2018年 5月

先日・・・こんな話を耳にした

 

ある団体スポーツの少年団体・・・

練習量は、半端なもんやないし・・・監督、コーチの熱のこもった指導も、これまた半端やない・・・

おまけに、先輩後輩の関係性も、俺らの高校時代を思い起こさせるくらい、ものごっついハード・・・(ちなみに・・・その上下関係が、学年に応じて、ご父兄同士の関係性にも影響を及ぼしてるっちゅうのには、結構驚いたけど・・・(^_^;))

 

 

また・・・

ハードな練習によって、鍛えられた「フィジカル」・・・

日々、あらゆる角度から、創り上げられた「メンタル」・・・

多くの練習量から得た「スキル」・・・

それらを駆使して・・・どんな大会であれ、監督、コーチは、当然のように上位まで上り詰めるつもりでいらっしゃる

 

それでも・・・「勝負」事である以上、「敗北」を喫する時も、もちろんある

 

せやけど・・・

その「敗北」を喫した時、監督やコーチ陣は・・・

敗退した選手の心の傷に、塩を塗り込むが如く・・・子供たちを攻め立てたと聞いた

時には、罵声・・・時には、怒号・・・時には、蔑んだ言葉で・・・

敗戦を喫して・・・一番悔しい想いをしてる、子供達に対して・・・

 

もちろん・・・『今』現在の「勝った」「負けた」を基本ベースに、将来につながる「糧」を得るべく、子供たちを叱咤してらっしゃることなんやろうから・・・

決して、それが悪いことやなんて言うつもりで、ピックアップしてる訳ではあれへんことは、ご理解いただきたい

それに、俺は・・・その場におった訳ではあれへんし・・・常々、練習を見させていただいてる訳でもあれへんから・・・「良い」か?「悪い」か?なんて、一概には言われへん

 

せやけど・・・

内容を聞く限りでは・・・俺の考え(教育方針)とは、違ってたし・・・

もしかしたら・・・その叱咤には、監督やコーチの現時点での「感情」や「利欲」が乗っかってたんかな?っていう印象も受けたから・・・俺の考え方を記すためにも、あえて記させていただいた

せやから・・・その方々の心の中の本心までは、当然、俺には分かれへん

 

 

 

 

ちなみに・・・俺自身は?っていうたら・・・

基本的に・・・今日、明日の「勝った」「負けた」「頑張った」「頑張ってへん」なんてことに対しては・・・まったくと言うていいほど、重要性を感じてへん

 

そんなことより・・・

「勝った」ことから、学ぶこと

「負けた」ことから、学ぶこと

「頑張った」ことから、学ぶこと

「頑張れへんかった」ことから、学ぶこと

 

彼らの身の回りに起こることは・・・すべて、「必然」であって・・・

そのすべての「必然」から、将来に向けて学ぶことっちゅうもんの方が、いっぱいあると思ってる

 

ほんで、その学んだことを「糧」に、将来にどのようにつなげていくんか?っていうのが・・・自己責任であり・・・己自身のプライドであり・・・己自身の「進化」なんとちゃうんかな?って、俺は思ってる

 

せやから・・・

「負けた」こと、「頑張ってへん」ことに対して、蔑んだ言葉を投げるよりは・・・

現時点で起こり得てる物事が、何故「必然」であったのか?を理解してもらうべく説明して・・・

その上で、「子供たち自身の「感受性」を、どないな形で揺さぶったったらええんやろう?」っちゅうことを・・・俺やったら考える

 

 

 

もし・・・今、「北岡道場」っていう「教育」の現場の中で・・・

俺(監督)自身が、「感情」や「利欲」を乗っけた罵声や怒号、冷めた言葉で、子供たちの「敗北」を蔑んだとしよう

そないすることでも・・・中には、「負けた」ことを、自分自身で振り返って・・・「もっと、頑張らなければ!」って、考えを持ってくれる子もおるかも知れへん

 

