北岡道場通信

柏崎先生と石井先生から、お叱りを受けた翌日やったと思うんやけど・・・

4年生で、授業もほとんどない状態やった俺は・・・午前中、「男女7人秋物語」っていうドラマの再放送を、部屋で見とった

 

ホンマに、何気なくやってんけど・・・

そのドラマに出演しとった、柳葉敏郎さんが・・・なんでか分かれへんけど、メチャメチャ格好良く見えた

 

俺は、居ても立ってもおられへんようになって・・・

いつもいってる、床屋さんに行って・・・柳葉敏郎さんカットにしてもらった

 

俺は・・・全日本体育系大学選手権のあとも、髪を短くすることはせんと過ごしとった

国士舘大学が来た時も・・・東海大学に行った時も・・・

(せやから・・・実業団の頃に、国士舘や東海の連中に会った時には、あの当時の髪型のことを、メッチャ笑い話にされたよ(^^;))

 

せやけど・・・長髪に飽きとったんか?・・・イメージを変えたかったんか?・・・今となっては、分かれへんけど・・・

俺は・・・思い切って、短髪(柳葉さんカット)にした

 

柳葉さんカットにして、気を良くした俺は・・・

昨日の一件なんか、すっかり忘れてもうて・・・早く後輩たちに見せたくて、その日ばかりは喜び勇んで練習に参加した

 

その日の練習中・・・石井先生が、俺を呼んだ

「耕太郎! それが、お前の「気持ち」か? 俺は、そういうの好きだよ!」

 

俺は・・・最初、何を言われてるんか?分かれへんかったけど・・・

多分・・・昨日の一件もあって、「髪型」のことを言うてるんやな?って思ったから・・・

「あっ、はいっ!!」

・・・って・・・「いかにも、俺は心を入れ替えてきたんです!」っていう、アピール返事をしといた

 

 

 

 

話が逸れてもうたけど・・・

「全日本学生体重別選手権 関東予選」のトーナメント表が貼り出された

 

2回戦で、筑波大学の南條選手(現:仙台大学柔道部監督)と対戦する組み合わせやった

そのトーナメント表を見た瞬間・・・くすぶっとった俺のモチベーションは、一気に熱を帯びて・・・「悪い虫」も、一気に吹き飛んだ

 

当時・・・南條選手はじめ、同じく筑波大学の内村選手(現:大阪産業大学柔道部監督(REN兄ぃの監督))、流通経済大学の岩崎選手(現:流通経済大学柔道部監督)など・・・関東には、強豪選手が数名おった

関東からの代表枠は・・・4名

ものごっつい厳しい試合になることは、言うまでもあれへんかった

 

ただ俺(の柔道)は・・・その中でも、南條選手とは一番噛み合うんとちゃうんかな?って、勝手に思っとったから、モチベーションは高まる一方やった(ちなみに、内村選手には・・・その2年後の講道館杯で、俺は案の定負けてる)

その年・・・本気で、「全日本学生体重別選手権大会」で、上位に入賞するつもりでおったし・・・もちろん、実力的にも、十分通用するって感じてたから・・・自分自身のイメージの中では、ものごっつい現実味を帯びとった

 

せやから・・・しんどくても、しんどくても、一生懸命、練習・研究に取り組んだ

あれほど、真剣に柔道に向き合って、柔道に取り組んだのは・・・後にも先にも、あの時が一番やったんとちゃうんかな?

 

 

ほんで・・・迎えた、関東予選当日

俺の人生最大の『分岐点』への、第一歩を踏み出すことになる

関東予選に向けての最終追い込み段階に入っとった、そんな時・・・

俺の中の「悪い虫」が騒ぎ始めた

・・・・・・・・・・

・・・・・

「サボり」癖・・・っちゅうやつやな?(^_^;)

 

 

昨秋の「千葉県学生体重別選手権」に向けて、練習に取り組み始めてから・・・

ガラにもなく、一生懸命、目標に向かって精進しとったからなんか?

