れへんし・・・帰ってきた時くらい会っとかんと、俺、後悔して寝付き悪なるやん?  せやから・・・死ぬ前に、顔見に来ただけや!」

 

そないな、憎まれ口を叩くくせに・・・

「ありがとう! 親父! お母ちゃん! いつまでも、ここで元気で暮らしててな」っていう・・・そんな「願い」と「感謝の念」を心に抱きながら・・・

いつも、玄関のドアを閉めた後・・・親父とお母ちゃんに気付かれへんように、深々と頭を下げさせてもらってた

 

 

 

今年の2月にも・・・大阪に帰省することができて、親父に会いに行ったんやけど・・・

その時・・・

「GWに、また来るから・・・親父っさん、元気でおってくれよ」

そない言うた俺に・・・

「オバン、まだ迎えに来てくれへんし・・・「もうちょっと、そっち(現世)で、若い頃の悪さを反省して苦しめ!」って、言うてるんやろうから・・・もうちょっと、頑張るよ」って・・・

そない返してくれとった

 

それが・・・

親父と話した、最後の会話になった

 

 

今年のGW・・・時間の都合がつかへんくて、大阪に帰ることができへんかった

 

「親父に、「GW、帰られへんねん」って、連絡せなアカンなぁ」って、思っててんけど・・・

いろんな事案が舞い込んできたり・・・忙しい日々に追いやられてしもうて・・・連絡ができてへんまま、時間は過ぎていった

 

そんな矢先・・・隆勇からLINEが届いた

 

・・・・・涙が止まれへんかった

 

 

 

俺には・・・「大切な人」っていう位置づけの人が多くおる

 

人間・・・人と出会ったら・・・

少なからず、影響を受けることはあるし・・・学ばされることも多々ある

 

ある意味では・・・

「こいつ、ホンマにアホやな!?」って思わされるような奴でも・・・

「こんなアホには、絶対に成り下がらんとこう!」って、思うことができるんやから・・・俺は、人と人との「出会い」っちゅうもんに、マイナスはないと考えてる

 

 

せやけど、そんな中でも・・・

自分の人生観に、大きな影響を与えてくれた人が多くおる

 

親父っさんもそうやし・・・お母ちゃんもそう・・・

圭吾兄ぃや・・・

『一期一会』-熱血!北岡道場 仙台の子供柔道教室 (kitaoka-dojo.com)

筋野トレーナー・・・

『師匠』が残してくれたもの・・・-熱血!北岡道場 仙台の子供柔道教室 (kitaoka-dojo.com)

今井次長・・・

できへんかった「恩返し」-熱血!北岡道場 仙台の子供柔道教室 (kitaoka-dojo.com)

ふくをさん(福さん)・・・

『脚下照顧』-熱血!北岡道場 仙台の子供柔道教室 (kitaoka-dojo.com)

愛子整形外科の安先生・・・

『必然』19(プライドを捨ててこそ)-熱血!北岡道場 仙台の子供柔道教室 (kitaoka-dojo.com)

 

 

もちろん・・・

親父っさんとお母ちゃんからしたら・・・俺は、隆勇の友達の一人に過ぎへんやろうし・・・

筋野トレーナーからしても・・・俺は、大勢おる弟子の一人に過ぎへん

今井次長からしても・・・俺は、多くの部下の中の一人であって・・・

安先生からしても・・・大勢おる職員の中の一人に過ぎへん

圭吾兄ぃからしても・・・ふくをさんからしても・・・きっと俺は、大勢の中の一人にしか過ぎへんのやろうけど・・・

 

せやけど・・・

俺の中では・・・ものごっつい「大切な人」やねん

 

 

例えば・・・

人と出会っても・・・

その人の表面しか見ぃひんかったら・・・学ぶことなんか何一つあれへんし・・・

聞く耳を持てへんかったら・・・素晴らしい教えも、ただの戯言に過ぎへんくなってしまう

己の浅ましさを優先して、物事からケツを捲ってしもうたら・・・その位置から前に進めんと成長すらできよらへん

 

その人の言葉を、額面上でしか聞こうとせえへんかったり・・・

その人の行動を、表面上でしか見ようとせえへんかったり・・・

他人からの入れ知恵で、最初っから色眼鏡で覗き込んでみたり・・・

己の非を認めることなく、すべてを他人のせいにしてみたり・・・

己のプライドや浅ましさを捨て切れんと、己自身を正当化してみたり・・・

 

そんな「くだらん」沼の中から、引き上げてくれるのが・・・人との「出会い」なんやと、俺は思ってる

 

『一期一会』

俺は、今までの人生で・・・いろんな人たちから、それらを身を以て学ばせていただいたように感じてる

 

※『一期一会』

一生に一度だけの機会

生涯に一度限りであること

生涯に一回しかないと考えて、そのことに専念する意

もと茶道の心得を表した語で、どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきことをいう

 

 

俺自身、歳を重ねていくたびに・・・

「大切な人」が・・・一人、また一人って、この世を去っていく

 

寂しいけど・・・

これは・・・真理なんやから仕方がない

 

最近・・・

いろんな物事に直面するたびに・・・「大切な人」たちのことを思い出す

 

形はどうあれ・・・

ふくをさんが・・・俺に、よう言うてくれとった

「思い出してあげることが、一番の供養なんだど」って

 

思い出すのは・・・

きっと・・・俺の周りに、俺自身を戒めてくれる人がおらんからなんやろうな?

思い出しながら・・・

俺は・・・己自身で、己のことを戒めてる

 

 

 

人生は誰にとっても、ほんのわずかな時間やと・・・俺は思う

 

人間五十年 下天の内を比ぶれば 夢幻の如くなり

一度生を享け 滅せぬもののあるべきか

 

死のうは一定

しのび草には何をしよぞ

一定かたりをこすのよ

 

露と落ち 露と消えにし 我が身かな

難波のことは夢のまた夢

 

 

親父が、よう言うとった

「俺の人生・・・ええ人生やった!  ホンマに、ええ人生やった!」」って

 

 

ありがとう! 親父!

いつも温かく、俺を迎え入れてくれて・・・

いろんなことを、俺に教えてくれて・・・

大切な場所(悪さしてた頃・・・隆勇の家がたまり場で、昼間やろうが、夜中やろうが、お構いなしに騒ぎまくってた)を、俺らに提供してくれて・・・

~前のブログ(もう一人の『お母ちゃん』)から引用~

親父っさんは、結構、友達を大事にする人やったらしいんやけど(隆勇も、そうやからな)・・・

親父っさんがお母ちゃんと結婚する時?に・・・「絶対に、俺の友達だけは絶対に大事にしてくれ!」って、お母ちゃんは親父っさんから頼まれたらしいねん

親父が50年以上前に、お母ちゃんに送った、その内容が書かれた手紙(お母ちゃんの遺品の中から出てきたねんて  お母ちゃん、大事に大事に持っとったんやろなぁ)を、俺と明美さんに読ませてくれて・・・

 

ほんで・・・

俺みたいなアホを・・・いつも認めてくれて・・・

 

 

心よりご冥福をお祈りいたします

合掌

 

 

We Can Do It!

Yey!!

 

6月11日(日)・・・宮城県立武道館に於いて、中総体の仙台市予選が開催された

 

今回は・・・

YUTAKA(中3)のことを記させてもらおうと思う

『心』の進化を遂げる瞬間-熱血!北岡道場 仙台の子供柔道教室 (kitaoka-dojo.com)

 

YUTAKAとは・・・今から9年前、年長さんの時に出会った

当初は・・・柔道が嫌やったんやろなぁ?

しょっちゅう、マサキちゃん(お母さん)に「柔道に行きたくない」って訴えとったみたい

 

せやけど、俺は・・・

「どんなに嫌がっても・・・とにかく、道場に連れてきてくれたらええから」って、マサキちゃんに伝えた

 

マサキちゃんも、マサキちゃんで・・・YUTAKAから「行きたくない」っていう訴えがあっても、休ませることなく毎回の練習に、ちゃんと連れてきてくれた

 

赤帯巻いて・・・泣きべそかいて・・・人前では泣いてしもうて、しゃべることもできへんかった・・・YUTAKA

 

そんなYUTAKAも・・・もう中学3年生

いつからなんか?・・・下の子達の面倒は、率先して見てくれるし・・・困ってる者がおったら、手を貸してあげるし・・・礼儀正しく、真面目で一生懸命で・・・

誰が見ても、文句なし素晴らしい少年に成長してくれた

 

いつも、俺・・・

冗談半分で、マサキちゃんに伝える

「YUTAKA・・・すごい子やなぁ  マサキちゃんの子やと思われへんな!?」って(笑)

 

 

そんな、YUTAKAは・・・

今回・・・最後の中総体に挑んだ

 

 

【73㎏級】

1回戦は・・・シード

2回戦からの出場やった

 

2回戦、試合開始早々から・・・

ちっちゃい時から指導させてもらった「払い腰」で攻め続ける・・・YUTAKA

相手は・・・その「払い腰」に合わせて抱き着いて、後ろへ返すことを狙ってる

その攻防が・・・何べんか続いた

 

危うく返されそうになる場面もあったけど・・・それでも、YUTAKAは攻め続ける

 

相手は・・・自分から攻めることは限りなく少なく、返し技を狙って待つ展開やったから・・・「指導」

さらに・・・「指導」

 

そんな、試合展開で迎えた・・・試合終盤

残り試合時間14秒で・・・「待て」がかかった

 

このまま、14秒間、上手く凌いだ(逃げ切った)ら・・・「指導2」で、YUTAKAの勝ちや

 

その「待て」の僅かな間に・・・俺は迷った

 

「YUTAKA・・・もう「払い腰」は撃つな! 上手く凌げ(逃げろ)!」

 

そない言うべきか?

