2018年 12月

東北柔道専門学校に入学すると同時に・・・柔道部に所属することになった

先述したけど・・・「柔道をすることを条件」で、東北柔道専門学校に入学した以上、それは決まり事のようなもんやった

 

ただ・・・俺には、家族がおる

学費も生活費、養育費も・・・全部、俺の肩に乗っかってる訳や

 

早朝からのアルバイト・・・午後からのアルバイト・・・

それを抱えてる俺にとっては・・・朝練、午後の練習と、決められた時間の中で動くことが非常に困難やった

 

その時間の調整が、あまりにも難しくて・・・

やむを得ず、俺は1週間で柔道部を退部した

(その節は、本当に申し訳ありませんでした)

 

 

せやけど、俺は・・・

闘うため(闘う前)の「緊張感」っちゅうもんが、なんでか分からんけど、ものごっつい好きでなぁ?

その「緊張感」の中に身を置くことを求めた

 

そんで・・・それを求めた結果・・・

俺は・・・高校生の頃から興味を持っとった、「ボクシング」をすることを選んだ

 

 

平日は・・・

早朝(4:00や5:00)からのアルバイト

7:30に終了するから・・・帰宅して、すぐに1時間のロードワーク

シャワーを浴びて・・・9:00から学校の授業

12:10に授業が終わるから・・・12:30から、トラックに乗るアルバイト

19:00くらいには、アルバイトが終わるから・・・そこから、ジムに行ってジムワーク

2時間ほど練習をしてから、家に帰る

 

土日、祝日は・・・

早朝(3:00頃)から、19:00頃までトラックに乗って・・・ジムに行ってジムワーク

 

時間に追いやられる、いっぱいいっぱいの生活やったけど・・・

自分で時間調整ができる、自分で自己管理をすることができる、「ボクシング」は・・・

実業団時代と同じような感じやったから、心底のめり込んでいった

 

 

ちなみに・・・

柔道整復師の勉強の方は?っていうと・・・

毎日毎日、時間の許す限り、必死になって勉強をした

1日24時間っちゅうのは、人間誰でも同じ

せやから・・・授業(結構、授業中に勉強しまくったな?)、アルバイト、ロードワーク、ジムワーク・・・

俺は・・・荷物の搬入の際の余った時間・・・大袈裟にいうたら、トラック配送の信号待ちの時間さえも、キャビンの中で教科書を広げて勉強しとった

 

そんだけ勉強しとった俺は・・・

専門学校時代・・・定期テストの範囲なんか、気にしたことがあれへんかった

それどころか・・・教科によって時間で区切られてるのが当然なんやけど・・・

これから行われるテストが、何の教科のテストなのか?さえ・・・

俺は分からんまま、目の前に出てきたテスト問題を解くっていう感覚でおった

 

それくらい、俺は・・・全教科、すべての内容を網羅するくらい勉強をしとった

 

中学3年生の高校受験の時も、そうやったねんけど・・・

俺は、自分自身で・・・

「勉強の仕方が分かれへんかったことが、功を奏したんやろな?」って思ってる

 

子供の頃は、勉強なんかしたことがないもんやから・・・要点を絞って勉強するなんていう能力は、俺には備わってへんかった

とにかく、教科書の1ページ目から最終ページまで、徹底して覚え込むことしかできへん

何十回も、何百回も・・・読んで・・・書いて・・・また、読んで・・・

そないすることしか、出来へんかった

 

せやから・・・

テストの問題が・・・「教科書の〇〇ページの右上に記載されてる」っていうような・・・そんなことまで、俺は知っとった

 

 

 

 

 

話が、えらい逸れてもうたな・・・

 

俺は・・・中学生や高校生の頃、街で喧嘩(殴りっこ)をした経験がある

皆さんも、そんな経験があるかとは思うけど・・・

「ボクシング」っていうのは、その延長上・・・・・俺は、そんな感覚でおった

 

そんな感覚で取り組んでたからこそ・・・すぐに頭打ちさせられることになる

 

ジャブ、ストレート、フック、アッパー、フットワーク、ディフェンス・・・

サンドバッグを叩いて・・・トレーナーがミットを受けてくれて・・・

 

柔道をしとったことで、体ができとったっていうこともあって・・・

早くに、スパーリングまで漕ぎつけたまでは良かったねんけど・・・

俺は・・・自分より3階級も下の選手に、いとも簡単にロープを背負わされて、ボコボコに殴らてしもうた

 

正直・・・メチャメチャ、怖かった

何の抵抗もできへんまま、顔面、ボディー、また顔面・・・

上手い具合に、上下に散らされて・・・俺は、何もできんと、やられるがままの状態やった

 

メチャメチャ、悔しかった

20代後半にも拘わらず・・・悔しくて悔しくて、嗚咽するくらい泣いた

 

 

そんな、俺は・・・基本的には、「負けず嫌い」なんかも知れへんな?

翌朝からのロードワークは、心臓が飛び出してまうんとちゃうか?って思うくらい・・・自分自身を追い込んで、普段よりペースを上げて、徹底的に走った

走って、走って、走りまくったよ

(柔道をしてた頃(高校・大学の頃)に、あんだけ走りまくってたら・・・足腰とスタミナは、かなり強靭やったんやろなぁ?って・・・自分自身で切実に感じるくらい、走りまくった)

ジムにも・・・どれだけアルバイトの終了時間が遅くなっても・・・どれだけ翌日のアルバイトの時間が早かったとしても・・・極力、休むことなく通い続けた

 

ほんで、何より・・・

ボクシングをしたことで・・・大切なことを教えてくださった、師匠との「出会い」もあった

『師匠』が残してくれたもの・・・

その甲斐あってか?・・・俺は国体予選で優勝させていただいた

 

優勝は、させていただいたんやけど・・・

過去(高校、大学)の戦績(実績)が、全くない俺は・・・東北国体には、俺の階級(ウェルター級)だけエントリーしてもらわれへんっていう、苦い現実も経験した

もちろん・・・東北国体に出場してても、きっと負けてたやろうけどね?

 

 

ただ・・・平成13年は、宮城県国体であり・・・

その年に限っては、開催県枠っちゅうことで・・・県予選で優勝さえしたら、東北国体に出場せんでも本戦に出場できるっていう、システムになっとった

 

 

俺は・・・平成12年3月に、東北柔道専門学校も卒業してる(国家試験にも合格してる)ねんけど・・・

就職先(修行先)も決めんと(「今までのアルバイトを、継続しながらでええわ」って思いながら)・・・国体に出場したいがために、宮城県に残った

 

東北柔道専門学校の同級生たちは・・・地元に戻ったり、宮城県に残ったりと様々やったけど・・・

ちゃんと就職活動をして、どんどん整形外科や接骨院へと就職が決まって・・・

春先から・・・それぞれ、柔道整復師としてデビューをしとった

 

そんな状況の中でも・・・何の就職活動もしてへんかった俺やけど・・・

正直・・・「接骨院を開業したい」「道場を設立したい」っていう目標があったもんから・・・周りの動向に対して、正直焦りもあった

 

 

卒業してから(国家試験の後)も、アルバイトを続けながら生活してた、そんな俺の耳に・・・

どっからの情報やったんか?忘れたけど・・・

「愛子整形外科」が・・・「柔道整復師」を募集してるっていう、情報が聴こえてきた

 

この時期に、募集って?・・・なんでやろう?って思いながらも・・・俺は、愛子整形外科(院長:安先生)に電話をした

ほんなら、安先生自身から・・・

「いいですよ! ぜひとも、〇日に面接に来てください!」っていう・・・えらい簡単な返事をいただいた

 

 

その後・・・その日やったか?翌日やったか?忘れたけど・・・

実は、「愛子整形外科」が募集をしとったんは、「柔道整復師」ではなくて「理学療法士」やったっちゅうオチが・・・安先生自身から連絡がきた

 

せやけど・・・安先生も、俺に対して言うてしもうた以上、「悪いな」って思ったんか?

