時々・・・道場生に話すことがあるねんけど・・・
「武道」・・・っちゅうより・・・すべての「道」の世界には・・・『守破離』っていう言葉が存在する
『守』は・・師や流派の教え、型、忠実に守って、確実に身に着ける段階
『破』は・・・他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れて、心技を発展させる段階
『離』は・・・ひとつの流派から離れて、独自の新しいものを生み出し確立させる段階
俺は・・・道場の子供たちに対して、事ある毎に・・・「俺を信じろ!」っていう言葉を吐き出す
目ン玉に力を込めて、言霊として・・・「俺を信じろ!」って、吐き出してる
でも、それは・・・
俺自身が、完璧な人間やから・・・「俺の云うことだけを信じといたらええねん!」ていうことでは、決してない
実際に、俺なんかを信じてもらえることがあるんやったら・・・それは、ものごっつい有難いことやけど・・・
俺の云う・・・「俺を信じろ!」っちゅのは・・・
「今現在、自分の目の前のおる、「自分が選んだ師匠のことを信じる」っていうことを学びなさい!」っていうこと
そう・・・「『守』を学ぶ機会から、目を逸らすな!」っていうことなんよな
俺は、少年柔道の世界しか分かれへんけど・・・およそ、四半世紀、この世界に身を置かせていただいた時の中で・・・
自分が選んだ道場に所属してるにも拘らず・・・自分の目の前におる師匠を、信じることができへんかったり・・・自分の師匠に唾を吐いて、その道場を出て行ったり・・・
そないな者たち(親御さんたち)を、幾人も目にしてきた
中には・・・元の道場の先生のやり方が気に入らんとかの理由で、他の道場に移籍したにも拘らず・・・移籍した道場の先生とも、またモメてしまって・・・
その延長上で・・・高校に進学した後も・・・
「(自分が在籍してる)▲▲高校じゃなくて、〇〇高校に進学してれば、結果は違ってたのに・・・」って・・・
そない吐き出してる親御さんの姿なんかも、目の当たりにしたこともある
それが、良いか?悪いか?・・・白黒つけるつもりは、俺自身まったくあれへん
せやけど・・・
少年柔道の世界やから・・・結局は、親の価値観であったり、親のエゴであったりが、まかり通ってしまうんやろうから・・・
それやったら・・・
なおの事・・・親が子どもに対して、「師匠を信じなさい」って、伝えてやるべきなんとちゃうんかな?って、俺は思うねん
もちろん、それは・・・高校生の子に対してでも、同じことが云えるんやないんかな?
親自身が・・・自分の目で見て、自分の心で感じて、自分で選択した場所(先生)を・・・
子供の前で自ら蔑んだりすることは・・・子供が、『守』を学ぶ機会を失くしてしまうっちゅうことにつながってしまうんやないやろうか?
もちろん、それは・・・
「柔道」の世界に身を置いてる時だけのことやなくて・・・『守』を学ぶっちゅうことは、それぞれの人生に於いても大切なことのような気がしてならん
正しいか?間違ってるか?は、別問題として記させてもらうけど・・・
俺自身・・・
次男(SO兄ぃ:現在は仙台大学3年生)と三男(YAMATO:2年生)は・・・柴田高校の監督に、あずかっていただいた(いただいてる)
2人とも、自宅から高校に通ってた(通ってる)から・・・柔道経験者の俺から、いつ何時でもアドバイスをすることはできる
せやけど、俺は・・・柔道に対してのテクニカルな部分等を、彼らにアドバイスしたことはいっぺんもないし、この先もするつもりは一切ない
おまけに・・・
監督にあずかっていただいてる以上・・・学校生活、日頃の生活態度等、監督の考えから逸脱してるって感じていただいた時には、煮ていただこうが、焼いていただこうが、俺には全く問題ない
かえって、有難いことやとさえ思ってる
もちろん・・・
親の責任として、時に必要最低限のことを伝えなアカンことはある
それでも・・・