それとも・・・最後まで攻めさせるべきか?

 

 

結局・・・

俺はその言葉を伝えることをせんかった

 

奴のことやから・・・自ら守りに入ることは、きっとせえへん

最後の最後まで、攻めの姿勢で「払い腰」を撃ち続けるはずや

 

 

試合時間、残り1秒

 

YUTAKAが、最後に撃った「払い腰」・・・ドンピシャで、返し技を合わされた

・・・・・・・

一本負け・・・やった

 

彼の夏・・・

ほんで・・・俺の息子として、いっしょに戦う最後の大会が終わってしもうた

 

 

 

「上手く凌げ!」

そないアドバイスしてでも、勝たせてやるべきやったんか?・・・勝たせて、県大会に出場させてやるべきやったんか?

 

せやけど・・・

もし、仮に・・・上手く凌いでる間に、相手の技に上手く嵌ってしまって負けたとしたら???

「逃げたから負けた」

「攻めへんかったから負けた」

彼の心に、そないな想いを背負わせたままになってしまうんやないやろうか?

 

何もかもが、後の祭やけど・・・

そんな葛藤が、俺の心の中を堂々巡りしとった

 

 

私事やけど・・・

俺自身も、現役の頃・・・思いっきり攻め続けた(勝っても負けても、自分自身で納得した)試合に関しては、あんまり記憶には残ってへんねん

 

せやけど・・・

逃げ腰で負けた試合・・・守って手に入れた勝ち星etc・・・

そんな試合っちゅうのは・・・未だに、心のどっかでくすぶってる

 

きっと・・・自分自身に後悔してるからなんやろな?

 

もちろん・・・

その後悔が、大人になった今現在・・・「二度と同じ過ちをを繰り返す訳にはいかん」っていう後ろ盾になって、人生を歩めてるのも事実やけど・・・

 

せやけど・・・

彼は、まだ中学生

常々、「柔道を通じて大切なことを学んでほしい!」を、コンセプトに掲げてる俺の方針からしたら・・・最後の最後まで、攻め続ける姿勢を学んでもらいたい

そない考えるが故・・・

最後まで、攻めの姿勢を貫いてもらうことの方が良かったって・・・俺自身、そないな結論に至ってる

 

 

いずれにしても・・・「正解」なんかあれへん

 

ただ・・・

彼が、ちっちゃい時から、ずっと伝え続けてきた言葉

 

「思いっきり攻めて、返されて負けたんやったら、それは「負け」じゃない!」

「次につながる戦い方をせえ!」

 

思いっきり攻める・・・

次(将来)につながる・・・

 

そう・・・

俺は・・・「柔道を通じて大切なことを学んでほしい」

そない願って・・・今日まで、ずっと彼と接してきた

 

せやから・・・

今回の判断が・・・YUTAKAのこの先の将来のどっかで、いずれ点と点が線で結ばれる時が来てくれることを信じようと思う

 

 

彼自身・・・

年長さんから始めた・・・柔道

年長さんから通い始めた・・・北岡道場

年長さんから付き合い始めた・・・北岡の親父

 

YUTAKA!

何でもかまへん

1%でもかまへん

柔道を通じて、「大切な何か」を得ることはできましたか?

 

 

9年間・・・ずっと同じ言葉を云うてきたけど・・・

今回も同じ言葉を云うわ

 

「よう頑張ったな!」

 

 

大好きやぞ! YUTAKA!

その想いは・・・9年前から、何も変わってへんで

 

We Can Do It!

Yey!!

前回の記事に続いて・・・・・

『絆』・・・大切な息子&娘-熱血!北岡道場 仙台の子供柔道教室 (kitaoka-dojo.com)

 

まず・・・一旦、日にちを遡って・・・

5月27日(土)・・・RITO(新潟食糧農業大学3年)が、翌日に開催される「国体 宮城県予選」に出場するために帰仙したついでに、道場に汗を流しに来てくれた

 

彼も・・・帰仙するたびに、挨拶に来てくれるし、道場に遊びにも来てくれる

 

RITOが子供の頃・・・

先般記した、煌と同じように・・・

熱くなって、いっしょに笑って、いっしょに泣いて、時の叱って、ゲンコツ落として(もちろん、今はコンプライアンス的にNGやけど)・・・

たくさんの感動をもらって、思いっきり抱きしめて・・・道場を卒業していく時は、ものごっつい寂しくて・・・

 

そんな彼も・・・もう大学3年生

帰ってくるたびに、成長してる姿を見せてもらえるのが、何よりも嬉しく感じる

 

ありがとう! RITO!

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「中総体 名取市予選」が終わった後・・・

SO兄ぃが出場する、「国体 宮城県予選」の応援のために・・・急いで、県立武道館に向かった

 

向かってる途中・・・

分かれて会場に行ってくれてた、悠葉先生から連絡が来た

「SO・・・準決勝で負けた」って

 

結局・・・試合は終わってしもうたんやけど・・・

SO兄ぃを抱きしめるために・・・そのまま、県立武道館に向かった

 

 

会場に着いて・・・

SO兄ぃに会って・・・「お疲れさん」って言いながら、彼を抱きしめた

 

 

そんなことをしてたら・・・

向こうから・・・EIMI(26歳:東北高校卒業)が、ニコニコしながら近づいてきた

ほんで・・・

その後ろから・・・SATOMI(24歳:青森山田高校卒業)とTERUMI(仙台大学3年)が・・・

「北岡先生っ~♥」って、ニコニコしながら近づいてきた

 

(もちろん、3人共と握手とハグ

あの年齢の娘たちが・・・嫌がることもなく(ホンマは、爺さんとハグすんの嫌なんかな?)、ハグしてくれることにさえも嬉しさを感じる・・・52歳のお爺ちゃん(笑))

 

高橋三姉妹(実際には、四姉妹なんやけど・・・四女は柔道をせえへんかったから、俺の娘は三姉妹だけ)やった

 

 

彼女たちが、子供の頃・・・彼女たちとも、いろんな場所で、真剣な眼ン玉でいっしょに戦った

いっしょに戦いもしたし・・・普段の生活の中(道場)でも、真剣な眼ン玉で、泣いて、笑って、怒って・・・彼女たちとも、しっかりとした『絆』を築き上げることができたように、俺は感じてる

 

EIMIは・・・中学卒業まで、北岡道場で楽しみながら柔道を続けて・・・その後、悠葉先生の後を追って東北高校に進学して、佐藤明代監督の下、人生勉強をしてきた娘

SATOMIは・・・小学校卒業と同時に、青森山田中学~青森山田高校っていう、ハイレベルな中で柔道をしてきた娘

TERUMIは・・・小学校卒業と同時に、柔道を突き詰める選択をして・・・親元を離れて、埼玉県の強豪「東松山中学」に進学した

その後は・・・EIMIの後を追って、東北高校へ進学し・・・

大学生(仙台大学3年)である現在は・・・昨年の63㎏級の東北学生チャンピオンであり・・・講道館杯にも出場・・・また、その階級の選手にして「皇后杯」にまで出場するような選手になってる

 

 

そんな彼女たちは・・・「北岡道場」を卒業した後・・・

言葉では言い表されへんくらいの悲しい出来事に見舞われた

 

その時も・・・

俺は・・・いち早く、その場に駆けつけて・・・3人を、いっしょに外に連れ出して・・・

「我慢せんでもええから、思いっきり泣け」って言いながら、3人をいっぺんに抱きしめて、声を上げていっしょに泣いた

 

 

そんな・・・楽しいことや辛いこと、しんどいことやオモロイこと・・・

それらを・・・「これでもかっ!」って、共有してきたからこそ・・・

彼女たちとも・・・(RITOや他の卒業生と同様に)目には見えへん・・・ほんで、切っても切られへん・・・そんな『絆』でつながってられるんではないんかな?って、俺は思ってる

 

 

午前中・・・

煌の試合(中総体)を観戦して、感じた「想い」を抱いたまま・・・武道館で彼女たちに会って・・・俺自身、切実に感じたことは・・・

「やっぱり、俺らは・・・この3年間(コロナ騒動)で、「大切なもん」を忘れてしまってるんやないか?」っていうことに他ならへんかった

 

 

RITOにしても・・・SO兄ぃにしても・・・

承之介にしても・・・沙季にしても・・・

正也にしても・・・唯斗にしても・・・

晃にしても・・・恭太にしても・・・

啓太にしても・・・YAMATOにしても・・・

EIMIにしても・・・樹梨にしても・・・

(ゴメン、全員の名前を書かれへんくて・・・)

 

道場に帰ってきてくれた時・・・何故に、彼らをあんなに「誇らしく」感じることができるんか?

 

それは・・・

「強い(強かった)から・・・」なんていう・・・安っぽいもんでは、決してあれへん

 

試合「も」・・・

練習「も」・・・

遊び「も」・・・

真剣に・・・俺や仲間と向き合って・・・

一生懸命に・・・「思いやり」を持って・・・

思いっきり・・・いっしょに泣いて、笑って、怒って、ド突いてきたからに他なれへん

 

 

俺自身・・・

卒業生たちを・・・あんなに「誇らしく」思える

周りからも・・・

卒業生たちを・・・あんなに「誇らしく」、ほんで「格好よく」感じてもらえる

 

きっと・・・

彼ら(卒業生)の親御さんたちも・・・彼らを見て、(我が子ではあるけど)「誇らしく」感じてることと思う

 

それは・・・

彼らが、子供の頃・・・「この場所」で、何事に対しても、精一杯駆け抜けてきたからとちゃうんかな?