それとも、理学療法士が見つかれへんから、たまたま連絡してきた俺(柔道整復師)で、仕方なく手を打ったんか?

それは、分かれへんけど・・・

何はともあれ・・・俺は、愛子整形外科に就職することが決まった

 

 

たまたま情報をキャッチして、押しかけ的に電話をした俺・・・

俺自身が所持してる資格を「理学療法士」と勘違いなさった?、安先生・・・

いずれにしても・・・

愛子整形外科に就職させていただいたことも・・・俺にとっては、大きな『必然』やった

 

そんな時・・・

俺は・・・自分の「やりたいこと」「やりたかったこと」を、考え始めた

 

高校生の頃・・・柔道で怪我をした時に、よく接骨院の先生にお世話になった

また、親父が、柔道場を運営しとったっていうこともあって、柔道場を設立したかった

 

柔道衣を脱いだ今・・・大会に出場するための「綜合警備保障」のゼッケンは、もう必要あれへん

俺は・・・次の道を歩むべく、動き始めた

 

 

まず・・・接骨院を運営するためには、国家資格が必要になる

その国家資格を取得するためには・・・3年間、専門学校に通う必要がある

ただ・・・当時、柔道整復師(接骨院)の専門学校は、日本に14校しかなかった

今現在は・・・全国に、かなりの数の学校があるけど・・・当時は、14校しか厚生労働省からの認可?がなかった

 

俺のような、脱サラ組は・・・個人的に、その狭き門をくぐるのは、なかなか難しくて(単に、子供の頃に勉強をせえへんかったから、高校、大学、専門学校って、純粋に受験することは困難を極めるっちゅうだけのことやねんけど(+_+))・・・

俺は、大学の部長(先生)のところに、相談しに行った

ほんなら・・・「専門学校に進学した際に、柔道をする」という条件で・・・「東北柔道専門学校(げん:仙台接骨医療専門学校)」に、話を通してくれることになた

 

 

俺は・・・この内容を・・・

誰に話すこともなく、内密に動いとった

明美にさえも、内密に動いとった

 

さすがに・・・ある程度、足元が固まって、入学金などのお金が必要になった時に初めて・・・明美に、内情を話した

俺的には・・・結構、覚悟を持って話したつもりやってんけど・・・

「ふ~ん  遅かれ早かれ、いつか(会社を辞めて、違うことを求めて動き出すって)言い出すやろうって思ってたけど、それが今やったってことやね?」・・・・・の、一言で終わった

当時・・・悠葉(先生)が生まれて間もない時やったから・・・俺自身、会社を辞めて、学生になるっていう不安材料を、ものごっつい抱いとったねんけど・・・

彼女からは、「ふ~ん」の一言しかなかった

 

俺は・・・彼女の手のひらの上で、完全に転がされてる・・・・・・・ようやった(今もそうやけど・・・(^_^;))

 

 

平成9年4月・・・

己自身の『目標』を達成するために・・・心機一転、明美と悠葉(先生)と3人で・・・

杜の都「仙台」にやってきた

 

 

2回目(社会人2年目)の実業団の大会の後・・・

俺は・・・彼女(明美)と結婚した

当然・・・背中に背負う「責任」っちゅうもんは・・・独身の時とは、全然違ったし・・・

仕事(営業活動)の方にも・・・一生懸命、精を出した

 

そのお陰で・・・

社会人3年目、4年目と・・・仕事の方は、ものごっつい順調で、顧客数もどんどん増えてきとった

それに伴って・・・

上司の方の中には・・・「こいつは、「営業」に向いてるから」って仰られた方もおったけど・・・

俺は・・・「向き」「不向き」なんちゅうもんはない!って考えてる

 

営業課っていう部署に配属された以上・・・その「与えられた環境の中で、最大限の努力をする!」っていうことは、俺の中では「当たり前」のことやったっていうだけで・・・

俺かって、他のみんなと同じように・・・「やりたくない」「(飛び込みセールスに)行きたくない」「嫌やなぁ~」って思う気持ちは、十二分に備わっとったし・・・正直、毎日のように、そない感じとった

 

そらぁ・・・飛び込みセールスっていうたら・・・

目の前で、名刺を破られたり・・・パンフレットを投げられたり・・・無視されたり・・・が、日常茶飯事に起こるんやで?

毎日、毎日が・・・憂鬱で憂鬱で、じょうがなかったよ

 

せやけど・・・

「他の人が、50件の飛び込みセールスをしてるんやったら、俺は100件行ったるわ!」

「今に見とけよ!」っていう・・・

その「意地」だけが、俺自身を動かしてたように思う

 

柔道は・・・相手がおる対人競技やから、どんだけ努力をしても相手に負けてしまう(報われへん)時もある

またトーナメントであったら・・・途中で負けてもうたら、それ以上は上がられへん

 

 

せやけど・・・社会に出たら、決してそうではない!

もちろん、トーナメントなんかではあれへんから・・・自分自身が諦めへん限り、限りなく歩みは遅くとも、次のステージには上がることができるはずや

そう・・・

「必死」で動けば・・・多少なりとも、跳ね返ってくるもんはある!

俺は・・・そない、考えとった

 

まして・・・

「「必死」で動くこともなく・・・言い訳を、真っ先に並べるような人間にはなりたくない」っていう思いもあったから・・・

己自身の人間性を成長させるべく・・・がむしゃらになって、自分から「逃げ場のない状況」に足を踏み入れた

 

 

余談やけど・・・

「必死」とは・・・「必ず死ぬ」と書く

俺は・・・「必死」になったことが、あるか?ないか?で・・・

その後の人生は、大きく変わってくるんではないか?って考えてる

 

 

 

話が変わるけど・・・

俺は・・・柔道をしてた時から、思ってきたことがある

「人と同じことをしとっても・・・人と同じか?もしくは、人よりせいぜい頭ひとつリードするか?ってもんや!」って

 

せやから・・・

「人と違うことをせえへんかったら、人よりも自分自身が上に上がることは難しい!」

・・・そないな考えを持っとった

他人と違うことを・・・

 

せやから・・・っていう訳じゃないねんけど・・・

 