一番大事な時期を迎えてるにも拘らず・・・俺は、一向にモチベーションが上がってけえへんかった

 

モチベーションが上がれへんもんやから・・・・・

「やらなければいけない!」っていう気持ちを、自分の中でどうも消化できへんくて・・・

「やりたくないんやったら、やめとこう!」っていう、自分の素直な気持ちに身を委ねた

要するに・・・トレーニングとか練習を、サボってたっちゅうだけのことやねんけどな(^_^;)

 

 

ある日の朝のトレーニングの時・・・

柏崎先生が、各階級のレギュラー4人ずつを並ばせた・・・・・・・とのこと

「-60kg級・・・1、2、3、4人  -65kg級・・・1、2、3・・・んっ? あと一人は? 北岡かっ!? 北岡は、どうしたんだ? 昨日は、来てたのか?」

 

気の利かへん同級生が・・・答えたらしい

「昨日も、来てませんでした!」

 

・・・・・・・・・・

・・・・・

 

「柏崎先生が、「北岡に、俺の教員室まで来るように言っとけっ!」って言ってたぞ!」って・・・気の利かへん同級生が、部屋で寝てた俺に連絡をしてきよった(^_^;)

 

 

教員室に行ったら・・・柏崎先生は、メッチャ怒りながら・・・

「もう、レギュラー辞めろ!」・・・そない仰られた

 

「申し訳ありませんでした! 今後は、ちゃんとトレーニングには参加しますので、試合に出させてください!」

「本当に、やるのか?」

「はい! やります!」

そんな、押し問答の末・・・何とか納得していただき、俺は首の皮一枚がつながった状態で、レギュラーに留まることができた

 

 

せやのにも拘わらず・・・なんでやろか?

俺の中の「悪い虫」は・・・騒ぎ出したら、なかなか収まってくれんかった

当然・・・練習にも、一向に身が入れへん

 

「ヤル気のない時に、嫌々やっても強くなんかなれへん!」っちゅうのが、俺の考えの原点なんやけど・・・

おまけに、人間って・・・

中途半端に、練習(勉強でも仕事でも、俺は何でもそうやと思ってるんやけど)をしても・・・自分自身で、「今日は、練習をしたな」って、都合のええように解釈してしまう傾向があると思うねんよな?

 

せやから・・・

「やる時は、全力でやる!」

「やれへん時は、徹底してやれへん!」

そないな持論を持ってるもんやから・・・道場(練習)に行っても、徹底して練習をせえへんかった

 

 

当然・・・そんな俺の行動を見兼ねた、柏崎先生は・・・

「北岡っ! お前・・・もう、赤帯外せ!(レギュラーは赤帯をまいて練習しとった) もう、やらなくてもいい! 辞めろっ!」

柏崎先生のとなりにおられた石井先生も、ものごっつい怒っとった

 

当然、俺は・・・お二人に対して、拝みに拝みまくって許しを懇願した

最終的に、許してはくださったねんけど・・・お二人とも、ものごっつい呆れ顔でいらっしゃったわ

全日本体育系大学選手権大会の後・・・国士舘大学が遠征に来たり・・・東海大学に遠征に行ったり・・・

レギュラーとしての地位を、確立した俺は・・・それなりに忙しい日々を過ごしとった

 

柔道の方は・・・(ちょっと、自慢話みたいになってまうけど)誰と戦っても負けへんっていう、自信に満ち溢れとった

人間は・・・流れに乗ってる時は、ホンマに急激に成長するもんであって・・・

ほんで、また「自信」っちゅうもんが「気持ち」に乗っかって、それだけで相手を圧倒してしまうほどの強さを身に纏ってしまう時期があるもんやっていうことを・・・俺は、自分自身の経験から実感してる

 

平成4年が、明けてからっていうもの・・・

これは、自分の体ではないんやないか?って感じるくらいの「強さ」に取りつかれてたって言うても過言やないくらい・・・自信に満ち溢れとった(まぁ、その時が俺の柔道人生のピークやったっちゅうのは、いうまでもないけどな(-_-;))

 

 

国士舘大学が遠征に来た時(練習試合をした時)は・・・

-65kg級の選手(各階級4人程度が遠征に来る)に、あっけなく勝ってしまうもんやから・・・

柏崎先生が・・・「お前は、もう-65kg級の選手とは、練習試合をしなくてもいい! -71kg級の選手と試合をしなさい!」って、言うてくださるほどやった

 

俺は・・・相手が、-71kg級の選手(ウチの大学の、-71kg級のレギュラー陣でも勝たれへんような選手)であっても・・・

「有効」「技有り」「一本」って・・・巴投げ、袖釣り込みで投げて、関節取って・・・正直、相手になれへんな?って感じるくらいの試合をした

 