もちろん・・・

彼ら自身にも、その自負があるから・・・胸を張って「この場所」に帰ってこれるんやろうし・・・

 

いずれにしても・・・

あんなに、真っ直ぐでキラキラした目をした青年たち・・・なかなか、おれへんで

 

 

それらの「方程式」を、知ってるが故・・・

今、道場に在籍してる子供達も・・・誰からも、そない思ってもらえるような・・・

ほんで・・・

親御さんたち自身も・・・我が子を見て、そない思えるような・・・

そんな素晴らしい青年に育ってもらえたらなぁって・・・俺自身、そない願って止まん

 

We Can Do It!

Yey!!

 

 

 

コロナ感染症が5類に位置付けされて、試合観戦の制限などがなくなったからなんか?・・・毎週末、柔道関係で出掛けてる気がする

 

5月21日(日)は・・・柔道の大会のハシゴやった

 

AM10:30~

名取市中総体柔道競技(宮城県中総体 名取市予選)に出場する、「桐澤 煌」の応援で・・・名取一中へ

到着したら・・・もう既に、道場生10数名が応援に駆けつけてくれとった

 

昨年は・・・コロナの関係で、選手の保護者のみしか入場することができへんかったから・・・

煌は・・・まったくのアウェイ(煌以外は、すべて名取一中の生徒さんたち)の中で戦わなアカンかったみたいやねんけど・・・

今年は・・・道場生10数名、また道場生の父兄およびコーチ(REN兄ぃ)・・・ほんで、ガラの悪い関西弁のオッサン1名・・・20名以上の応援団がおる、ホーム感満載の中での戦いになった

 

 

結果は・・・

試合時間内に、抑え込まれてしもうて・・・「もうアカンかな?」って、皆が諦めかけた中・・・19秒で脱出

「技あり」を奪われた

 

その時点で・・・試合時間は、残り20秒足らず

玉砕覚悟で前に出て、試合時間終了数秒前・・・一瞬の隙を見て、「技あり」を取り返した

 

お互いイーブンで・・・ゴールデンスコアに突入

 

ここからが、すごかった

 

結局・・・どっちも譲ることなく、ゴールデンスコア10分以上が経過

お互いフラフラの中・・・両選手とも、気力で戦ってたと思う

 

そんな中・・・相手の選手の内股が上手く嵌って、「技あり」を奪われて負けてしもうた

 

相手選手の中学校の仲間やご父兄の方々は・・・勝ったことで、大盛り上がり

せやけど・・・

俺らも、煌の大健闘・・・ほんで、相手選手への敬意をはらって、大きな拍手を送らせてもらった

 

66㎏級に出場した煌は・・・参加人数が少なくて(階級にもよるけど)、その試合が県大会出場枠決定戦やってんけど・・・結局、県大会への切符を手にすることは出来へんかった

 

 

せやけど、今回・・・

俺を含めて、その場にいた道場生、父兄達は皆・・・『目には見えへん「力」』っちゅうもんを、あからさまに見せつけられた

 

 

煌の最大の武器は・・・野村忠宏選手のような、相手の股の中に飛び込んで投げる、低い「背負い投げ」

躊躇なく飛び込んだ時の破壊力たるや・・・それはそれは、現役の頃「背負い投げ」の選手やった俺自身、惚れ惚れするくらいのもんを持ってる

そう・・・「躊躇なく」飛び込んだ時・・・にはな

 

ただ・・・あの年齢の少年が、大切な試合で躊躇なく飛び込むことっちゅうことは、非常に難しい

小中学生には、少年規定っちゅうもんがあって・・・「背負い投げ」の両膝には、非常に厳しいルールがあるからな

 

せやから・・・

勝ちたいと思えば思うほど・・・両膝指導を取られたくないが故、思いっきり「背負い投げ」に飛び込みたい気持ちとは裏腹に・・・己自身で、飛び込む距離を無意識に制御してしまいよる

 

そないなったら・・・

中途半端な「背負い投げ」になってしまうから、当然破壊力は半減してしまう

逆に、俺に背中を押されて、躊躇なく飛び込んだ時には・・・

破壊力は抜群で、相手をきれいに投げることはできるけど、確実に両膝指導を取られてしまう

 

SO兄ぃ(現:仙台大学1年)も・・・小中学生の頃には、そのルールに泣かされ続けてきたけど・・・

煌も・・・SO兄ぃと同じような「背負い投げ」を撃つ以上(まぁ、北岡道場の「背負い投げ」の選手(承之介、紳太郎(共に柴田高校3年)など)は、皆同じ背負い投げを撃つねんけど)・・・きれいに「一本」で投げたのにもかかわらず、「一本取り消し~両膝指導」に泣かされ続けてきた

 

せやから・・・

今回、俺は・・・煌に、あえて「背負い投げ」を封印して戦うことを指示した

 

奴自身・・・「どうしても、今の中3連中(YAMATO、ヒロト、子地蔵、一颯、優、リオン、楓果)といっしょに、県大会の舞台に立ちたい」っていう願望が強かったみたいやから・・・

 

普段やったら・・・

「「背負い投げ」で、3回投げて・・・3回指導もらって、堂々と反則負けしてこい!  「お前の「背負い投げ」が、どれだけのもんか?」を見せつけたれ!  お前が結果を出すのは、「今」じゃない!  高校に行ったら・・・自ずと、その「背負い投げ」で結果はついてくるんやから!」っていうて、送り出すねんけど・・・

(余談やけど・・・SO兄ぃにも、承之介や紳太郎が、小中学生時代にも・・・同じことを言うて、送り出してきたよ)

今回は・・・あえて「背負い投げ」を封印して・・・「袖釣り込み腰」と「足技」だけで戦うよう、畳の上に送り出した

 

 

そんな窮屈な中・・・煌は、よう戦ってきたと思う

もちろん・・・

普段から・・・人一倍寡黙に、ほんで一生懸命取り組む子やから・・・素晴らしいポテンシャルは持ってるのは事実やねんやけど・・・

 

せやけど、今回・・・

煌自身の持つポテンシャル以上の戦いをしてきたことは・・・その場にいた、皆が感じたことやったに違いないと思う

 

俺自身も切実に感じたことやけど・・・

煌の持つポテンシャル以上のものを引き出したのは・・・間違いなく「仲間」「ファミリー」の声援やったっていうても、過言やなかったと思う

 

俺自身も・・・かなり熱くなったし・・・「悔しさ」と「感動」に、涙を堪えることができへんくて・・・久しぶりに、泣かせてもらったよ

 

 

俺らは、3年間のコロナ騒動で・・・「大切なもん」を、失ってたんかも知れへん

もちろん・・・

俺らだけではなく・・・世の中の全員が、そうやったんやろうけど・・・

 

ほんなら・・・

俺ら(北岡ファミリー)にとっての「大切なもん」って・・・一体なんや???

 

それは・・・

試合に向けて死に物狂いで練習することや・・・大切な試合に勝利することでは決してなく・・・

きっと・・・

「仲間」を思いやる、友達とかっていう域を超越した「想い」

ほんで・・・

その「仲間」の「想い」に応える、己のポテンシャル以上の「火事場のクソ力」

 

ひと言で言うてしもうたら・・・呆気なく終わってしまう言葉やけど・・・『絆』

目には見えへん『絆』っちゅうもんが・・・それらを極限まで、いや、極限以上に引き出すんやないんやろか?

 

その場にいた者たちは・・・

間違いなく、その素晴らしい空気感を、肌で感じたんとちゃうんかな?って・・・俺は、そない感じた

 

 

「仲間」がおるから・・・頑張れるし・・・

「仲間」がおるから・・・楽しいことは、倍増するし・・・

「仲間」がおるから・・・辛いことは、半減する

大人も子供も、関係あれへん

 

同じ『志』を持った時・・・

同じ「楽しみ」を持った時・・・

同じ「哀しみ」を持った時・・・

そこには・・・目には見えへん『絆』が生まれる

 

ほんで・・・

その『絆』を壊したくないと思えば思うほど・・・人は、己の背中に「責任」っちゅうもんを背負う

だからこそ・・・『ファミリー』なんやないんかな?って、俺は思う

 

 

小さな事案でも・・・「ファミリー」として受け止めて、「ファミリー」みんなで解決する

大きな事案でも・・・「ファミリー」みんなで分散したら、大したことでなくなる

 

コロナの3年間で・・・薄れてたんか?・・・それとも、忘れてたんか?

俺は、子供達や父兄たちに・・・その「大切なもん」を、17年前(道場設立当初)から求め続けて、伝え続けてきたはずやのに・・・

 

 

数年前(道場が崩壊しかかった後・・・有っちゃんや姐さん、和道っちゃん、紀ちゃん、直ちゃん、順ちゃん、知ちゃん、優子さん、景ちゃん、祐三ちゃん、まき助さんたちに支えられて、復活の狼煙を挙げてから)・・・

道場の父兄達みんなで手をつないで、大きな大きな輪を作って・・・その大きな大きな輪の中で、子供たちはのびのびと「大切なもの」を学んでくれてたように感じる

 

せやけど・・・

コロナ騒動やったからなんか?・・・それとも、時代や時間の流れなんか?・・・

その大きな輪は、年々、小さく小さくなっていってしまってるように感じるのは、果たして俺だけんやろうか?

 

 

父兄達が手をつないで作る大きな輪の中から・・・時に、はみ出そうとしていく子が、たとえおったとしても・・・

手をつないで、ガッチリ固めてる以上・・・その「輪」の中から、出ていくことはできへん

父兄や仲間みんなが、それを許してはくれへんから・・・

 

どういう意味か?っていうたら・・・

要するに・・・

大人みんなで・・・「子供たちに目配りをしよう!」っちゅこと

大人みんなで・・・「子育てをしよう!」っちゅうこと

 

大人かって・・・一人の力では、できることは限られてる

せやけど・・・

皆で「子育て」、皆で「目配り」ができたなら・・・

これからを担う子供たち全員を・・・もっと大きな「愛情」で、包んでやれるんやないやろうか?