たとえば・・・「名刺」

綜合警備保障は・・・セ〇ム株式会社(改名前は、日〇警備保障やったかな?)と、日本の二大警備会社って言われとったねんけど・・・・・結構、お堅い会社やった

名刺(名刺は、営業マンの武器やからね)ひとつ取り上げても・・・「綜合警備保障株式会社」って、縦文字でつづられとって、非常に堅苦しいもんやった

対する、ライバル会社のセ〇ムさんは・・・ローマ字で「SE・・M」って謳って・・・おまけに、長嶋茂雄さんを起用して「セ〇ムしてますか?」って、ものごっついインパクトを世の中に与えとった(当時)

 

営業先で、「堅苦しい名刺だね?」「セ〇ムさんの方が、いいんじゃないの?長嶋さんもCMに出てるし・・・」なんてことを・・・しょっちゅう言われとったっちゅうこともあったねんけど・・・

 

俺・・・「これじゃ、勝負できへんな?」って考えて・・・

勝手に、「日本のセキュリティはSOK」って、横文字の名刺をデザインして・・・総務課の女の子に、そのデザインの名刺を作成してもらったねん

ほんで・・・でき上がってきた名刺をパンフレットに添えて、飛び込みセールス先で配りまくったったねん

 

 

1~2ヶ月経った時やったかなぁ?・・・支社長から呼び出された

内容は・・・

「本社に、この名刺(俺が勝手に作った名刺を手に持って)が届いてて、問題になってる」っちゅうことやった

もちろん・・・「その名刺の使用は、すぐにやめるように!」って、釘を刺された

さすがに・・・始末書だの、配属先変更だのって言われたら、元も子もあれへんから・・・俺は、渋々その名刺を使うことは止めたねんけど

 

 

会社組織に属する以上・・・俺がやったことは、当然ルール違反

せやけど・・・何か、人と違うことができへんもんやろか?

あの頃の俺は・・・「野心」に満ち溢れとったんやろな?

そないな事ばっかりを、考えとった

 

 

 

ちなみに、余談やけど・・・

俺が、会社を退職して、1年ほど経った時(その一件から、2年ほど経った時やったかなぁ?)に、会社の先輩に会った

 

「これ、見てみぃ!」って、先輩が持ってた名刺を見せられた時・・・

俺は・・・「えっ?」って、固まってもうた

 

「お前が・・・あの時、勝手に作った名刺によう似てるやろ!?」って・・・

俺が勝手に作った名刺に、よく似たデザインの名刺に会社全体が変わっとった・・・っていう・・・

俺がやったことも、満更間違いではなかったんかな?って感じさせてもらえる

そんな、嬉しいオチがあった

 

 

組織に所属してる以上・・・身勝手な行動は、当然してはいかんことやねんけど・・・

俺は、そんな感じで「空回りしてしまう」・・・そんな事案が、いくつか?続いたからなんかなぁ?

俺は・・・自分自身の居場所に対して、無性に違和感を感じ始めた

 

 

 

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ええように記したけど・・・

結局、俺は・・・「組織」の中では、生きていかれへん人間やねん

世間一般に言うたら・・・「協調性がない、自分勝手この上ない奴」

・・・・・そんな人間なんよ

 

せやからこそ・・・今、こんなことをしてるんやろな?って・・・

俺は、自分自身のことを・・・良くも悪くも、そない評価はしてるんやけどね

 

 

せやけど・・・いつからやろう?

こんな「気質」じゃ、アカンなって考えて・・・自分自身を変えはじめたのは?

 

今でも、基本的には・・・協調性がなかったり・・・自分勝手な行動をしてしまったり・・・人の話に耳を傾けへんかったり・・・

そんな部分は、少なからずあるなぁ~?って・・・自分自身でも感じることはあるけど・・・

※「我」が強すぎる部分は、俺の「生き様」やから・・・それとは別次元の問題やな?って考えて、どうか勘弁してほしい

 

最近は・・・協調性を持とうとしたり・・・人の話を聞こうとしたり・・・人の心を思いやろうとしたり・・・

限りなく、相手のことを尊重しようって、考えることが多くなったような気がする

 

 

たとえば・・・我が子に対してやったとしたら・・・

 

彼らは・・・時々、「んっ?」っていうような想いを、俺に持ってくることがある

子供であったり、若かったりするから、当たり前のことやねんけどね?

 

もし、以前のままの俺やったとしたら・・・

「そんなことも、分からんのかよっ?」

「それは、アカンやろっ?」

「そうしたら、いいだけのことやんけっ!?」って・・・

彼らが、想いを述べ始めた直後であっても・・・「俺の考え」と違ってたりしたら、そない吐き出してしまってたと思うねん

 

 

せやけど、最近は・・・彼らの思いを、まず一旦100%受け止めるように心掛けてる

受け止めて・・・飲み込んで・・・自分の中で消化して・・・

もちろん・・・その後に吐き出す、「自分の考え」も・・・

ゴリ押しではなくて・・・「俺やったら、こうするかな?」「それは、違うように感じるけどな?」って・・・

限りなく・・・彼ら自信(の考え)を尊重した上で、「自分の考え」を吐き出すようにしてる

※おそらく・・・普通の人やったら、こんなことは、当たり前のことなんやろうけど・・・以前の俺は、そんなことすら、出来へん人間やったんよ

 

 

だって・・・俺、思うねんけど・・・

あいつら自身・・・「正論」がなんなのか?は、ちゃんと分かってると思うんよ

「こうするべき」「こうあるべき」って・・・本来あるべき姿も、絶対に分かってるはずやし・・・

 

分かってるにも拘わらず・・・

俺に、相談してきたり・・・俺に、自分の想いを投げてきたりするっていうことは・・・

きっと、やり切れへんかったり、行き詰まってたりしてるからこそなんやろな?て、俺は思うねん

 

 

それやのに・・・

恰も、「お前、何言うてんねん!?」的な・・・「正論」っていうエクスカリバーを振りかざしてしもうたら・・・

きっと、あいつらの心の中は、グチャグチャになってしもうて・・・

余計に、身のやり場がなくなってしまうと思うねんよな?

 

俺と明美が、誠心誠意、育ててきたあいつらが・・・「正論」を理解してへんはずがない!

「正論」を理解しとっても・・・「やり切られへん!」「行き詰ってる」っていう、何らかの思いがあって・・・

身動きがとられへんようになってたり・・・身のやり場がなくなってたりしてるんやよな?・・・きっと

 

せやけど・・・・・いや、せやからこそ・・・

その気持ちを、汲み取ってやるのが・・・・・『親』なんとちゃうんかな?

 

 

(親や教育者は)誰しも・・・「己の考え」は、正しいと思ってるよ

今現在、とんでもないこと(たとえば、犯罪とか)をしてへん限り・・・

自分の歩んできた道や、自分の経験してきたことを元にした・・・

「自分の考え」が、正しいと信じて・・・子供たちに接したり説き伏せたりしてることと思う

 

子供も・・・それは、分かってるし理解もしてるんよ!?

分かってるけど・・・前述した通り、浅はかな言動、愚かな行動をしてしまうんよ

 

それは・・・子供達からしたら・・・

「親」しか、頼る者がおれへんからやん?

「親」しか、想いを吐き出せる者がおれへんからやん?