さすがに、東海大学に遠征に行った時は・・・唯一、強豪選手に「有効」を取られて黒星をつけられてもうたけど・・・

それでも・・・ちゃんと、敗因も理解できとったし・・・

俺は、その年・・・本気で、「全日本学生体重別選手権」で、上位に入賞して・・・「正力国際学生体重別選手権」に、日本代表として出場することを目標にして・・・真剣に、練習に取り組んどった

 

もちろん・・・東海大学などに遠征に連れていっていただくくらいやから・・・「全日本学生体重別選手権大会 関東予選」に出場するための学内予選もきっちりと勝って、ちゃんとレギュラー枠も確保しとったんやで

 

 

 

時は・・・

関東予選に向けての、最終追い込み段階を迎えとった

 

そんな時に・・・何でやろう?

俺の中の「悪い虫」が騒ぎ始めた

3月に開催された・・・「全日本会育系大学柔道体重別選手権大会」

俺は・・・当然、優勝するつもりで、講道館の畳の上に立った

 

体調は、非常に良好で・・・

順調に勝ち上がっていった俺は・・・最大の難関、天理大学の〇〇選手とベスト4を掛けて戦うことになった

〇〇選手は、2歳年下やったけど・・・高校の時にインターハイ上位入賞、後に「全日本選抜柔道体重別選手権」にも、コマを進めていくような非常に素晴らしい強豪選手

 

ものごっつい、きわどい試合内容やったけど・・・

俺は・・・試合中盤、巴投げで「有効」を奪って逃げ切り、準決勝にコマを進めた

 

余談やけど・・・

俺は、その頃・・・髪の毛がメッチャ長くて、パーマをかけて、思いっきりツーブロックにしとったねんけど・・・

寝技の攻防になる度に、髪の毛がパサッって上がるもんやから・・・何べんも何べんも、再度の刈り上げた部分が露になる(^_^;)

試合後・・・観客席で観てた(応援に来てた)お母ちゃんが言うてたことやけど・・・

「なんだ!? あいつの頭! 柔道する者の髪型じゃないだろう!?」って・・・随分、他大学の生徒達から、批判をいただいたとか?いただかへんとか?(笑)

 

 

準決勝の前に・・・俺は、柏崎先生に呼ばれた

「お前は、今日ここ(試合会場)に、何をしに来たのか分かってるかぁ? 優勝しに来たんだどぉ~! ちゃんと、優勝して帰らなとダメだどぉ~!?」って・・・東北訛りの言葉で、仰ってくださった

 

 

準決勝の相手選手も・・・非常に、素晴らしい強豪選手

彼も・・・後に、全日本選抜体重別選手権で、準優勝されてると思う

 

ちなみに、またまた余談やけど・・・この方は、現在、岩手県の某強豪高校の柔道部の監督をされてるねんけど・・・

先般、仙台大学に合宿?で来られた際・・・晩に、南條先生と懇親会されとったみたいなんやけど・・・

南條先生経由で、「今、〇〇先生と、(体育系大学選手権の時の)北岡先生の話をしてたんです! 早く、ここまで来てください! 待ってますから!」

・・・なんていう・・・恐ろしいメールが届いとったよ・・・(^_^;)

 

 

 

せやけど、俺は・・・相手が誰であろうと、負けるなんてことは、これっぽっちも考えてへんかった

ただ・・・準々決勝で、強豪選手を破ったことで、気を良くしたっていうんか?・・・難関を突破したっていう安心感やったんか?

いずれにしても・・・「今日、俺いけるわ」っていう気の緩み、ほんで、ナメてしまう部分があったんかも知れへんな?

 

試合序盤・・・巴投げから十字関節がきっちりと決まって、相手選手の肘から、「バキバキッ」って音がした

骨損傷もしくは、少なくとも靱帯損傷は免れへんほどの、大きなダメージを与えたことは明らかやった

普通やったら、ここで棄権をしてもおかしくないやろう怪我やったんやけど・・・相手選手もここまで上がってきてるもんやから、必死やったんやろな?・・・そのまま、試合を続行した

 

「余裕やんけっ!? もしかしたら、俺ってメチャメチャ強いんとちゃうか!? これやったら、決勝戦もイケるな? 絶対、優勝できるわ!」

俺は・・・試合中にも拘わらず、そんな良からぬことを考えてしもうた

 

 

そこに、落とし穴があったんやな?