これからを担う子供たち全員に・・・目には見えへん「大切なもん」を、身を以て伝えてやることができるんやないやろうか?

俺は・・・そない信じて止まん

 

 

話を元に戻すけど・・・

世の中には、あんまり転がってへん・・・その『絆』っちゅうもんを、身を以て感じた時・・・

子供も(大人も)・・・もう、それを知る(感じる)前には戻られへん

 

おまけに・・・

子供たち自身は・・・それを感じることで、限りない「成長」を遂げる

 

その「成長」は・・・きっと、感じた者にしか理解できへんもんなんじゃないんかな?って、俺は思う

 

逆に・・・「成長」し過ぎるが故・・・一見、親や俺(先生)を置き去りにしていってしまうように見えるけど・・・

「感謝の念」を、心の中いっぱいに詰め込んでる彼らは・・・どこの世界に行っても、同じ『絆』(ネットワーク)を作ることに違いない

 

それが・・・俺らに対しての、彼らからの最大の「恩返し」なんやと・・・俺は思ってる

 

親や俺(先生)らは・・・

そんな彼らの「成長」を・・・目を細めて、微笑みながら見ることができたなら・・・

それこそが・・・目には見えへん、何ものにも代えられへん『幸せ』なんとちゃうんやろか?

 

We Can Do It!

Yey!!

 

 

 

 

 

5月14日(日)・・・宮城県立武道館に於いて、「全日本ジュニア柔道体重別選手権大会 宮城県予選」が開催された

 

ウチの次男坊(SO兄ぃ)が出場させていただいとったから・・・応援に行ってきた

もちろん、ウチの道場の卒業生(高校生)たちも数名出場しとったし、熱い戦いを見せてもらってきた

 

 

今春から、仙台大学に進学して、南條充寿監督にお世話になってる・・・SO兄ぃ

 

大学に進学するにあたって・・・大学の近所で生活をしてもらってる

実際には・・・高校3年間、柴田高校に通学してた距離と、ほとんど変われへんねんけど・・・俺は彼に、いろんなことを学んでもらうべく、親元を離れて生活してもらうことを望んだ

(基本的に・・・ウチは、15歳になったら家を出て行ってもらう方向で育ててきてるんやけど・・・彼の場合は、縁があって、柴田高校の狩野先生にお世話になることになったから、18歳まで自宅で過ごすことになった)

 

 

3月下旬・・・家を出ていく時に・・・

「近くに家があると思うな! 夏まで帰ってくるな! それまで、「己」を磨いてこい!」・・・そない言うて、彼を送り出した

 

ホンマは、俺が一番寂しいし、一番会いたいねんけど(苦笑)・・・

「自分の世界を築いてもらいたい」っていう切なる願いを込めて・・・長男(REN兄ぃ)の時(中学卒業時)も、今回(SO兄ぃの時)も、そないして彼らを送り出した

 

 

今回・・・

たまたま、大会があって・・・(コロナの件も落ち着いて)応援にも行けるっちゅうことやったから、1ヶ月半ぶりに彼に会えた

 

ひと言で言うたら・・・親として「安心した」

 

いっしょに暮してた時に、ずっと目を配ってきたから・・・良くも悪くも、彼が纏ってるオーラで、ある程度のことは分かるつもりでおる

せやから・・・

柔道に関しても然り・・・

大学生活に関しても然り・・・

私生活にしても然り・・・

きっと、充実した日々を過ごしてるんやろうなぁ?ってことが・・・彼から伝わってきた

 

ギラギラした眼じゃなく・・・キラキラした眼をして、穏やかでええ顔になっとった

俺は・・・それが、何よりも嬉しかった

 

 

我が子と共に過ごす時間っちゅうのは・・・ホンマに限られてる

その時間は・・・無限にあるんではなく、「有限」

それは・・・「真理」っていうても、過言ではないんかも知れへん

 

それならば・・・

共に過ごせる、限られた時間の中で・・・「『何』を伝えてやれるんか?」っちゅうことになってくる

 

各家庭によって、何を伝えるんか?は・・・それぞれ違うんやろうけど・・・

せやけど・・・とどのつまりは・・・

己自身しか・・・己を助けてくれへんし

己自身しか・・・己を奮い立たせてくれへん

究極なことをいうたら・・・

己自身しか・・・己自身を助けてくれることはない

 

せやからこそ・・・

いっしょに過ごせてる間に、「『何』を伝えてやれるんか?」

そう・・・『何』を???

 

 

普通っちゅう言い方をしたら、語弊があるけど・・・

順番でいうたら、俺(親)は彼ら(我が子たち)よりも先に死ぬ

 

せやからこそ・・・

彼ら(我が子たち)に、大切な『何』かを伝えてやりたい

彼らに、「将来、どんな人間になってもらいたいのか?」っちゅうことを、最重要課題として子育てをしてきた

 

 

「どこ(の高校、の大学、の会社)に行くんか?」

・・・・・よりも・・・

「己自身が、何をする(した)んか?」

 

「どこ(の大学や会社、職業)に在籍するんか?」

・・・・・よりも・・・

「どんな「人間」になるんか?」

 

医師にならんでも・・・人を救うことはできる

弁護士にならんでも・・・人の役に立つことはでてる

ちっちゃな商店であっても・・・

近郊外の大型ショッピングモールに行く術のない、近所のお婆ちゃんが買い物に来れるっちゅうことだけで・・・

そのお婆ちゃんの役に立ててることに他ならん

 

人間がやることに・・・

「大きい」も、「小さい」もない

「すごい」も、「すごくない」もない

 

この世界は・・・

「目に見えるもん」よりも・・・

「目には見えへんもん」の方が、大切なものは断然多い

 

ただ・・・

そこを履き違えて、誤ったものの見方をする人は少なくはない

 

 

今回、SO兄ぃに会って・・・

彼が、その「答え」に、ちょっとだけ近づこうとしてたことが見え隠れしてたことに・・・親として、心から安心した

 

 

 

ちなみに・・・

大会の結果は???・・・っちゅうたら・・・

準決勝で、同じ大学の3年生の先輩に、「指導」の差で敗退してしもうて、東北大会にコマを進めることは出来へんかった

 

せやけど・・・

これも、いつからか?・・・俺自身が思ってることなんやねんけど・・・

 

「優勝」する者は・・・その大会で、たった一人

せやけど・・・

高校柔道や大学柔道っていう、ホンマの勝負の世界に身を置いた時にでも・・・

応援してくれてる親に対して、感謝の気持ちを忘れることなく、上を目指して、日々一生懸命頑張ってる「我が子」は・・・俺にとって、この世でたった一人

 

これは・・・決して、負け惜しみではない

 

実際に、俺自身も大学時代・・・自分の置かれてる環境に胡坐をかいて、周りの方々に対する感謝の念を忘れて・・・

大切なことを見失ってしまってる同級生や先輩、後輩をぎょうさん見てきた

 

きっと、今の時代にも・・・

物事を途中で投げ出してしまったり・・・

自分の目標を諦めてしまってたり・・・

足元を見失ってしまってる子は少なくないと思う

 

如何なる時も、周りに対する「感謝」の念を忘れず・・・

己の足元を、見失うことなく(脚下照顧)・・・

自分の隣にいる人を、何よりも大切にして・・・

そういう人になってもらいたいと、心から願ってきた

 

せやから・・・

あの場所に、そんな「我が子」が存在してくれることが、俺ら夫婦にとっては何よりも嬉しかった

 

 

俺らは・・・

何事に対してでも・・・我が子を心の底から信じてる

 

これは・・・

(自分のことを、良いとか、悪いとか言ってるんではなく)

簡単なようで・・・実は、ものごっつい難しいことやと思う

 

 

以前に・・・

「私は、自分の子供を全身全霊で信じてますから!」

・・・っていう言葉を、小学校低学年の子の親御さんから、強い口調で聞かされたことがあった

 

せやけど・・・

その親御さんの言葉とは裏腹に・・・

その小学校低学年の子は・・・子供の域を超えてるな?っていうような嘘を、平気な顔で親についてるっていう現実を、俺は目の当たりにした

 

親の圧力が強すぎるんか?

親の期待が大きすぎるんか?

 

そんな環境の中におる子たちは・・・

親がおらん時には、一生懸命取り組まへんかったり・・・

自分より立場の弱い者に対して、軽々しく蔑んだ言葉を吐き出してみたり・・・

親の前で、ええ子でいようとし過ぎるんか?、自分を正当化するために「嘘」をつく術を、ちゃんと持ち合わせてる傾向は強いように感じる

 

基本的に・・・

子供なんていうのは、自分を正当化するために嘘をついたり・・・親の前では、ええ子でおろうと自分を着飾ってみたりする生き物やと、俺は思ってる

大人でも、そうなんやから・・・子供なんか、尚更のことや

 

せやから・・・

「信じてる」のと・・・「信じようとしてる」のでは・・・果てしなく大きな差が存在する

おまけに・・・

「信じてる」って、言い切れるようになるのには・・・限りなく長い時間を要するし、一朝一夕で成り立つもんではないと、俺は身を以て感じてる

 

その証拠に・・・

俺自身も・・・彼ら(我が子)が、子供の時は・・・

「信じて」

「許して」

「待って」

・・・・・ずっとずっと、それの繰り返しやった

長い年月を掛けて・・・やっと、全身全霊で「信じてる」って、胸を張って言えるようになった感じかな?

 

ただ・・・

そないすることも、親として非常に難しいことやったのも事実

当然・・・自分の思ったこと、感じたこと、感情等を、その場で吐き出した方が、親側も楽やからな?