 

せやから・・・

それを、受け止めてやるだけで・・・彼ら自身を、尊重してやるだけで・・・

どんだけ、彼らの心が温まるんか?

どんだけ、彼らが安心するんか?

ほんで、それに伴って・・・

どんだけ大きな「責任」っちゅうもんを・・・彼ら自身が、自ら背負い込み始めようとするんか?

 

親が、それを汲み取ってやって・・・ちゃんとケツ持ちをしてやったら・・・

子供は、ちゃんと自分で考え、自分で行動するようになる

 

そないすることで・・・

自分で吐き出した言葉や、自分の行動に「責任」を持ち始めるんとちゃうんかな?

それが、「自己責任」なんとちゃうんかな?って・・・俺は考えてるねんけど・・・

 

 

我が子(生徒)との信頼関係を築き上げるために、一番大切なことは・・・

彼らを「思いやり」「信じて」「待って」「許してやること!」

ただ、それに尽きると思う

 

 

「子供たちを信頼してる!」

そない、口にするのは簡単なことやけど・・・

「「正論」で、抑え込もうとしてる時点で・・・子供を「信頼」できてへん証拠やんけっ!」

俺は・・・そない、自分に言い聞かせて・・・

「思いやり」「信じて」「待って」「許す」ようにしてる

 

自分が、誠心誠意、育ててきた彼らが・・・

何かを訴えようとしてる

何かを求めてる

何か行動を起こそうとしてる

その心の奥底まで、のぞき込んでやる「ゆとり」を持つことができたなら・・・

彼らは・・・きっと、救われるんやろうな?って・・・

俺は・・・そない考えてる

 

 

 

 

話が、大きく逸れてしもうた感じになったけど・・・

結局は・・・誰に対しても、「思いやり」を持って、「信じて」「待って」「許してやる」ことが、一番大事なんとちゃうんかな?って・・・

最近は・・・そない、考えられるようになったっていう話

 

 

 

入社2年目・・・

仕事は・・・さらに、忙しくなっとった

正直にいうて・・・「練習したい」なんて、悠長なことを言うてられへんほど、毎日毎日、忙しく営業活動に追いやられとった

 

 

そんな・・・お世辞にも、ベストコンディションとはいわれへんような状態で迎えた・・・

2回目の「全日本実業団体重別選手権大会」

 

俺は・・・2回戦で、大学の3歳上の先輩と対戦することになった

 

俺は・・・その先輩のことが、正直、気に入らへんかった

その先輩は・・・大学を卒業した後も、大学に残って練習にいらっしゃってたけど・・・

大学在学中、ほんで卒業された後も・・・俺は、その先輩に、良く思われてへんかったんやろな?

事ある毎に、文句を言われたり・・・陰険な言葉も多々吐き出されたりした

 

せやけど・・・俺が、大学3年生の後半くらい(練習に真面目に取り組み始めたくらい)からは・・・

俺自身も・・・ちょっとずつ、レベルアップが図られてきた

それに伴って・・・練習中、乱取りの相手をお願いをしにいったりもしたんやけど・・・先輩が、俺の相手をしてくれることはなかった

 

練習を断られる理由は何なんか?は、分かれへんけど・・・

俺は、その頃から、「練習であっても、試合であっても、その時が来たら徹底的にやってやる!」っていう、そんな思いでおった

 

それが・・・実業団の大会で、対戦できることになった

俺は・・・「勝ってやる」っていうことよりも、言い方は悪いが「壊してやる」(要するに、腕の一本を関節技で折ってやるって考えとったんやな?)・・・そう考えて、試合に挑んだ

 

あの試合・・・俺にとっては、「柔道」じゃなかった

「喧嘩」・・・やった

 

5分間の試合の中で、今まで積み重ねてきた自分の技に、飛び込めるシーンは何べんか?あったと思うけど・・・

俺は・・・再三にわたって、飛び十字関節、巴投げからの十字関節、そればっかり(壊してやる)に拘って、試合、いや喧嘩をしとった

 

結果・・・旗判定、3-0で判定負けやった

 

試合が終わってから、我に返った

「負けた」

そう・・・「負けた」ねん

「喧嘩」をしてるつもりの俺自身やったけど・・・柔道の「試合」で「負けた」ねん

 

情けなかった・・・

「感情」に左右されてもうて・・・冷静な試合運び、試合の組み立てが、まったくできてへんかった自分自身を、ものごっつい恥じた

(もちろん、先輩に対しても・・・あのような感情を持ち、あのような思いをぶつけてしまったことを・・・今となっては、ホンマに自責の念にかられてるし、ホンマに申し訳なく思ってる)

 

 

俺が負けた、その先輩は・・・その大会で上位に入賞された

「たら」「れば」は、言うてもしゃあないことやけど・・・

勝つつもりで戦って「たら」・・・試合を、ちゃんと組み立てて「たら」・・・違う内容やったんかも知れへん

 

せやけど・・・その結果は、『必然』やったんやろな?

「感情の抑制」をすることができへんかった、俺の失態のほか何ものでもなかったねんから・・・

 

 

そないして・・・俺の社会人2年目の夏の実業団の大会が終わった

 

・・・・・っていうより、仕事の忙しさ、その状況での減量の厳しさ、練習・トレーニング不足など・・・

事実上・・・俺のチャンピオンスポーツとしての「柔道」は、この夏の実業団の大会が最後になってしまうことになる

講道館杯に出場できることになったはええけど・・・仕事(営業)の方は、より一層忙しくなってきた

毎日の営業活動・・・夜間の機動隊勤務の応援・・・土日には、銀行のキャッシュコーナーの対応(銀行職員が休日のため)

その分、残業手当が多くて、同年代よりに比べたら、ええ金額の給料はいただいとったけど・・・

如何せん、練習をする時間は限りなく少なくなっとった

 

 

そんな状態の中で迎えた・・・講道館杯

1回戦・・・筑波大学出身の内村選手との対戦やった

 

内村選手は、俺と同じ歳なんやけど・・・高校1年生の時に、既にインターハイ準優勝しとって・・・その後も、ジュニアの大会、大学生の大会、また国際大会にも、日本の代表として派遣されてるほどの強豪選手

俺は・・・まともに柔道をしたら、勝ち目はないなって思ってたから・・・

片手のみを持っての袖釣り込み・・・飛び十字関節・・・隅返し・・・果敢に攻めた

 

内村選手は、左組み・・・ほんで、得意技は「背負い投げ」(っていうより、超一流の「背負い投げ」)

右組みの俺とは、喧嘩四つになる

 

その時、ホンマに驚かされたことがある

釣り手をしっかりと抑えて、この状態では、絶対に「背負い投げ」は入られへんやろう状態を作ってたにも拘らず・・・

気が付いた時には・・・スッと、俺の股の間に入られとった

 

幸い、投げられることはあれへんかったけど・・・俺は、メッチャ混乱した

「何でやねん!? なんで、この状態で「背負い投げ」に入られるねん!?」

それを、試合の中で理解して、対応策を考えることなんかできへんから・・・徹底して、「背負い投げ」を防御しとったねんけど・・・

やっぱり・・・一流選手やでな?