そないして、気が緩んだまま・・・寝技に引き込んだ瞬間

一瞬の隙を突かれて・・・俺は、そのまま抑え込まれてしもうた

 

己自身の不甲斐なさを、悔やんでも悔やみきられへん・・・情けないくらい、恥ずべき「一本負け」を喫した俺

一瞬の油断が・・・一瞬の気の緩みが・・・そんなもんに、足元をすくわれるっちゅうことを、ホンマに身を以て勉強させられた試合やった

 

 

試合後・・・柏崎先生のとこに行ったねんけど・・・

手のひらを返したように、冷たくあしらわれたよ(-_-;)

 

 

優勝するつもりで挑んだ「全日本体育系大学柔道体重別選手権」は、3位っていう結果に終わってもうて・・・

俺の大学柔道・・・残すは、5月の「全日本学生体重別選手権大会 関東予選」のみになってしもうた

 

準決勝にコマを進めた俺は・・・

「どんなことをしてでも、あとひとつ勝って、レギュラーになってやる!」

その想いしかなかった

 

「殺すつもりで戦ってやる!」っていう気持ちは・・・準々決勝の、そんな試合の後でも消えることはなくて・・・

それどころか・・・益々、勢いに拍車がかかっとった

 

 

俺自身の中では・・・ここまで上がってくることは、「それだけの強い想い」で練習に取り組んできてたから、当然やと思っとったけど・・・「第二道場」で練習してる者が、準決勝まで上がってくることなんか、普通ではありえへん

せやから・・・周りの連中(同級生のレギュラー陣)からしたら・・・非常に、おもしろくない一コマやったに違いあれへん

 

そらぁ、そうや!?

練習自体を、一生懸命取り組まへんことが原因で・・・監督から「第二道場」に落とされてるんやから・・・

「第一道場」の人間が・・・その一生懸命、練習に取り組まへん奴に負けるなんてことは、ホンマに不本意なことやったやろう?

 

せやけど、俺には・・・「今に見とけよ!」って思いながら、練習に取り組んできた過程がある

せやから・・・「俺は、誰にも負けるはずがない!」っていう、自信しかなかった

 

 

 

そんな雰囲気の中・・・準決勝が始まった

準決勝の相手は・・・同級生、カナダ国際で準優勝やったか?・・・それなりの実績のある選手やった

(ちなみに・・・大学に在籍しとった4年間、同級生でレギュラーになった者の中で、国際大会にエントリーしてもらわれへんかったのは・・・俺だけ(^_^;)

1~2年生の頃・・・練習を一生懸命取り組めへんかったことが要因やと思うけど・・・  トリトレ国際、カナダ国際、西ドイツ国際などなど・・・数々の国際大会があったにも拘らず、俺はいっぺんも参加させていただかず終いやった)

 

 

開始早々・・・俺は、喧嘩四つの相手に対して、「飛び十字関節」を仕掛けた

「飛び十字関節」は、不発に終わってしまったようやった

ようやった???

 

そう・・・俺は、「飛び十字関節」を仕掛けた時に、その代償として、畳に頭を思いっきり打ち付けてしもうたねん

『ゴンッ!』

一瞬、目の前が真っ暗になったのは覚えてる

せやけど・・・その後のことは、まったく記憶から飛んでしまってる

もちろん・・・今も、思い出すことはできへんし、その試合をどないして戦ったんか?は、まったく記憶にない

 

 

 

どんくらいの時間が経ったんやろうか?

後輩が・・・「耕太郎先輩! 耕太郎先輩!」って、頻りに叫んどった

俺が・・・それに気付いた時、我に返った時・・・決勝戦が始まる寸前やった

(あとで、後輩が言うてたことやけど・・・俺の試合(準決勝)が終わってから、ずっと俺に声をかけ続けてくれてたらしいねんけど・・・これといった反応があれへんかったみたいで、その時に初めて我に返ったみたいやねんな?)