 

でも、もし吐き出してたら・・・

見た目は、ええ子でおろうとしたやろうし・・・所々で、「嘘」もつかれてきたかも知れへん

そう思うが故・・・俺らは、黙って「信じて」「許して」「待つ」ことを選択した

 

 

今となったら・・・

その先にある「答え」を疑うことなく・・・それを、全うしてきて良かったなって思ってるし・・・

それと同時に・・・我が子達に対して、この上なく「感謝」をさせてもらえてるなって、切実に感じてる

 

 

 

「柔道」の結果で評価される時期は・・・ほんの一瞬

「学歴」で評価される時期も・・・ほんの一瞬(やと思う)

ほんで・・・

「高級車」「職業」「金」「名誉」etc・・・

世間が「すごい」と称するもんは、そこら中に転がってる

 

せやけど・・・

「世間の価値観」と「自分の価値観」は、まったくの別物や

 

如何なることであっても・・・

「世間の価値観」に惑わされてしもうたら・・・俺は、大切なことを見失うような気がしてならん

 

人間・・・「目に見えるもん」だけで勝負しようとするから・・・表面ばっかりが気になるし、歪みが出てくるんとちゃうんやろか?

人生っちゅうのは・・・「目に見えるもん」だけの世界やないんねんから・・・

 

 

「ナンバー 1」より・・・「ONLY ONE」

 

命よりも大切な我が子に・・・

「将来、どんな人間になってもらいたいのか?」

 

「世間の価値観」には掠ることもないような、その「ONLY ONE」を・・・掛け替えのないものに感じるんか?感じへんのか?は・・・

俺(親)の心ひとつなんやと・・・子供(我が子)たちが大人になった今、切実にそない感じさせてもらってる

 

「幸せ」は・・・

成るものではなく感じるもの

 

 

もちろん、それらすべては・・・

『俺の価値観』

・・・やけど

 

We Can Do It!

Yey!!

 

最近・・・

「これって、どうなんやろう?」って感じることが多い

ほんで、また・・・

こんな場面に出くわしたら時、俺以外の方々は・・・

「どないな対処をしてるんやろう? また、どない自分を収めてるんやろう?」って思う場面が多々ある

 

 

先般、こんな内容の記事を記した

コンプライアンス・・・-熱血!北岡道場 仙台の子供柔道教室 (kitaoka-dojo.com)

 

これは、これで・・・結構ヘビーな内容やったけど・・・

これには・・・まだ、続編があって(笑)・・・

 

 

塗装作業とか、支払い内容とか・・・すべて、一応は完結したねんけど・・・

その数日後・・・娘(悠葉先生)が、「車に、ペンキが付いてるんやけど・・・」って、俺に訴えてきた

 

見てみたら・・・ちっちゃな点々やけど、結構付いてる

季節柄、黄砂を被ってたから気付かへんかったみたいやねんけど・・・黄砂を流してみたら、結構付いてる

 

塗装請負会社の担当者に連絡して・・・そのまま車屋さんへ持ち込んでみたところ・・・

車のサイドやボンネット、フロントガラスやサイドガラスにも、ポツポツと塗料が付着してることが判明

 

車屋さん曰く・・・「磨いて取れればいいですけど・・・塗装し直さないといけない箇所も数か所ありますし、それで全体の色合いがおかしくなるようでしたら、全塗装も考えないといけないかも知れません」っていう内容やったみたい

 

それは、それで、事故やから・・・しゃあないっていうたら、しゃあないねんけど・・・

 

せやけど・・・

しつこいくらいに、「車両には、必ずカバーを被せてから施工をしてくださいね」って、お願いをして・・・

(※俺自身、昭和の車を所有してるんやけど・・・メッチャ大切にしてるから、あとのことは差し置いてでも、それだけは徹底してもらうようにしてた(笑)

ただ・・・ちょうど、塗装作業の最中は、長期間修理に出しとったから、俺の車は被害に合わへんかったけど・・・)

先方も「かしこまりました」っていうてたにも拘らず・・・

何故に・・・カバーを被せるっていう、たったそれだけの作業を怠慢にしたんやろか?っていうことに、首をかしげる

たったそれだけの作業を徹底してくれとったら、こんなことにはなれへんかったのに・・・

 

 

また・・・

塗装請負業者に対して、その連絡したのが、某日曜日で・・・

「今日は(日曜日で)塗装業者(下請け業者)が休みなので・・・明日(月曜日)にでも連絡して、支払いのこととかを打合せして連絡いたします」っていう返答やったようやった

 

それから・・・

待てど暮らせど、連絡がない

2週間経っても、何の音沙汰もない

 

あまりにも連絡がないことに・・・悠葉先生、シビレを切らして連絡してみたところ・・・

「今、調整してました」っていう答えやったみたい

 

保険を使用するんか?、また、下請け業者さんが自腹を切るんか?っていう、金銭的なこともあるやろうから・・・

ある程度、時間が掛かるんはしゃあないんやろうけど・・・それでも、その打合せをするのに、2週間も時間を要するんやろか?

 

仮に、それだけの時間を要するのは仕方がないにしても・・・

途中経過だけでも連絡してきた方がええんとちゃうんかな?って・・・自宅の塗装の際の怠慢さを思い出しながら、悠葉先生の話を聞いてた

 

 

 

 

ほんで・・・また、別の一件

3月半ば・・・ある業者さんに、道場の子供たち(約20着)の柔道衣の採寸をしていただいた

 

普段は・・・「採寸してから、3週間が納期の目安と考えておいてください」って言われてるんやけど・・・

当然、この時期(新年度)っちゅうこともあったから・・・あえて、納期を確認した

 

ほんなら、案の定・・・「4月24日が納期(採寸後、約5週間)となります」との返答やった

もちろん・・・それに関しては何の問題もないし、当然のように納得した

 

ただ、俺のところだけで済む話やないから・・・

「間違いなく、4月24日で大丈夫ですか?」って、再確認をした上で・・・

その内容(4月24日が納期)に準じて・・・

刺繍業者さんとの打ち合わせ(GWを挟むもんやから、取りに来ていただく日時、また納期の調整等)

ほんで・・・

道場生(ご父兄)たちへ、柔道衣が届く日のアナウンス(新しい柔道衣や黒帯を待ってる子も多いからな)を、滞りなく済ませた

 

 

ほんで、4月24日・・・

通常やったら、配送業者さんの配達順の都合にもよるけど、遅くても午後一には届く

せやけど・・・15:00を過ぎても届かへん

 

刺繍業者さんに対しても・・・打合せした通りの日時に渡せへんかったら、当然納期が遅れる

 

もしかしたら・・・

荷物が、誤配されてしもうてるんかも???

 

そないなことも考えながら・・・柔道衣メーカーの本社に、確認の電話をしてみた

ほんなら・・・

「確認して、折り返し連絡いたします」っていう返答をいただいたから・・・俺は、連絡を待っとった

 

 

約30分後・・・携帯に、1通のメールが届いた

「裁断機の不調や刺繍の遅れで、全体的に納期予定から1週間~10日前後遅れております  ご連絡が遅くなり、大変申し訳ございません」

 

?????

なんで・・・今日の今日で、この内容のメールやねん!?

 

1週間前にでも連絡をくれとったら・・・

俺かって、刺繍業者さんと調整できたし・・・柔道衣を待ってる子供達にも、再度アナウンスできたのに・・・

 

そのメールの後・・・

柔道衣メーカーの営業担当の人と、再三電話のやり取りをして・・・2日後(4月26日)の道場の練習終了時間(20:30)までに届けてもらうように打ち合せ

刺繍業者さんへ連絡して、取りに来ていただく日時、納期の調整

 

たった・・・「一報」やのに・・・

たった・・・「ひと言」やのに・・・

 

相手の立場やバックボーン、ほんで、待ってる方々のことを考えて、ちょっとした「思いやり」を持ってくれたら・・・

こんな嫌な思いをせんでも済むのに・・・

こんな無駄な動力を使わんでも済むのに・・・

 

自分がやられて嫌なこと・・・自分がやられて不信感を持つことは・・・他人に対して、やったらアカンやろ?

 

 

俺が着用する柔道衣なんやったら・・・その対応でも構わへんとは言わんけど、俺で止まる話やから百歩譲る

せやけど・・・

俺の後ろで、待ってる人がおる場合には、そうはいかへん

 

楽しみにしてる子供達であったり・・・

お金を先払いしてくださってる親御さんであったり・・・

時間を調整してくれてる刺繍業者さんであったり・・・

 

悠葉先生の件も然り・・・

磨いてくれたり、塗装してくれたりする車屋さんに、日程を調整してもらうべく連絡かってせなアカン

せやけど・・・

返答が返ってけえへんかったら、その打合せは足踏み状態になってしまう

もちろん・・・悠葉先生かって仕事をしてるんやから、仕事の都合や車を使用する予定も当然あるはずや

 

その人の額面だけを見て、行動するんやなくて・・・

その人の後ろにあるもんを、ちょっとだけ覗き込んでみたら・・・その時点で、自分の取るべき行動は自ずと分かると思うんやけど・・・

 

せやけど・・・

見ようとせえへんのか?

見る余裕があれへんのか?

こういった事案は、結構多いよなぁ

 

 

家の塗装も・・・柔道衣も・・・車の塗装も・・・時に何か物を購入するにしてでも・・・

確かに「物」を施工したり、「物」を購入したりするっちゅうことは、事実なんやけど・・・

せやけど・・・

その「物」を施工する契約をするのは・・・『人』であって・・・

その「物」を購入するのは・・・『人』からであって・・・

結局は・・・

すべての物事は、『人』と『人』とのつながりで成り立ってるんとちゃうんかなぁ?