 

「背負い投げ」を・・・俺の頭に、完全にインプットした後・・・

「背負い投げ」に入られた時に、俺がスライドさせた左足を取られて(当時は、足を持っても反則ではなかった)・・・

俺は半身で尻もちをついてしもうて・・・「効果」(当時のポイントは、「一本」「技あり」「有効」「効果」の4種類)を奪われた

 

俺は・・・学生の頃から、投げられて負けるっていうことは、ほとんど皆無やった

ポカをして、抑え込まれたり・・・判定で負けたりすることはあっても・・・「ポイントは奪われへん!」っちゅうことに、ある程度の自信を持っとった

せやけど・・・「やっぱり一流選手は、試合の組み立てが違うんやな?」って、痛感させられた試合やった

ちなみに、その年・・・内村選手は、全日本体重別で優勝して、オリンピックの補欠にまで選出されてる

 

ほんで・・・さらに、ちなみに・・・

20数年経った現在・・・長男(REN)の大学(大阪産業大学)の監督でいてくださるっちゅうことには、ホンマにおもしろい巡り合わせを感じてる(^^)

 

 

 

俺の思い描いとった「目標」は・・・当然やけど、そんな甘いもんじゃなく・・・

1回戦敗退っちゅう結果に、終わってしもうた

平成5年4月・・・俺は社会人になった

 

当初・・・俺と同じ大学から、もう一人(同級生)、綜合警備保障に入社しとった

先に入社しとった、3歳年上の先輩から・・・

「お前ら、同じくらいの実力なんだから・・・一度、試合をしろ! それで、勝った方が「採用課」、負けた方が「営業課」に配属させるから・・・」

採用課は・・・結構、柔道の練習時間を自由に取れるため・・・

流れ的に・・・柔道や剣道を続けることを目論んで入社してくる連中は、だいたい「採用課」に籍を置いとった

 

俺は、迷わず・・・「自分は、「営業課」でいいです!」・・・そない、先輩に告げた

誰に言われたんか?忘れたけど・・・

「将来のために、「営業」はやっといた方がええぞ!」

そんな類の言葉が・・・俺の耳に残ってたもんやから・・・俺は、迷わず「営業課」を選択した

当然・・・先輩は「???」っていう顔をしとったけどな

「最近の若者は・・・」

 

 

 

「ALSOKで「柔道」をしとった」っていうたら・・・まぁまぁ、聞こえはええけど・・・

実は、俺らくらいのレベルやと・・・会社全体が、もろ手を挙げて応援してくれるっていう訳では、決してあれへんかった

 

そらぁ、そうやわな?

営業畑一本で上がってきた、支社長や次長、課長が・・・若手社員が同じように会社に在籍しとって、「「柔道」をすることで、営業成績が上がれへん」なんてことを、認めてくれるはずかないねんから・・・

 

 

そんな中で・・・俺は必死に営業活動をした

ほんで・・・時間の許す限り、午後の時間なんかを使って、近所の高校に練習に出向いた

もちろん、その練習時間は、会社側が取ってくれてる訳ではなくて・・・営業成績、お客様との約束時間の調整等、1日、1週間、1ヶ月って、自分自身で調整する必要があった

 

 

夏の全日本実業団体重別選手権の前なんかは・・・

国際武道大学、東海大学、ほんで、試合4~5日前は、和歌山北高校(大会会場が兵庫(関西やったため)って、3週間近くも会社を留守にすることもあったし・・・・・おまけに、7~8kgの減量も強いられとった

それでも・・・営業成績は、きっちりと求められた

 

大学時代とは違って・・・そうやって、己自身で時間調整、体調管理、いろんなストレスを抱えとったもんやから、決してベストコンディションではなかったと思うけど・・・

俺は、入社一年目の「全日本実業団体重別選手権」で、なんとか3位入賞することができた

 

正直・・・ベスト4を掛けた準々決勝は、自分自身でどうやって戦ったんか?を、まったく覚えてへん

「覚えてへん」っていうより・・・「死に物狂い」やった

なんとか、ベスト4に食い込んで・・・講道館杯の出場権が欲しかったっちゅうのがあったんやと思うけど・・・

冷静に、相手の動きを見ることもできへんくらい・・・「必死」になって「死に物狂い」で戦ったっちゅう試合は・・・後にも先にも、この試合だけしかあれへん

そんぐらい・・・

講道館杯への切符は・・・俺自身、どないしてでも手に入れたいもんやった

 

 

ちなみに・・・ベスト4に上がった後は、自分の中の「電池が切れた」んやろな?

練習量の少なさ、ほんで減量の影響からのスタミナ不足も重なって・・・東海大学出身の松岡選手相手に、あっけなく一本負けをしてる

以前にも、この場で記したけど・・・

22年の時を経て・・・

この土壇場であっても、集中力を切らすことなく、「勝つ」ことに執着する人間こそが『勝負師』なんやろうな?って・・・

俺自身、「己自身のメンタルの弱さ」を、十二分に理解してる

 

 

そないして・・・

どうにか、こうにか、ギリギリのラインやったけど・・・

大学生の時に果たされへんかった「目標」への第一歩を・・・俺は、踏み出すことができた

 

 

新たな出会い・・・自分自身の可能性?・・・やり残したこと・・・割り切られへん自分自身・・・

そんなことが、心の中を巡り巡って・・・

俺は・・・この先、歩んでいく『道』を決断した

 

『柔道』

 

俺には・・・それしかなかった

わずか、2~3歳くらいの時から、お婆ちゃんが縫ってくれた、柔道衣を着て畳の上に転がってた・・・俺

 

中学生までは・・・本気の「柔道」っていうもんさえも分からんまま、スポーツ少年団の道場で、週に1回の練習

せやのにも拘らず・・・高校を選択する時期になったら、当時、強豪校やった「和歌山北高校」を選択した

「和歌山北高校」は、県立高校やから・・・当然、大阪からは受験できへん

せやから・・・中学3年生の夏休み明けから、和歌山市内の中学に転校までして、「和歌山北高校」に進学した

 

高校を卒業する時も・・・「柔道を辞める」なんていう選択は、考えたこともなかったし・・・

迷うことなく、国際武道大学に進学した

 

 

せやから?・・・やったんかなぁ~?