 

準決勝・・・

開始早々に頭を打った俺は・・・途中、「袖釣り込み腰」で「有効」を奪って、5分間をフルに戦って勝ったとのことやった

それ自体、その後輩から教えられたことなんやけど・・・俺自身は、まったく記憶にない

 

学内予選っていうても・・・決勝戦だけを残すようにして、準決勝までの試合は各階級ともすべて行う

30分なのか?1時間なのか?・・・座っとったんか?横になっとったんか?・・・

何ひとつ、記憶にはあれへんけど・・・60kg級の決勝戦の途中まで、俺は気を失ってた(意識はあったらしいけど)ことになる

 

「耕太郎先輩! 次、試合です!」

「試合!? なんの試合やねん!?」

「決勝です!」

「だから・・・なんの決勝や!?」

「-65kg級、先輩の決勝です!」

「お前の言うてることは、よう分からんけど・・・棄権するっていうてこい! こんなに頭痛いのに、試合なんかできるわけないやろ!?」

 

そこで初めて、正気に戻った俺やけど・・・

今まで、どこにおったんか?何をしとったんか?さえも、まったく分かれへんかったし・・・おまけに、ものごつい頭も痛かったから・・・正直、試合をするような状態ではあれへんかった

 

 

せやけど・・・

結果的に、決勝戦まで上がったことで・・・「全日本体育系大学体重別選手権」出場の切符・・・そう、レギュラーのポジションを手にすることができた

それと同時に・・・柏崎先生から、「「第一道場」に上がって、練習しろ!」のお言葉をいただいた

 

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小・中学生の頃で見比べられたら・・・

俺なんか・・・他の連中(同級生、後輩含めて)に比べて、箸にも棒にもかかれへんような、ショボくれた柔道しかしてけえへんかったと思う

もちろん、高校時代の実績を見比べられても・・・

インターハイ出場、地方大会入賞とか・・・中には、インターハイで上位に入賞してる者かっておるくらいやから・・・

その時点では・・・到底、太刀打ちできへんかったに違いあれへんわ

 

せやけど・・・

小・中学生の頃の実力差とか体格差が・・・高校時代の実績が・・・

その先も、エンドレスで埋まることないんか?っていうたら・・・それは、まったく以て違う

 

不平不満を云わんと・・・

与えられた環境の中で最大限の「辛抱」と「努力」ができたなら・・・その差は、多少なりとも埋まってきよる

 

『必然』2(千葉県学生体重別選手権)

おまけに・・・ここでも、記したけど・・・

本心は、本人にしか分かれへんことやけど・・・もし、仮に同級生や後輩の中に、欲求を抑えてまで走らされてきた者がおったとしたら・・・

子供の頃に過ごした環境・・・子供の頃に感じた感情などを含めて・・・

それらすべてが、点と点が線で繋ぐことができる大人(大学生)になった時に・・・

子供の頃(高校生含む)のまま、「自らエンジンを掛けて、アクセル全開で走り続ける」なんていうことは・・・非常に難しいことなんじゃないんかな?って、俺は思う

 

人間は・・・物事が、上手く転がってる時には、多少の辛いこと(困難)にも耐えれる生き物やけど・・・

物事が、上手く転がれへんようになった時には・・・そうはいかへんこともある

 

正に・・・子供の頃から勝ち続けてきた者が負け始めた時・・・それが、そうなんとちゃうんやろか?

 

せやけど・・・その『必然』を、どない受け止めて、次につなげることができるんか?っちゅうことを、学んでへんかったら・・・

そのまま坂道を転がり落ちていく状況に陥ることも、決して少なくはあれへん(俺は、高校・大学時代・・・転がっていく奴を、何人も見てきたから)

 

 

 

せやから・・・俺が言いたいのは・・・

「「結果」ちゅうもんは・・・「結果」であって、単なる「結果」にしか過ぎへん!」っちゅうこと!

それが・・・子供の頃であったら、なおさらや!

もちろん、それが・・・

オリンピックや世界の頂点を決める瞬間やったり・・・人生を掛けた場面であったりしたら・・・そんな悠長なことは言うてられへんのやろうけどね

 

 

大切なことは、己自身で「エンジンを掛けたんか?」っていうこと!

誰かに、追い掛けられて、「走らなければならない」状況やったから、仕方なく走ったんではなくて・・・

己自身で、「エンジンを掛けて、アクセル全開で必死になって走り続けたんか?」っていうこと!