 

ほんなら・・・

大切にすべきは・・・『人の心』なんやないんかな?って、俺は思うんやけど・・・

 

 

たった・・・「一報」

たった・・・「ひと言」

ちょっとした・・・「思いやり」

「たった」それだけのことやけど・・・

それが出来るか?出来へんか?で・・・人からの信用・信頼は、大きく変わってしまいよる

 

 

北岡道場訓にもある・・・

「他人に対する思いやり」

 

道場生たちには・・・一生、心に刻み込んでおいてもらいたいなぁって願うよ

 

We Can Do It!

Yey!!

 

 

 

 

 

3月25日(土)・・・令和4年度の「追い出し会」と称した、中学3年生の送別会を開催した

 

今年の卒業生は・・・琳ちゃん、立っちゃん、海伸の3名

琳ちゃんは・・・約6年半

立っちゃんは・・・約5年

海伸は・・・約4年半

「北岡道場」に通ってくれてた

 

皆それぞれが、いろんなことを抱えながら過ごした数年間やったけど・・・

3人とも、口を揃えて言うてくれる言葉が・・・「道場が大好きや」っていうことやった

 

海伸に至っては・・・高校に進学したら、柔道を続ける訳でもないのに・・・

お母さん曰く・・・「柔道云々じゃなく、あの子は「北岡道場」が好きなんです」って言うてくれながら・・・

6月の中総体(残念ながら、仙台市予選で敗退してしもうた)で、自分の区切りがついた後も、最後の最後(3月)まで休むことなく、道場に来てくれてた

 

琳ちゃんと立っちゃんに関しては・・・高校に進学してからも、柔道を続けるって聞いた

だからっていう訳じゃないみたいで・・・最後の最後まで、休むことなく道場に来てくれた

 

そう・・・結局、3人とも・・・途中で退会することなく最後まで道場に来てくれてたねん

 

 

俺は・・・

彼らに、伝え続けてきた

もちろん彼らだけじゃなく、道場生全員に対して・・・また、今まで卒業していった卒業生達にも、同じことを伝え続けてきた

 

自分が、先輩たちにやってもらったこと・・・

自分が、仲間にやってもらったこと・・・

自分が、父兄の皆さんにやってもらったこと・・・

(語弊があるけど)自分が、先生や明美さんにやってもらったこと・・・

それを・・・いつか「お返し」をせなアカン

・・・・・って

 

道場に入会して、右も左も分かれへん時にも・・・兄貴やお姉ちゃん達(上の先輩たち)が、面倒を見てくれたはずや

如何なる状況であったとしても、蔑むことなく・・・兄弟・姉妹(仲間)たちが、声掛けして、助けて、手伝ってくれたはずや

 

彼ら(上級生たち)も・・・新しい子達や下の子達の面倒を見るために、道場に在籍してるんでは決してあれへん

もちろん、自分の練習もしたいやろうし・・・小学校高学年や中学生に、そこまでの「ゆとり」なんかないはずや

せやのに・・・

自分のことは後回しにしてでも、下の子達や困ってる子達に手を差し伸べてくれる

 

それが・・・「「北岡道場」の伝統」っていうてしまえば、それまでかも知れへんけど・・・

じゃあ、誰が、その「伝統」を作ってくれたねん?って考えたら・・・歴代の先輩方々なんやよな?

結局は・・・卒業生達も、小中学校の頃に、それをやってくれとったねんよ

俺自身・・・彼ら(卒業生たち)に、そんなことはいっぺんも強制したことはあれへんけど・・・彼ら自身が、自らの考えで「それ」を作り上げてくれたねん

 

それが、いつの間にか「北岡道場の伝統」となって・・・十数年間、ずっと引き継がれてきてる

 

 

ほんで・・・それは、ご父兄の方々にも引き継がれてることなんやなぁ?って・・・いつも、客観的に見させてもらってる

野球チームやサッカーチームでも・・・子供の学年に応じてとか、レギュラーか否か?でとか・・・

そういったもんが、親御さんたちの関係性にまで波及してるっちゅう話は、珍しい話ではないと聞く

 

せやけど、ウチは・・・

柔道が強い?弱い?なんか・・・一切、関係あれへん

結果が残ってる?残ってへん?なんか・・・一切、関係あれへん

学年が上?下?なんか・・・一切、関係あれへん

 

ご父兄の皆さん方・・・

子供たち、それぞれの「個性」を受け入れてくれて・・・

ご父兄たち、それぞれの「個性」を受け入れてくれて・・・

いつ何時でも、「ファミリー」として受け入れてくれる

 

どうも・・・そんな場所みたいやな、ここ(北岡道場)は・・・

 

 

そう・・・

だからこそ、今現在「この場所」に立ってられるのは・・・誰のお陰なのか?っちゅうことを、忘れてもらいたくない

間違いなく・・・

先輩たち(卒業生含む)や仲間、先生、ご父兄の皆さんの支えがあったからこそなんやっちゅうことを、いつも心に留めておいてほしいと願ってる

 

 

長々と書いたけど・・・

結局は・・・「感謝」

自分を取り巻いてくれる方々に対して、「感謝」の念を持ってるか?持ってへんか?っちゅうこと・・・これに尽きると、俺は思う

 

 

ちょっとだけ、話が逸れてしまうけど・・・

俺は・・・

ウチの道場のこと如何に拘わらず・・・人間が生きていく中で、何事であっても「辞めたい」って思った時こそが、「最大の学び」のチャンスやと思ってる

 

「辞めたい」なんか思わんと、日々を平々凡々と過ごしてる時には・・・人間っちゅうのは、自分の足元なんか見えてへんもんや

前を向いて・・・ちょっと背伸びをして、ちょっと先を見て・・・右を見たり、左を見たり・・・時々、後ろを振り返って、人のお節介をやいてあげたり・・・

人間は・・・「楽しい」「おもしろい」が優先してる時には、そないして足元には目がいかへんもんやからな

 

せやけど・・・

「辞めたい」って思った時は・・・形はどうあれ、周りに目を配る余裕なんかなくなってしもうて、その場に立ち止まってうつむいてしまうもんや

 

その時にこそ・・・自分の足元を見て考えるべき時やと、俺は思う

自分の足元を見て・・・自分自身が、今「この場所」に立ってられるのは、誰のお陰なんか?を考えるべき時やと思う

 

ほんで・・・

もし、考えることができたならば、きっと気付くと思う

 

例えば、道場のことをピックアップしてみてでも・・・

親御さんが月謝を払ってくれて・・・

親御さんが送迎をしてくれて・・・

仲間が励ましてくれて、支えてくれて・・・

お兄ちゃん、お姉ちゃん(先輩たち)が手伝ってくれて・・・

父兄の人たちがイベントの企画・運営をしてくれてetc・・・

そないして・・・自分は、「その場所」に「立たせてもらえてる」

 

考えて、考えて・・・もし、それが分かった時には・・・

「今、自分は何をするべきなんか?」

「これから先、自分は何をするべきなんか?」

・・・を、自分自身に問うべきやと、俺は思うねん

 

せやからこそ・・・

何事であっても、「辞めたい」って思った時こそが・・・「最大の学び」のチャンスやと、俺は思ってるねん

 

 

仮に、その時点で・・・

それが分かれへんかったり・・・考えられへんかったり・・・理解できへんような状況であったとしても・・・俺は、口うるさく伝えるようにしてる

「自分自身を支えてくれた人たちに・・・いつ、恩返しをするねん!?」

「自分がしてもらったことを・・・いつ、誰にしてあげるねん!?」

・・・・・って

 

もっと、シビアなことを言うたら・・・

己の足元を見て、その場に立たせていただいてることに「感謝」の念を持たれへん者が・・・

次の世界や、次のステージを求めて行ったところで、どないして大成するねんな!?

 

まずは・・・周りに対する「感謝」からやろ!?って、俺は思うし・・・

その「感謝」の念を持つことができへんかったり、それを分かろうとせえへんかったら・・・この先も、どこに行っても同じことが繰り返されるんとちゃうんかな?って感じてしまうのは、俺だけなんやろか?

 

俺自身、常々口にする言葉

「柔道を通じて、大切な「何か」を学んでほしい!」

その「何か」の中には・・・「感謝の念を持つ」っちゅうことも、当然入っとる

 

 

ただ、それは・・・

決して、「道場の中で、その恩返しをしろ!」って、限定したもんではあれへんで

 

せやから・・・

ウチを去った後にでも・・・親父の戯言が、耳に残ってくれとったらええな?と思うが故・・・

また・・・

将来、如何なる場合でも、必ず直面するであろう場面やろな?って、俺ら大人は知ってるが故・・・

俺は・・・道場を去っていく寸前まで、そないして「想い(願い)」を伝えるようにしてる

 

まぁ、それが・・・その子達や、そのお父さんやお母さんに、どない伝わってるんかは分からん

 

それでも・・・俺は、伝え続ける

時間の長短に関係なく・・・ここ(北岡道場)で『ファミリー』として過ごしたことは、間違いないねんから

 

ほんで・・・

俺にとって、『ファミリー』が、他人から蔑まれるのは・・・自分自身が、蔑まれるのと同じくらい嫌なことやし・・・

それに・・・人間、またどこで再度つながりを持てるか?も、大いに期待できることやしな

 

恩着せがましいけど・・・

いずれ・・・「点」と「点」が、「線」で結ばれることを信じて・・・

今は、彼らの心の中に、「親父の想い」を点在させるべく・・・伝え続けてやることが大事なんとちゃうんかな?って・・・そない信じて止まん

 

 

 

話が、えらい逸れてしもうたけど・・・

そないして・・・琳ちゃんにも、立っちゃんにも、海伸にも・・・

「感謝」の念を持ってもらいたいなって、ずっと願ってきたし・・・この先も、ずっと願い続ける

 

 

 

人生は・・・自分の思い通りになれへんことが大半や

せやけど・・・

その思い通りになれへんことは・・・「必然」

時に・・・

思い通りに上手くいくことも、また・・・「必然」

 

俺は・・・自分の身の起こる物事に、「偶然」の産物なんちゅうもんは、何ひとつ存在せえへんって思ってる

良いことも、悪いことも・・・

楽しいことも、しんどいことも・・・

嬉しいことも、悲しいことも・・・

すべてが・・・「必然」

 

その瞬間、その瞬間に起きた「必然」を・・・将来、素晴らしい「必然」につなげていけるのは、己以外の誰でもない

 

せやからこそ・・・

その時に起こった「必然」を真摯に受け止めて・・・

驕ることなく、腐ることなく・・・前を向いて、進んでいってほしいと願う

 

歩みを止めたら、「後退」しかない!