結局・・・俺は、大学卒業後も『柔道』を続ける選択をした

 

実業団、警察、自衛隊など・・・

いくつかあった選択肢の中から・・・俺は、綜合警備保障(ALSOK)に興味を持った

 

あるルートを経由して・・・その夏の終わりに、綜合警備保障の常務取締役(柔道部顧問?)にお会いさせていただき、綜合警備保障に入社したい意向を告げた

 

話は、とんとん拍子に進んで・・・入社試験(面接)を受けに、本社(赤坂)に出向いた

入社試験当日・・・面接で、いくつかの質問されたねんけど・・・

まったく、何を言うてるんか?分かれへんくて・・・「分かりません!」の一点張りやった(^_^;)

 

ほんなら、面接の方・・・

「あなたは、〇〇常務を通して、当社で柔道をする方ですか?」

「はい! そうです!」

「では・・・もう、結構です」

 

そんな、内容やったと思うけど・・・

後日、自宅に採用通知が届いた

関東予選で負けてもうた俺は・・・

大学におっても・・・次の目標がないもんやから、モチベーションを持って、練習ができる訳でもあれへん

誰か(同級生)に、心を開いてきたわけでもあれへんから、バカになって騒げる仲間もおらへん

俺の昔の親友たちは、みんな大阪におったから・・・俺は、気分転換も兼ねて、大阪に帰省することにした

 

それと同時に・・・

当初、11月に教育実習に行く予定にしとった、母校「和歌山北高校」に連絡をしてみたら・・・

「6月でもOK!」との返答をいただいて・・・

俺は、急遽、6月1日から3週間・・・和歌山北高校に教育実習に行くことになった

 

曲がりなりにも・・・本気で、「全日本学生体重別選手権」(当時は、夏前に開催やったと思うねんけどな?)に出場するつもりやった俺は・・・

教育実習を、11月にセッティングしとったねんけど・・・ホンマに、急な変更やった

 

余談やけど・・・

教育実習って・・・元々、勉強なんかしたことがあれへんのにも拘わらず・・・生徒の前で、授業をせなアカンねんで!?

おまけに、研究授業とかいうて・・・大勢の先生が見とる前で、授業をせなアカンとかもあったし・・・

せやから、俺は・・・

子供の頃からの親友(彼は、俺とは全く別の人種やから、勉強はある程度できる奴)に・・・

バイク(当時、仲間みんなで乗ってたアメリカン)のハンドルを、付け替える作業をしてやる代わりにっちゅうことで・・・授業のスケジュール?授業内容?とかを、全部作成してもらった(^^;)

 

 

 

そんな実習中のある日・・・

実習生の意見交換会?みたいなもんが、ある教室で行われた

「ダルいなぁ~」って思いながら、その場におったねんけど・・・一人の女性が、俺の目に飛び込んできた

「この娘、可愛いなぁ~? 実習中、こっち(和歌山)におるし・・・暇つぶしに、この娘と遊んじゃおっかなぁ?!(^^)!」

そんな軽い気持ちで・・・俺は、その娘に声を掛けてみた

 

「お食事でも、いかがですか?」

 

ちゃんとした返事をもらったんか?強引やったんか?・・・忘れてもうたけど・・・

いずれにしても・・・俺は、その娘と食事に行くことになった

 

それから・・・

3週間の実習中・・・何べんか?その娘と晩飯を食いにいったり・・・休みの日には、遊びに出掛けたりもした

 

ちょっと、いっしょに晩飯食って・・・ちょっと、遊んで・・・・・っていうつもりが・・・

時間の経過と共に・・・俺は自分の気持ち自体、身動きがとられへんようになっていった

 

「なんでやろう??? こんなはずじゃ、あれへんのに・・・」

(あの頃の俺は、交際してる女性がおっても、平気な顔して別の女性とも遊べてしまう・・・そんな悪い奴やった(^^;))

 

俺の中で・・・何かが違っとった

俺の中で・・・何かが変わり始めとった

 

俺は・・・自分の気持ちが、えらい宙ぶらりんになってもうてるもんやから・・・

当時、交際しとった人に対して・・・「もう、いっしょにはおられへん!」っていうことを伝えた

そんな、中途半端な気持ちのまま・・・その場に己自身の身を置いてることに、ものごっつい抵抗があったから・・・・・

 

ほんで、また・・・

「想いを伝えて、もしアカンかったら・・・元サヤにもどったらええだけのことやん!?」

そんな「逃げ場」を作ったままの、中途半端な状態で想いを伝えることは、この娘に対してはできへんな?って思うくらい・・・

なんでやろう?・・・俺自身、その娘に対する想いは純白やった

(あんだけ、悪さしとったのに・・・

いや、悪さしとったからこそ・・・「いつもと違う自分」っちゅうもんが、手に取るように分かったんかも知れへんな)

 

 

「もし、断られたら・・・独りになって、いろんなことを反省したらいい!  ほんなら、いろんなことを考え直すこともできる!

いずれにしても・・・己自身の人生を、新たに再出発させる、ええ機会や!」

俺は・・・そない考えとった

もちろん・・・柔道のこと・・・就職のこと・・・この先の己自身の人生についても全部

 

そんな覚悟を持って・・・

「俺といっしょに、おってほしい!」

その娘に、そない伝えることは・・・その時の俺にとって、『必然』やった

 

 

せやけど・・・

彼女は・・・首を縦には、振れへんかった

 

 

 

 

そんな中・・・

彼女の方が、教育実習の日程が短い(教科によって違う)っていうこともあって・・・彼女は、大阪の大学に戻ってしもうた

 

彼女には、付き合ってる人がおるようやった

せやけど・・・

曲がりなりにも・・・こんな俺と、数日間いっしょに時間を過ごしたっちゅうことは・・・何かしら、自分の生活(今ある環境)に「不満」を持ってるからやろ!?・・・・・俺は、そない考えとった

 

そんな時・・・

ちょっとした出来事があって、俺と接点を持ってることが・・・彼女が付き合ってた人にバレてしもうた

それからっちゅうもの・・・電話をしてはみるものの、彼女は困惑する一方やった

 

俺は・・・いろんなことを、面と向かって確かめたくて・・・

彼女と会う約束をして、彼女がおる大阪まで会いに行くことになった

 

なんでやろう?

彼女からは・・・(自分のマンションから、だいぶ離れた場所の)「駅に来てほしい」って言われた

 

俺は、駅前のロータリーに車を停めた

助手席に乗り込んだきた彼女は、うつむいたまま何もしゃべらへんかった

 

「どないしてん?」・・・そない訪ねた、俺に・・・

「「もう・・・会うな!」って言われたから・・・「もう、会われへん」ってだけ、伝えにきた」

彼女は、泣きながら・・・そない答えた

 

「嫌やったら、戻れへんかったらええやん!?  俺のとこに、こいよ!!」

俺は、泣いてる彼女に、そない伝えたけど・・・うつむいたまま首を小さく横に振るだけやった

 

彼女が、付き合ってた人は・・・大学の仲間内の人やったらしいんやけど・・・

もし、そこを蹴飛ばしたら・・・その後の大学生活は、「独りぼっち」になってしまうんじゃないか?っていう、「不安」と「自分の気持ち」との間で・・・彼女自身、ものごっつい葛藤があったみたいやった

俺は、泣いてる彼女を抱きしめたけど・・・心の中は、「刹那さ」っちゅうもんだけに支配されとった

 

 

どんくらい、時間が経ったんやろう?

彼女は、黙って車を降りて・・・うつむいたまま、バス乗り場の方に歩いて行った

俺の方を・・・いっぺんたりとも、振り返ることなく・・・

 

 

彼女がバスに乗り込んで、姿が見えへんようになった時・・・

俺は、自分自身のやり場のない「想い」を抑えることができへんくなった

 

このまま、黙って彼女を帰したら・・・俺は、絶対に後悔する!

格好悪くてもええから・・・蔑まれてもええから・・・己自身が納得できる行動をしよう!