そないしたら・・・たとえ、その「目標」に到達せえへんかったとしても、きっと「そのこと自体」が、己自身のそれから先の人生の「糧」になるはずやから

 

少なくとも・・・俺は、そうや!

己自身で、一念発起して・・・エンジンを掛けて、走り続けて・・・

結局・・・最終的には、「目標」に到達することはできへんかったけど・・・

せやけど・・・

大学3年生の、あの時期があったからこそ・・・俺は、「己自身で「エンジンを掛ける」ことさえしたら、何事であっても、クリアすることができるはずや!」っていう自信につながってる

上手く転がれへん状況に陥っても、それが『必然』やって、真摯に受け止めることができたら・・・必ず、次の素晴らしい『必然』が訪れるはずや!って、そない思ってる

 

せやから、俺は・・・

一生懸命、戦ってきた彼ら(子供たち)を、思いっきり抱きしめてやるねん

一生懸命、頑張ってきたことと・・・その瞬間、彼らの身に降りかかってる『必然』を・・・

次に訪れる、素晴らしい『必然』へと繋げてもらえるように・・・

彼らを「否定」することだけは・・・絶対にせえへんようにしてるねん

 

 

「諦めたら、そこで終わる!」

「歩みを止めたら、後退しかない!」

「「その時」がきたら、見過ごすことなく、すべてを捨ててでも頑張れる人になってくれ!」

 

 

 

我が子はもちろんのこと・・・道場生たちも・・・

「酸い」も「甘い」もを、知った(経験した)上で・・・

「酸い」を選択できる人に育ってほしいなぁ~って願ってる

 

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それから、俺は・・・「第一道場」で、必死になって練習をした

練習して・・・体重調整して・・・試合のことを考えて・・・将来のビジョンを考えて・・・

そないすることで・・・毎日毎日は、充実しとった

 

せやけど・・・それでいても、誰かに心を開くことはせえへんかった

圭吾兄ぃが亡くなってから、1年の月日が流れとったけど・・・

大切な大切な兄貴分であり・・・

大半の時間をいっしょに過ごしていただいた友人でもあり・・・

ほんで、俺の18年間の人生観を、180度変えてくれた、尊敬できる先輩であり・・・

そんな人を亡くしてしもうたことで・・・

練習をしても・・・バイクにまたがっても・・・女の子と遊んでも・・・

何をしてでも・・・ぽっかり穴が開いてしまった俺の心を支配するのは・・・『孤独』のほか、何者でもなかった

 

俺自身・・・「また、大切な人を失ってしまうんではないか?」っていう恐怖感から、誰にも心を開こうとせえへかったんかな?って、今振り返ったら、そない思うけど・・・

そんな俺の心を・・・『孤独』が支配し続けるのは、当然やった

 

 

柔道に関して言えば・・・ちょっと、追い風が吹き始めた感じやったけど・・・

私生活に関しては・・・依然、心にぽっかりと穴が開いたままの状態やった

 

平成4年、2月・・・

「全日本体育系大学柔道体重別選手権大会」の学内予選が開催された

 

俺の階級(-65kg級)は・・・1年生から4年生まで、約40名ほどが出場するねんけど・・・

トーナメント表の中・・・俺の名前は・・・???

 

当たり前やけど・・・4強のシード枠には入ってへんし、ベスト8に分けてもらえる枠にさえ入ってへんかった

それどころか・・・俺一人だけ、一番ちっちゃい山(他の連中(上級生、下級生含めて)は、2回戦からやのに・・・俺だけが、1回戦の一番ちっちゃい山からの試合)に、入れられとった

 

 

学内予選を開催するにあたって・・・柏崎先生から、みんなに伝えられてたことがあった

それは・・・

「各階級、決勝戦まで残った者は、無条件でレギュラーにする  しかし、それ以外の者(準決勝で敗退した者(要するに、ベスト4の者も含めて)は、普段の練習の取り組み方などを考慮して、レギュラーを選考する」っていうことやった

 

そないなると・・・第二道場におる俺は、必然的に「決勝戦まで上がれへん以上、選手になることは間違いなく不可能!」っちゅうことになる

せやから・・・学内予選の日時が決まって、その内容を聞いてからは、より一層、真剣に練習に取り組んだ

 

 