 

ほんで・・・

「旅をするのは帰る故郷があるから」

「覚悟」

「人生は宝さがし」

 

おめでとう!

琳ちゃん!

立っちゃん!

海伸!

 

また、『故郷』に帰ってきてくれるのを待ってる

 

We Can Do It!

Yey!!

 

 

3月4日(土)・・・OB&OG達が、道場に遊びに帰ってきてくれた

 

当初(先週まで)の予定では・・・

先日、柴田高校を卒業した、桜想(こころ)(北岡道場:12期卒業生)先輩が・・・高校卒業の挨拶に来てくれる予定やった

 

それに伴って・・・

いっしょに柴田高校を卒業した、SO兄ぃ(12期卒業生)も・・・ちょうど大学の練習とバッティングせえへん予定やったから(もう仙台大学の練習に参加させていただいてるみたい)、来てくれることになった

 

じゃあ、折角やし・・・

同じく、12期卒業生の「ヤマト(向山高校卒業)&タケル(高専3年終了)も来れたら?」・・・ってことで、SO兄ぃが連絡を取ってくれた

 

当日・・・ヤマトから連絡あり

「今日・・・恭太先輩(11期卒業生:東北工業大学)も連れて、タケルといっしょに道場に遊びに行きます」(なんで、恭太やねん!?笑)

(後に、恭太とタケルからも・・・「今日道場に、遊びに行きます」の連絡あり)

(増えてきたぞ???)

 

また・・・心優(14期卒業生:柴田高校1年)からも連絡あり

「桜想先輩が、今日道場に行かれるようなので・・・樹梨(14期卒業生:柴田高校1年)といっしょに、道場に遊びに行きます!

啓太(東北学院高校1年)と遼(おおぞら高校1年)(共に14期卒業生)にも、声を掛けておきました

(後に、啓太、遼からも・・・「今日道場に、遊びに行きます」の連絡あり)

(おいおい・・・入れるんか?)

 

夕方、練習が近づいてきた頃・・・

承之介(13期卒業生:柴田高校2年)から連絡あり・・・

「先生、今日みんな来るらしいじゃないですか? 自分も行っていいですか? 笑笑」

(承ちゃん、関係ないやん!?笑)

 

ちょっと、時間差で・・・

健之介(11期卒業生:東北福祉大学1年)からも連絡あり・・・

「今日・・・道場に遊びに行きます」

(健之介も、関係ないやん!?笑)

 

 

練習開始前・・・道場で、みんなのことを待ってたら・・・

元(11期卒業生:山形大学1年)が、突然現れた

「今日、みんな来るんでしょう? 自分も来ました(笑)」・・・やって

(お前ら、アホやろ?笑)

 

結局・・・

悠葉先生(3期卒業生)とREN兄ぃ(5期卒業生)も・・・仕事の合間を縫って、顔を出してくれて・・・

「OB&OG会」でもないのに・・・14名もの先輩たちが、「自分も・・・自分も・・・」って言いながら、道場に帰ってきてくれるっていう、メチャメチャ嬉しい日になった

 

現在・・・道場生が54~55人くらい在籍してくれてんねんけど(当日、何人か?お休みの子もおったみたいやけど・・・)・・・

OB&OGと合わせたら、畳の上が70名近くになってしもうて・・・大賑わいやった

 

おまけに・・・

嬉しことに・・・OB達のご父兄(ヤマタケのパパ(有っちゃん)、恭太の親父&熊ママ(知ちゃん&優子さん)、健・承の母(祐三ちゃん)、元の父母(和道っちゃん&紀ちゃん))まで顔を出してくれて・・・

ホンマに・・・懐かしくて、楽しくて、メッチャ嬉しい日やった

 

 

道場生たち(幼児・小学生・中学生)も・・・

OB&OGの先輩たちに、ぎょうさん乱取りをしてもらって・・・メッチャ、貴重な時間になったんとちゃうかな?って思う

 

 

今から約17年前・・・平成18年10月10日・・・

いろんな想いを持って・・・「北岡道場」を立ち上げた

 

ただ・・・

一番のコンセプトとしては・・・

「卒業生が帰ってこれる場所」

 

そう考えて・・・中学校の柔道場や武道館、また、どちらかの公共施設を借りるんではなく・・・

「自分達」の道場を建てた

 

「自分達」 = 「子供達」

 

ここ(北岡道場)は・・・俺の道場じゃない

 

ここは・・・「子供たちの道場」や!

 

確かに・・・設立したり、建てたのは、俺なんかも知れへん?

せやけど・・・

ただ物理的に、そないしたのが俺やったっていうだけであって・・・

17年前から、北岡道場の歴史を作ってるのは・・・(睦:1期生(もう30歳ちゃうんかな?))から、今現在、一番ちっちゃい子(咲菜:2歳)までの子供達や

 

せやから・・・

ここは・・・他の誰の道場でもあれへんねん

ここは・・・「子供たちの道場」やねん

 

 

OB&OG達・・・

まだ、高校生くらいやったら・・・ある程度、帰ってきてくれるんかも知れへんけど・・・

大学生になっても・・・社会人になっても・・・小中学生時代を過ごした、道場に帰ってきてくれるなんていうことは・・・ホンマに嬉しいこと

 

ほんで・・・

「みんなが集まるんやったら、自分も行きたいです」って・・・

集まったら集まったで、一瞬にして「あの頃」に戻れる・・・そんな関係性が羨ましくてしょうがない

 

やっぱり・・・

2~3歳児から中学3年生までが・・・同じ空間で、同じ時間を共有して、同じものを見てきたからなんやろか?

 

そんな同じ空間、同じ時間の中で・・・

上の学年の子が、下の学年の子の面倒を見て・・・下の学年の子は、上の学年の子の言うことを聞く

ほんで、また・・・

その下の学年の子達が、上の学年になった時には・・・その下の学年の子たちの面倒を見る

 

それが・・・

「『北岡道場』の伝統」

 

 

「そんなことしてたら、練習にならへんやろ?」っていう、批判的なお言葉もあるかも知れへんし・・・現に、今まで何べんも、そのような批判的な言葉は俺の耳に聞こえてきた

 

せやけど・・・誤解を恐れずに言わせていただいたら・・・

俺は・・・

「練習するつもりなんか、さらさらあれへん」

まして・・・

「「強化」なんていう言葉は・・・俺の中には、微塵も存在しとれへん」から、しょうがない

 

 

俺が心掛けてること・・・

俺が念頭に置いてること・・・

俺が常日頃から実施してることは・・・

「人間教育」

それ以外の、何ものでもない

 

「柔道を通じて、大切な何かを学んでほしい」

そないして・・・

学んでもらったことは・・・きっと、将来、彼らの「武器」になるねんから・・・

 

それと同時に・・・

このネットワークが・・・きっと、将来、彼らの大切な「宝」になるねんから・・・

 

 

いずれにしても・・・

悠葉!

REN!

恭太!

元!

健之介!

SO!

ヤマト!

タケル!

桜想!

承之介!

啓太!

遼!

心優!

樹梨!

帰ってきてくれて・・・ありがとう!

感謝してる!

 

また、いつか・・・

元気で会おうや!

 

それまで・・・

与えられた環境の中で最大限の努力を怠るな!

 

 

人生は「宝」さがし!

 

元気出していこう!

READY! GO!!

HEY !HEY!HEY!

楽しくないと意味がない!!

We Can Do It!

Yey!!

 

 

 

 

 

昨年1月・・・

自宅を新築してから、20年近くも経過するし・・・思い立って、外壁塗装をお願いすることにした

 

某大手企業にて、見積もりを依頼したのが・・・昨年1月9日

1月末頃には、見積もりをいただいて・・・後日、発注

 

冬の間の塗装は・・・寒さ故、塗料ののり?が悪いっちゅことで・・・

ほんで、また・・・

春先は、その影響で、施工が立て込んでるとのこと

当然、梅雨時期は塗装できへんし・・・夏は、暑すぎて塗装自体、よろしくないみたいなんやな?