もう既に、自分の背中に責任を背負える年齢であろう彼らに対しては・・・
「お前の今の親(師匠)は、俺やない! 監督や! ほんで、仲間は「家族」や! せやから・・・俺よりも、監督のことを信頼しろ! せやなかったら・・・お前に、「学び」なんかあれへん!」
・・・・・常々、そないなことを伝えてる
もちろん・・・
長女(悠葉先生)が高校時代・・・東北高校の監督に、あずかっていただいてた時にも、同じことを伝えてきた
俺は・・・彼らを師匠にあずけるまでに、親として彼らに「躾」をしてきた・・・・・・・つもりでおる
「躾」とは・・・「身」を「美しく」と書く
これは、俺の持論のほか、何ものでもあれへんけど・・・
「身」を「美しく」
それは・・・
「素直な心」であったり・・・「感謝する心」であったり・・・「有言実行」であったり・・・「他人のことを考えれること」であったり・・・「責任を持った行動をすること」であったりetc・・・
要するに、何事も受け止められる真っ新な状態で、師匠にあずかっていただくからこそ・・・
師匠は・・・そこで、「教育」(色付け)をしてくださる
そう・・・「教」え「育」てていただけるんやないんかな?って・・・俺は、そない考えてる
随分前に・・・悠葉先生が、俺に言うとったことがある
「東北高校の監督の教えが、自分の中の「柱」になってる」って・・・
親以外に、そんな方が存在すること自体、ホンマに素晴らしいことやし羨ましいことやと思う
それと同時に・・・
彼女は・・・そこで、『守』を学んでくれたんやろな?って、俺は信じて止まん
さっきも記したけど・・・
それが、正しいか?間違ってるか?は・・・俺には分かれへん
おまけに・・・
「『守』を学んだから何やねん?」って言われてしもうたら、ぐうの音もでてえへん
ただ、俺の持論を述べさせてもらえるなら・・・俺は、そうあるべきやないんかな?って、思ってるっていうだけのこと
せやけど・・・
結局は、人生を歩んでいく中で、どんな世界に身を投じたとしても・・・
『守』がなかったら・・・『破』は中途半端になるんやろうし・・・
まして・・・『離』なんか、できっこあれへんのんとちゃうんやろか?
俺が・・常々、子供たちに対して口にする言葉
「「柔道」を通じて、大切な何かを学んでほしい」
実際に・・・「大切な何か」は、搔い摘んで、これやっちゅうもんではあれへんけど・・・
こういったこと(「守破離」)も、「柔道」を通じて学んでもらいたい内容のひとつであるのは言うまでもない
せやから・・・
語弊のある言い方やし・・・偉そうに云うてること、この上ないんやけど・・・
俺は、子供(道場生)達に対して・・・
「俺を信じろ!」
・・・そない伝える
もちろん・・・
子供達の前で、そないなことを吐き出したからには・・・
俺自身・・・誰よりも己自身を戒めた行動をせなアカンことは、言うまでもあれへんし・・・
まぁ、それが・・・目下、人生修行中の俺自身の『離』の学びでもあるんやろな?
ただ・・・
『守破離』
この言葉さえも・・・先般記した「厚情かならずしも人情にあらず・・・」と同様に・・・
俗にいう「現代っ子」に伝わるんか?否か?
それ以前に・・・今の時代に、必要なことなんか?否か?
昔から現代まで言い伝えられてる、山のようにある「ことわざ」や「言葉」を噛み砕いて伝えてやったとしても・・・
人生を生きていく上で、教訓になるであろう童話(「アリとキリギリス」「さるかに合戦」「桃太郎」etc・・・)でさえ、内容が変わってしまいつつある今の世の中・・・
果たして、どんだけ子供たちの心を揺さぶることができるんやろか?
そない思いながらも・・・
俺自身・・・時代の波に流されへんよう抗いながら、自問自答を繰り返す日々の中にこそ・・・「答え」に辿り着く、俺にしか伝えられへん「言霊」があると信じて、彼らと向き合っていきたいと思う
継続は力なり!
継続は宝なり!
楽しんでいこう・・・It’s Show Time!!