もう、25年前の話やから記せるけど・・・

俺は・・・「誰が相手でも・・・殺すつもりでやってやる!」・・・そない考えとった

(※非常に、聞き苦しい言葉を綴っておることは重々承知してるけど・・・あの頃に感じてたことを正直に表現してるという部分を、どうかご理解いただいき、どうかご勘弁いただきたい)

ほんで・・・「何としてでも、レギュラーになったるねん!」

そない考えて、日々の練習に取り組んどった

 

 

 

ほんで、迎えた・・・学内予選当日

1~3回戦を勝ち上がった俺は、ベスト4を掛けて、同級生のレギュラー候補の選手と試合をすることになった

俺自身が順当に勝ち上がれば、その選手と当たるんやろな?っちゅうことは予想しとったけど・・・予想通りやった

前述したけど・・・その日、俺は「相手を殺すつもりでやってやる!」・・・そない、腹に決めとった

 

その試合・・・今でも内容は覚えてるけど・・・

試合中盤・・・俺は、「袖釣り込み腰」を仕掛けた

相手選手も・・・当然、ラストチャンスを目論んで、必死に練習してきたんやろうから、簡単には投げられまいと踏ん張ったんやろうな?

それでも、強引に背中に乗せて、そのまま自らジャンプして前転(前回り宙返り)をし、相手選手を投げた

 

落ち方が悪かったんやろうか?・・・その選手は、頚椎を痛めてしまったようやった(その後、病院運ばれたけど、幸い大事には至らんで良かったんやけど・・・)

投げた後・・・相手選手がピクリとも動けへんのにも拘わらず・・・俺は、すぐさま「十字関節」を取って、「折れろっ!」とばかりに、力一杯、その選手の腕を決めた

 

「やめろっ!!」

柏崎先生はじめ、柔道部長、コーチの先生が駆け寄ってきて・・・完全にキレて、関節を決めてる俺の体を掴んで、その選手から引き離した

 

余談やけど・・・

総合格闘技の「故 山本KID」選手なんかが・・・試合中にレフリーが割って入っても、闘争心剥き出して、そのまま攻撃を止めへんようなシーンをテレビで観たことがあるけど・・・何となく、分からんでもないような気がする

もちろん、そんなことは許されることではあれへんし・・・柔道も総合格闘技も、ルールの中で戦ってることは百も承知やねんけど・・・

「キレてしもうてる」というか?「必死」になってる時の人間っちゅうのは・・・自分自身でさえ、己のことをコントロールできへんようになってまうもんなんやなぁ~?って・・・この時ばかりは、自分自身で実感した瞬間やった

 

それまでは・・・柔道の試合や練習では、もちろんのこと

中高生の頃に、街で見知らぬ人と喧嘩してしまうようなことになってしまった時なんかでも・・・

どっかで、「手加減」っちゅうんか?・・・「躊躇せんと全力でいってない」っちゅうんか?

どっかで、自分自身をコントロールできてたように思うねんけど・・・あの時ばかりは、制御が利かへんかったように記憶してる

もちろん・・・今となっては、「非常に申し訳ないことをしてしまった」って、深く深く反省してるねんで

 

 

結果的に・・・相手選手は、そのまま棄権となって・・・俺は、準決勝にコマを進めることになった

「千葉県学生体重別選手権」で、優勝した俺は・・・

第一道場の柏崎先生が「第一道場に上がって練習しろ!」って、いつ言うてくれるんやろう?やろうって・・・密かにに期待しとった

 

せやけど・・・

その言葉を掛けていただけることはなく・・・俺は、そのまま「第二道場」で練習を続け・・・ほんで、平成4年を迎えた

平成4年は・・・俺にとって、大学生活最後の年・・・そう、4年生になる年やった

 

 

3月に開催される「全日本体育系大学柔道体重別選手権」

その大会は・・・全日本学生体重別選手権で、前年度にベスト8以上の成績を残してる者は、出場できへん大会やねんけど・・・

その大会で、上位に入賞できたら・・・実力的には、「全日本学生体重別選手権」でも十分上位に食い込んでいけるであろう

云わば・・・学生たちにとっては、その年最初の「査定試合」でもある大会やった

 

また・・・そのあと、5月に開催される「全日本学生体重別選手権 関東予選」で、勝ち上がったら・・・10月に開催される「全日本学生体重別選手権大会」に出場できる

当然・・・全日本強化選手に入るためには、全日本学生体重別選手権で、上位に入賞せなアカン

 

俺は・・・

千葉県学生体重別選手権で、強豪選手に勝ったことで、気を良くしたんやろなぁ?