せやけど・・・大半の子達は、「負けたことに対して、怒られた」っちゅうことだけが、心の中の大きなパーセンテージを占めてしまうんとちゃうんかな?って、俺は思うねん

だって・・・あいつら、純粋無垢な『子供』やねんから

 

せやけど・・・今は、子供やけど・・・

彼らも、当然、大人になっていきよる

大人になって、(その扱われ方が)点と点が線で結ばれた時・・・彼らは、どない感じるんやろう?ってことまで・・・哀しいかな?俺は、考えてしまう

だからこそ・・・足元だけを見てる、「教育」という名ばかりのもんは、子供らに与えてはいかんのんとちゃうんかな?って、俺は思うんよな

 

それに・・・

そんな環境の中に浸かってる、子供たちの中からは・・・

自分より、できへん後輩をいびったり・・・自分より、行動の遅い後輩を蔑んだり・・・

そんなことをする子も、出てきてしまうんやないんかな?

 

おまけに・・・人間って、そんなに完璧にできてへんから・・・

自分自身を見つめ直すことよりも、「他人のせい」にしてまうことが、限りなく増えてきてしまうんとちゃうんかな?

 

大人でかって、そうなんやから・・・

いや・・・もしかしたら・・・

そないな環境に浸かってきた者が・・・大人になっても、物事を「他人のせい」にしてしまう傾向があるんかも知れへんよな?

 

もちろん、これらすべては・・・俺が勝手に感じてることやから、「また、オッサンの戯言か!?」くらいに思っていただき・・・どうか、誤解はせんといてほしいと思う(^_^;)

 

 

 

足れへんかった部分(例えば、一生懸命踏ん張って、練習をせなアカン時に、ええ加減にやっとった等)を・・・本人に自覚を持ってもらうために、叱咤せなアカン場面は、絶対にあるよ

もちろん・・・それは、彼らの(柔道だけに限ることなくすべての面において、「将来」を見据えての話が前提やと、俺は考えてる

 

せやけど・・・もし、そこに・・・監督(俺)の、今だけの「感情」や「利欲」が乗っかっとったとしたら???

俺は・・・アカンと思うねんよな

 

 

家庭教育でも・・・学校教育でも・・・また、スポーツ少年団での教育でも・・・みんな同じ!

親の「感情」・・・

先生の「感情」・・・

監督の「感情」・・・

そんなもんが乗っかって、子供にヤイヤイ言うてるのは・・・『教育』ではないような気がすんねん!?

 

それらは・・・見てくれは、子供のために叱ってるように見えるけど・・・

俺は・・・ただ単に、親や先生や監督が、自分の思い通りになれへんことが歯痒くて、子供に対して「感情」を吐き出してるだけのこと(自分(親・先生等)のため)に過ぎへんような気がすんねんよな?

 

 

たとえば・・・

家では、お母さんが子供と接することが一番多いんやろうけど・・・

 

「なんで、宿題してないの!?」

「なんで、早くに給食セット出さないの!?」

「いつまで起きてるの!?」

「なんで、脱いだら脱ぎっぱなしなの!?」

「遊びに行くのは、宿題が終わってから!!」

「高校に行けなかったら、どうするの?」等々・・・

 

自分の都合(感情)や、自分の安心感(利欲)を優先的に考えて、吐き出してる言葉があったとしたら・・・

そらぁ、具合悪いんとっちゃうんかな?って、俺は思うねん

 

「給食セットが出てへんかったら、二度手間になるやんかっ!?」

「宿題(勉強)をやれへんかったら、いい高校に行かれへんやろ!?」

・・・・・って感じでね?

 

給食セットを出してへんくて、汚いままやったってことに気付いたら・・・給食食う前に、洗いに行くって!

宿題を忘れて、みんなの前で恥をかいたり、自分だけが遅れ始めてきたら・・・最低限のことは、やるようになるって!

夜更かしして、次の日、しんどい思いをしたら・・・早く寝るようになるって!

脱いだら脱ぎっぱなしの服も・・・一人暮らしして、彼女でも家に招こうもんなら、きれいにしよるって!