そない思った俺は・・・車を降りて、無我夢中でバスの方に向かって走った

 

そのまま・・・

バスの中まで乗り込んでいって、彼女の手を握って・・・俺は、彼女をバスから降ろした

「そんなに嫌やったら、行かへんかったらええやん!?  俺のとこに、こいよ!!  俺が、ちゃんとスジ通すから!」

精一杯の気持ちで、そない伝えたけど・・・彼女は、ずっと、うつむいたままやった

 

 

 

 

 

煮え切れへんままの時が過ぎて・・・

俺の教育実習も終わって・・・俺自身も、大学(千葉)に帰った

俺は・・・千葉の方からも、しつこく毎日毎日、彼女に電話をした

 

せやけど・・・

話せば話すほど・・・「刹那さ」が、とめどなく溢れ出てきて・・・

俺らは、お互い・・・身のやり場を、見失っとったのは明らかやった

 

 

 

約1か月後・・・

7月末、大学の夏休みになるや否や・・・俺は、実家に帰って、彼女と会う約束をした

彼女も、就職試験等で、和歌山に帰ってきとったから・・・

 

和歌山駅の前で、待ち合わせて・・・二人で、和歌山城の公園を歩いた

その日も、俺は・・・彼女に、「俺のとこに、こいよ!」って・・・

そない伝えたけど・・・彼女は、決して首を縦には振ることはせえへんかった

 

俺自身・・・あんなに、「刹那さ」を感じたことは・・・後にも先にも、いっぺんもない!

そんくらい・・・・・刹那い、1~2ヶ月やった

 

 

 

お盆近く?やったかな?

夏の風物詩・・・大阪湾に面した海水浴場での「花火大会」

俺は、親友たちといっしょに、花火を見にいくことになった

その時に・・・俺は、彼女も誘っておいたねんけど・・・

 

彼女と並んで・・・花火を見上げてた

夏も、もうすぐ終わりを告げる

そしたら・・・俺は、大学(千葉)に戻らなアカン

彼女も・・・大学に戻ってしまう

俺の手の届けへん場所にいってしまう

「どんだけ足掻いても、無理なもんは無理なんかなぁ~?」

彼女の横顔を見てたら・・・これでもかっ!っていうくらいの「刹那さ」がこみ上げてきた

俺は、今すぐにでも・・・嗚咽しながら、思いっきり泣きたいくらいの心境やった

 

 

咄嗟に・・・彼女が、俺に向かって言うた

「「もう、会われへん!」って・・・言ってきた」

 

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・

?????

 

一瞬、時が止まった

せやけど、すぐさま我に返った俺は・・・息を呑んで、こう吐き出した

 

「俺の・・とこに・・・こい・・よ?」

 

そう吐き出した後・・・たった1~2秒やったんやろうけど・・・

俺には・・・ものごっつい、長い時間に感じた

 

彼女は・・・黙って、頷いてくれた

 

「やったぁ~~~っ!!」

 

そない大声で叫びながら・・・俺は、思いっきり彼女を抱き上げた

 

周りに、メッチャ人がおったけど・・・そんなこと、その時の俺には、まったく関係あれへんかった

 

22年間、生きてきて・・・

嬉しさのあまり、涙が止まれへん!っちゅうのは・・・その時が、初めてやった

 

 

 

 

 

 

あれから・・・26年

 

教育実習中、ちょっとだけ遊ぼっかなぁ~?っていうつもりで、声を掛けた彼女は・・・

今も俺のとなりで、人生を共に歩いてくれてる

 

誰にも、開こうとせえへんかった、俺に閉じたままの心に・・・光が射し込んだような気がした

ほんで、その光は・・・26年経った今でも、俺の心を「明るく美しく」照らし続けてくれてる

 

この出会いこそが・・・俺が、今の『俺自身』でおられる最大の要因やと思ってる

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

一生懸命精進して・・・一生懸命努力して・・・

それでも・・・人生は、思い通りになれへんことの方が多い

 

俺自身・・・必死になって追いかけてきた「目標」は・・・南條選手(先生)との試合で、打ち砕かれてしもうた

せやけど・・・

その敗戦こそが・・・俺の人生にとっての最大の「分岐点」

『最高の『必然』』やったんや!と思ってる

 

もし・・・旗判定の色が、1本でも違っとったとしたら・・・?

もしかしたら、俺は・・・そのまま関東の代表になって、全日本学生体重別でも、それなりの成績を収めたかも知れへん(でもまぁ、勝負事やから、何とも言われへんことやけどね?)

ほんで、その流れに乗れたなら・・・柔道の世界で生きていく人生になっとったと思うし・・・

もしかしたら、どっかの高校の柔道部の監督になっとったかも知れへん

 

そないなってたら・・・

もちろん・・・「北岡道場」は、なかったやろう?(仮にあったとしても、今現在の場所にはなかったやろうな)

ほんなら・・・

今、出会ってる道場生たちにも出会うことはなかったやろうし・・・

今、このブログを読んでくださってる皆さんにも、間違いなく出会ってへんかったやろう

 

 

せやけど・・・俺は、負けた

負けたことで・・・教育実習を、11月から6月に変更してもらった

そないしたことで・・・一生、交わることはなかったであろう、彼女に出会うことができた

ほんで・・・

その『必然』が・・・俺の人生を、大きく変えてくれた

当然のことやけど・・・彼女に出会ってへんかったら、悠葉先生、REN、SO、YAMATOにも出会えてへんっちゅうことになる

 

 

せやけど・・・何よりも・・・

己自身・・・彼女に対する「想い」を、諦めへんくて良かった

恥もクソもない・・・情けない姿この上なかったけど・・・

せやけど・・・ホンマに、諦めへんくて良かった

 

諦めてたら・・・そこで、すべてが終わってしもうてた

泣こうが・・・喚こうが・・・格好悪かろうが・・・情けなかろうが・・・

最後の最後に、「畳」の上に立ってた者が・・・『勝者』や!

襟は・・・あとで、ナンボでも正せるねんから・・・

 

俺は、そない考えてる

 

一番好きな『女性』と・・・

せやから・・・我が子や道場生に、こないして物事を伝えるんやけどね

 

 

己自身が、どないしてでも手に入れたいもんがあったとする

それが・・・金メダルなんか?・・・彼女なんか?・・・学業成績なんか?・・・etc・・・

いずれにしても・・・それを、どないしてでも手に入れたいと感じた(「その時」やと感じた)んなら・・・

「周りに、どない思われるか?」なんていうことは、一切考える必要はあれへん!

 

すべての物を投げ捨ててでも・・・

「己自身が、どうしたいんか?」

ただ、それだけを考えて行動するべきや!

 

どないなことをしてでも・・・どないな結果になったとしてでも・・・

「後悔」っちゅうもんは、大なり小なり心に残るもんや

 

せやけど・・・いや、せやからこそ・・・

己自身が、己自身に「納得」できる行動をした方が絶対にいい!