 

結局・・・

「一番いい時期は・・・9月~10月です」っちゅうアドバイスで、その時期に塗装してもらう契約をした

 

 

時が過ぎて、9月・・・

待てど暮らせど、一向に連絡があれへん

シビレを切らして、俺の方から連絡してみたら・・・「前の現場の工期がずれ込んでしまってて・・・」っちゅう返答やった

 

もちろん・・・塗装工事は、天候の関係で左右されてしまうもんやから・・・

俺自身も・・・当然のように理解した

 

9月末・・・

「「10月2日」に足場を組ませていただきます  その後、天候の影響も考慮して、およそ2~3週間(10月20日頃までに完了)で施工は完了いたしますので・・・」

そない、担当者から連絡が来た

 

一番、塗装に適してる時期は・・・9月~10月頃っちゅう話を聞いてとったから・・・

9月は・・・前の現場の工期が長引いてしもうて、施工ができへんかったけど・・・

10月(塗装するには、ええ時期)には施工をしてくれるっちゅうことで、俺自身、安心しとった

 

10月2日・・・足場を組みに来てくれた

せやけど・・・翌日から数日経っても、施工(洗浄や養生、塗装)をしに来てくれへん

 

こっちから、連絡してみた

ほんなら・・・担当者・・・

「前の現場が長引いてる」だの、「業者の都合が悪い」だの・・・のらりくらりと言い訳をした上で・・・

「10月20日頃からの施工になります」って、ぬかしよった

 

足場を組んでるっちゅうことは・・・黒いマント(塗料が飛び散らへんようにするもの?)で、家ごと覆われてるっちゅうことやねんけど・・・

そんなこともあって・・・俺は、「ええ加減にせえよ!」って思いながらも・・・

前の現場が長引いてる件も・・・天候の件に左右されるやろうから・・・

業者の都合の件も・・・塗り始めたら、塗り終わりまでは一気にいかなアカンもんなんやろな?って思ったから・・・

百歩譲って、了解した

 

その後・・・10月20日が過ぎても、一向に連絡があれへんし・・・施工が開始される気配はない

10月下旬に、催促の連絡をするも・・・のらりくらりと言い訳をぬかしよる

 

11月初旬に・・・やっと、「11月7日から施工に入らせていただきます」って、連絡がきよった

 

11月7日???

一番塗装に適した時期は、9月~10月やったんとちゃうんかえ!?

おまけに・・・

まったく、連絡もしてきよれへんし・・・その怠慢さは、どないなもんやねん!?

そない思って、ええ加減、頭に来てたけど・・・やっと施工してもらえることに、黙って了承した

 

ほんで・・・約束の11月7日

施工業者が来えへん

?????

8日になっても、9日になっても・・・・・施工業者が来えへん(もちろん、何の連絡もなく)

?????

 

呆れかえりながら・・・また、こっちから担当者に確認の連絡をしてみた

 

ほんなら・・・

「あっ・・・11月10日から、施工に入りますので・・・」

・・・っていう、呆れるような返答やった

 

 

結局、11月10日から作業に入ってたのは入ったけど・・・

施工日程が、メチャメチャ飛び飛び(1週間とか10日単位でしか、施工には来えへん)やし・・・

塗料の色を、打合せのした色と間違って塗装するし・・・

何より、一番最悪やったのは・・・

レンガ調デザインの外壁(サイディング)に対して、クリアー塗料を塗る打ち合わせをしてたのに・・・その間違った塗料一色で家全体を塗りよったこと(本来は、茶色系を基調に、帯や柱の部分でコントランスを出して、レンガ調の部分はクリアー塗装の3色に塗装する打合せ内容)

 

施工業者(下請け塗装業者さん)は・・・おかしな塗装(一色塗り)に疑問を抱いて、元受け業者の担当者(俺が契約した担当者)に確認してくれたらしいねんけど・・・

その担当者は、「俺の指示通りにやれ!」の一点張りやったらしくて・・・とんでもない色(一色単)の家になってしもうた

 

当然・・・契約とは異なる内容やから、やり直しをしてもらわなアカンねんけど・・・

そこに行き着くまで・・・自分のミスだの、都合の悪いことは、会社や上席には報告せえへんかったんやろなぁ?

 

ただ・・・

これまでの怠慢な業務内容・・・施工内容の間違いetc・・・

担当者自身・・・八方塞になったんか?

1月末・・・やっと、上席(責任者)まで話が上がっていったらしくて・・・上席直々から、その内容を含めて連絡があった

 

 

 

もちろん、上席の方は焦ったんやろなぁ?

(※それまでにも、担当者曰く・・・「(上席の方には)既に話をしてます」って言うてたけど・・・

上席の方の、あの焦りようは、実は何も知らんかったんとちゃうんかなぁ?

今となっては、ホンマやったんか?嘘やったんか?分かれへん話やけどな・・・)

 

早急な対応で再契約の場を設けてくれたし・・・ひたすら、俺に頭を下げてくれとった

もちろん・・・迷惑を掛けたお詫びっちゅうことで、再契約金額も微々たる金額にまで落としてくれた

 

ちなみに、余談やけど・・・

未だ(2月8日現在)に、施工は終了してへん(施工終了は、2月下旬予定)

この先、順調に事が運んだとしても・・・ウチは、約半年間、足場とマントに覆われてた計算になる(笑)

 

 

長々と、事の経緯を記したけど・・・

今回、記したい内容の本題はここから・・・

 

実は、その怠慢な担当者・・・俺に対してだけやなくて、他のお客さんに対しても、大概怠慢に対応しとったらしくて・・・

そのクレームの数たるや、結構な数やったらしいねん

 

せやから、俺は・・・その再契約の席で、上席の方に問いかけた

「社員(部下)の、あんだけ怠慢な対応に対して・・・上司の方や会社は、指導・教育っちゅうもんをせえへんのですか?」って・・・

 

上席の方曰く・・・

「昔は・・・お客様に掛けた多大なる迷惑、会社に与えた多大なる損失等、「自分で蒔いた種は、自分で刈り取れ!」的に、強く教育して育てることができたのですが・・・

今の時代、コンプライアンス的に、会社や上司は何も言えないのが現状なんです

「パワハラ」に当たるので・・・

ですので・・・そんな事実が発覚したとしても、クビにもできないですし・・・部署を変えることで対応するくらいしかできないんです」って・・・・・

 

 

ここ数年・・・

プライベートはもちろんのこと・・・仕事でも、各方面の方々と取引はさせてもらうんやけど・・・

如何せん、対応が怠慢やったり・・・

お客様ファーストやなくて、自己中心的な内容をゴリ押ししてきたり・・・

いつまで経っても、核心的な答えが返ってけえへんかったり・・・

中には、逆ギレしてみたり・・・

「どうも、腑に落ちへんことが多いなぁ?」って、心の中で感じとったねんけど・・・

その内容を聞いて・・・すべての点と点が線でつながった気がしたわ

 

 

俺自身・・・道場で、子供たちに対して・・・

「相手を思いやる心を持て」とか・・・

「自分がされて嫌なことを相手にするな!」とか・・・

「一事が万事!」とか・・・

「人から必要とされる人になれ!」とか・・・

「「お前の代わりはいくらでもいる」と思われるような存在になるな!」とか・・・

 

仕事であっても、人間関係であっても・・・

彼ら自身が、あらゆる角度から見られたとしても、周りから「認めてもらえる存在」に近づいてもらえるべく・・・いろんな形で、想いを伝えてるつもりでおるねんけど・・・

 

「今の時代・・・ほんで、これからの時代は・・・そんなもんは、まったく以て必要ないんかな?」って・・・

俺自身が培ってきた「概念」を根こそぎ刈り取られてしまうような衝撃やったなぁ

 

 

仕事を怠慢にしてても・・・給料はもらえる

会社に損失を与えたとしても・・・会社に居続けられる

 

「う~ん」って感じてしまうのは・・・果たして、俺だけなんやろか?

 

個人的な意見を記させてもらったら・・・

「権利を主張すること」と「義務を果たすこと」っちゅうのは・・・常に「対」なんやないんかな?って、俺は思うねんけど?

 

それがなくなってしもうたら・・・

「人間関係」は成りたてへんのんとちゃうやろか?

それとも・・・

これから先の世の中は・・・「人間関係」さえも合理的で、必要のないもんになっていきよるんかな?

 

 

人の考えは・・・十人十色

正しい「解答」っちゅうのは、どこにも存在せえへんけど・・・

 

せやけど、俺自身は・・・

培ってきた「概念」を、根こそぎ刈り取られるような事案に、何べんぶち当たったとしても・・・

それを称賛したり・・・それに賛同したり・・・それに納得したりする・・・

そんな『親父(北岡道場長)』には、成りたくはないなぁって思うわ

 

楽しくないと意味がない!

We Can Do It!

Yey!!

 

 

 う~ん♥ CUTE♥

 

 う~~~~~ん(-_-;)

 

 コラッー! かおやん! 回転運動サボるな!

 

 親子喧嘩(^.^) 朱莉ちゃん

 

 RYUちゃんも!(^^)!

 

 チビココVS淳ちゃん

 

 結ちゃんVS秀ちゃん

 

 志帆ちゃん&文子ちゃん♥

 

 翔太郎! どうした!?

 

 翔太郎! 撃沈!

 

 なに、イチャイチャしとんねん!?

 

 昌彦とゆかも!!

 

 そうだよねぇ~!(^^)!

 

 双子???

 

 チビマサにやられる・・・お爺ちゃん(-_-;)

 

 熱戦!

 

 白熱した戦い!

 

 観覧席もいっぱい

 

 ゲストは・・・千鳥の「ノブ」

 

 北岡道場杯・・・入賞者(^.^)

 

  小学3年生の部・・・入賞者(^.^)

 

 ちびっこギャングの部・・・入賞者(^.^)

 

 チビマサとRYUちゃん・・・金メダル

 

 キャプテン・・・陽向(右)&補佐:隆盛(中)&HIRO(左)

 

 選手会長・・・子地蔵!

 

 仙人の乾杯!!

 

 みんなで・・・カレー食った

 

 もう・・・今年も終わりじゃ!

 

 ありがとう! 2022年!

 

 ありがとう! 北岡ファミリー!!

 

 

We Can Do It!

Yey!!

 

 

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983-0821
宮城県仙台市宮城野区
岩切字昭和北2-15

【連絡先】
022-782-7780
(きたおか接骨院内)

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