だって、自分の身に振りかかってくることなんやから!

 

ほんで、極論を言うたら・・・

勉強せえへんくて、高校受験に失敗したとしたら・・・それは、そいつ自身が悪いんやん!?

 

その失敗を、「必然」として受け止めて・・・

翌年、真剣に己自身と向き合って、再チャレンジするんか?

それとも、そのまま諦めて、腐って、己自身に唾を吐いて、この先の人生を歩んでいくんか?

それは・・・そいつ次第や!

 

もちろん、そんな失敗は・・・人生において、まったく「遠回り」なんかではあれへんし・・・人生、何が起こるか?分かれへんねんから・・・

 

仮に、そないなったとしても・・・

それまでの「人間形成」をする時期に、前者になってもらえるべく、子供を教育しておいてやったら、何ら問題はあれへんのんとっちゃうんかな?って、俺は思う

 

逆に、それさえ教育しておいてやってたら・・・

どんな場面でも・・・己の「自己責任」で、物事を処理していく子になってくれるんとちゃうんかな?ってさえ思うよ

 

 

せやから・・・

もし・・・そんなこんなも含めて、親御さん自身の「感情」や「利欲」が乗っかっとったとしたら・・・子供には、きっと伝わってしまう

子供は・・・大人が思ってる以上に、そんなことには敏感やし・・・大人が思ってる以上に、大人に対して気を遣ってるもんやからね

ちっちゃい間は、従うかも知れへんけど・・・

学年が上がるにつれて、俗にいう「反抗」っちゅうもんが、あからさまに出てきよるで・・・きっと(^_^;)

 

 

だからこそ、俺は・・・

我が子に限らず、道場生を叱る時でも・・・

「感情」や「利欲」を乗っけることなく・・・

『如何に、怒ってる『演技』に徹することができるんか?』

・・・っちゅうことを、常々心掛けるようにしてる

 

「寝とんかっ!? ボケッ! 起こしたろかっ!?」

「何さらしとんねんっ! アホちゃうか!?」

基本的に、関西弁やから・・・そんな、暴言とも取れるような言葉も、しょっちゅう発してるけど・・・

せやけど、実は・・・心の中は、いたって「冷静」

どっちかっていうたら・・・心の中では、「みんな、ビビっとる!ビビっとる!(笑)」って、笑ってることさえ多々あるくらいや(^^)

 

せやから・・・

その場面が終わったら・・・すぐにでも、普通に子供たちと接することができる

子供達も子供達で・・・それが分かってるから、限りなく「空気を読む」ようになってきよるし・・・

相乗効果としては、ええこととちゃうんかな?って、俺は感じてるよ

 

 

そない、偉そうに記してる俺も・・・

それは・・・それは・・・情けないくらい、己自身の「感情」とか「利欲」を子供の背中に背負い込ませとった時期があったねんで

「子供のため! 子供のため!」っていう大義名分を、思う存分振りかざしてな(^_^;)

 

だからこそ・・・この歳になった今、客観的に(見えんでもええことまで(笑))見えることがぎょうさんあんのよ?

 

 

 

『教育』とは・・・読んで字の如く!

『教え育てること!』

 

ほんで・・・俺の考えを、付け加えるとするならば・・・

「信じて」「待って」「許して」やること!

 

 

「家庭教育」「学校教育」「道場教育」etc・・・

「親」であっても、「先生」であっても、「道場長」であっても・・・

「教育」する立場にある者にとって・・・「感情」や「利欲」は、限りなくタブーなんやと俺は思う

 

 

「我が子が、自分の思い通りになれへんな?」

「生徒が、いい方向に進んでいかへんな?」

「大人になった我が子や生徒たちが、(違う意味で)自分から離れていってるな?」って・・・

そないなことを感じることがあるとするならば・・・

 

それは、もしかしたら・・・

その「タブー」を、犯してるんかも知れへんよな?(笑)

 

 

元気出していこう!

READY! GO!!

 

 

 

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

 

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『茨木 のり子』さんの詩

ええ詩やでなぁ(^^)

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