そないせえへんかったら・・・未来の己自身に胸を張って、次に進むことができへんと思うから・・・

 

俺は・・・大学時代に、己自身の経験から、実際に多くのことを学んだ

だからこそ・・・その後の人生も、そうやって生きてきたし・・・これからも、そうやって生きていくつもりでおる

 

もちろん・・・我が子や道場生たちに対して、吐き出してる言葉は・・・

決して、机上の空論ではなくて・・・俺の経験を元に、『言霊』として吐き出してるつもりでおる

 

 

 

 

もし仮に・・・どっかに、今とは違うもう一つの人生っちゅうもんが存在しとったとしたら???

たとえ、その人生が・・・傍目から見ても、とんでもないくらい素晴らしい人生やったとしても・・・

俺は・・・今の人生を選ぶよ

 

だって、俺は・・・『今』が、最高に幸せやから・・・

他と比べたら?なんてことは、考えたこともあれへん

 

誰でも・・・自分自身の過去を振り返った時・・・

「こうしてたら良かった」「こうしてもらってたら良かった」「こうあるべきやった」etc・・・

山ほどの後悔があることやろう?

 

せやけど・・・

「そうしてけえへんかった」ことも・・・「そうしてもらわれへんかった」ことも・・・「そうできへんかった」ことも・・・

すべては・・・『必然』やったんやろな?って思うんよ

 

 

過去には・・・どんなことをしても戻ることはできへん!

せやけど・・・未来は、誰にでも絶対に存在する!

 

それやったら・・・

己の身に起こりべくして起こった『必然』を真摯に受け止めて・・・

次に訪れるであろう『必然』を、素晴らしいもんに変えることができるのは・・・

「己の『心』ひとつ」とちゃうんかな?って・・・俺は思ってるんよ

 

せやねん!!

『幸せ』は・・・「成る」もんではなくて、「感じる」もんやねん!

ほんで・・・

『幸せ』は・・・己の『心』が決めることやから・・・

 

 

12月8日(土)、練習終わりの整列の時・・・

   

  O 

 

・・・・・って、道場のみんな(生徒もご父兄の方々も)がお祝いをしてくれた

 

 

俺・・・誕生日を祝ってもらったっていうことよりも・・・

この「ファミリー(大家族)」で、いれることが・・・ホンマに、誇らしくて・・・

ただただ、嬉しくて・・・涙が止まれへんかった

 

 

今・・・『必然』っていうタイトルで、ブログを書いてるんやけど・・・

道場設立の時のこととか・・・俺自身が路頭に迷っとった時のこととかを、思い返したりして書いてた時やったから・・・

みんなからの「お祝い」が・・・俺の心にスッと入り込んできて、心の中が浄化される思いやったわ

 

 

この場で、何べんも何べんも記したことがあったと思うけど・・・

「あの頃」・・・

こんな日が訪れるなんて・・・夢にも思われへんかった

明美と二人・・・

お互いに、何も言わへんかったけど・・・抱えてる「しんどさ」は、限りなくデカかった

 

 

 

 

『必然』のブログで、また記載すると思うけど・・・

ホンマに・・・素晴らしい『ファミリー(大家族)』やと思ってる

 

 

ある人が・・・いつも、俺と明美に言うてくれる言葉があるねんけど・・・

その言葉を、ちょっとお借りするわな

 

『出会い』に感謝!!

 

 

 

 

 

 

道場生みんなからも・・・

「体に気を付けてください!」

「長生きしてください!」

・・・って言われたし・・・

 

俺も、ええ歳やから・・・これからは、特に・・・

健康には・・・十分、気を配っていきたいと思います!

(その割には、あいつら・・・

チョコレートだの、グミだの、激辛だの、ブタメンだの・・・体に悪そうなもんばっかりくれとったな(^^;))

 

 

いずれにしても・・・

大家族のみんな!

お祝いをいただいたこと、心より御礼申し上げます!

ありがとうございました!

 

 

元気出していこう!

READY! GO!!

 

 

 

迎えた、関東予選当日・・・

1回戦を、難なく一本勝ちで勝った俺は・・・続く2回戦、南條選手と畳の上で向かい合った

 

一礼をして、一歩前に出た状態までいったのに、時計の問題なんか?審判(副審)の問題なんか?・・・一旦、試合会場の外に出された

闘争本能剥き出しで、俺の頭の中は、今にもシリンダーヘッドが飛び出してしまうんとちゃうか?っちゅうくらい、ギンギンに熱くなっとったから・・・その時間で、ちょっと冷静さを取り戻せたような気がした

 

大きく深呼吸して・・・仕切り直し

冷静になれたことで・・・序盤から、相手の動きを見切ることができた

袖釣り込み腰、飛び十字関節、隅返し、背負い投げ、左一本背負い・・・

ポイントを奪うことはできへんかったけど・・・5分間の試合時間をちゃんと組み立てて、要所要所で自分の思い通りの動き・試合展開ができた

 

南條選手は・・・喧嘩四つ(左組)から、低い背負い投げを何度も撃ってきた

背負い投げは、きっちり凌いだねんけど・・・その背負い投げの後、必ず寝技に引き込んでくるっていう展開が繰り返された

3回目やったか?4回目やったか?に、寝技に引き込まれた時・・・俺は、熱くなり過ぎしもうて・・・

「引き込んでばっかりすんじゃねぇよ! この野郎!!」って吐き出しながら、南條選手の足を弾き飛ばしてもうた

当然、審判から・・・お咎めを受けたのは、言うまでもないけどな

 

 

試合は・・・一進一退のまま、終了を迎えた

 

旗判定・・・「2-1」

俺は・・・負けた

寝技の攻撃を見られたんか?試合の流れを見られたんか?・・・いずれにしても、俺は負けてしもうた

 

その「負け」によって・・・俺が目標にしとった、いや限りなく現実味を帯びとった、「全日本学生体重別選手権」~「講道館杯」への道は、完全に閉ざされてしもうた

なんとしてでも・・・学生の間に、その流れに乗っておきたいって考えとった俺は・・・歯が折れてまうんとちゃうか?っていうくらい、奥歯をかみしめた

 

悔しくて悔しくて、飲んどったペットボトルを地面に思いっきり叩きつけて・・・「クソッたれがっ~!!」って、大声で叫んだ

自分の「負け」を、自分自身で受け入れることができへんかった俺は・・・メッチャ荒れて、メッチャ落ち込んだ

 

その落ち込みを物語るかのように・・・

実は・・・試合が終わった直後辺りまでは覚えてるんやけど・・・その後の記憶は、俺の頭の中からすっぽりと消えてる

もちろん、国際武道大学から、各階級4名ずつ出場してるもんやから・・・すべての大会が終わるまで、観覧席で観てたはずなんやけど・・・俺は、どこで何をしとったんか?何ひとつ記憶してない

もっと言うたら・・・

その日・・・埼玉県の会場から千葉県勝浦の大学の寮まで、どないして帰ったんか?さえ、まったく記憶にはあれはへんねん

それくらい・・・俺の中では、時が止まってしもうてた

 

 

俺は・・・目標がなくなってしもうた

現実的に、学生柔道が終わってもうたことで・・・自分自身に、これから先に見出せるもんが見当たれへんくて・・・

俺は・・・完全に、抜け殻になっとった

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