その大会の後くらいから・・・

「全日本体育系大学柔道選手権大会」(3月)

「全日本学生体重別選手権大会 関東予選」(5月)

この2つの大会に・・・「学内予選を勝ち上がり、何としてでも出場したい」・・・そんな気持ちが、心の中で芽生え始めとった

 

 

余談やけど・・・

俺の親父は・・・俺が大学時代、ぎょうさん手紙を送ってくれた

第二道場に落とされた時・・・「俺、大学の選択を間違ったんかなぁ~?」って愚痴った時には・・・

家の前は、相変わらず、小学生や幼稚園坊主が入り混じって通学してる

歳を取っていくのは当たり前のことやけど・・・決して、後ろを振り返ったらアカン

流れいく、川の水のように、今この一瞬は二度と戻ってけえへん

いくら、銭を積んでも・・・いくら、もがいても・・・人生は、後戻りなんかできへん!

そういう内容の手紙を送ってくれた

 

ほんで・・・送ってくれる手紙には・・・

「世界チャンピオンの卵 耕太郎へ」

「未来の世界チャンピオン 耕太郎へ」

・・・って、必ず綴ってくれとった

 

 

そんな親父に対しても・・・

「大学に進学させてもらった また、高い学費や生活費を出してもらったことへの恩返しをしたい!」

そない思い始めたのも・・・その頃やったと思う

 

せやけど・・・俺がおるのは、「第二道場」

どんだけ、愚痴っても・・・どんだけ、悲観的になっても・・・自分の置かれてる状況は、変わることがあれへん

 

たったひとつだけ、変えられることは・・・

誰よりも「辛抱と努力」をするっていう、限りなくしんどい環境の中に・・・自らの意志で、如何に己自身の身を沈めることができるんか?っていうことに尽きる

俺は・・・そない結論付けた

 

それから、俺は・・・

「後悔」や「愚痴」や「羨み」を、全部封印して・・・己自身が置かれてる環境・状況を真摯に受け止め・・・決して悲観することなく・・・ただただ目標に向かって、日々一生懸命精進した

 

全日本トップクラスの選手のビデオを、何べんも何べんも見て・・・

引き手、釣り手に始まり、足の位置、顔に位置、目線の高さまで、とにかく自分の技を研究して・・・

どんだけ息が上がっても・・・どんだけ苦しくても・・・どんだけしんどくても・・・時々、あまりのキツさに半泣きになったこともあったと思うけど・・・とにかく、一生懸命練習をした

 

 

その時に、俺が学んだのが・・・

「辛抱と努力をすること!」

「不平不満を云わぬこと!」

「与えられた環境の中で最大限の努力をすること!」

 

そう・・・我が子(悠葉先生やREN兄ぃ、SOやYAMATO)に対して、ちっちゃい頃から言い続けてきた「北岡家の家訓」

ほんで、また・・・道場生が練習前が合唱してる「北岡道場訓」にもなってる

当時、国際武道大学は・・・3年生の夏に、その学年の全員が「遠征」に出掛けるっていう、修学旅行?みたいなもんがあった

行先は・・・「韓国」をはじめとする、柔道強豪国が数国・・・「ハワイ」などの柔道よりも遊び?を満喫できる国が数国・・・・・やったかな?

 

当然・・・第一道場のレギュラー候補の連中は、自ら「韓国」を選んで、大韓柔道学校(韓国柔道大学)?で、キツイ練習をしてきたみたいやけど・・・

俺は、迷わず「ハワイ」を選んで・・・ワイキキビーチなどで、十二分に遊びを満喫して帰ってきた

 

 

柔道自体を諦めかけて・・・そんな、いい加減な時間を過ごしてた、ある日(俺が、「第二道場」に落とされて、2~3ヶ月?経った時(確か9月くらい)やったかな?)

 

「千葉県学生体重別選手権大会」の出場枠が、第二道場の選手に回ってきた

・・・・・っちゅうより、全日本につながれへん、千葉県内くらいのローカルな大会やからこそ、第二道場の選手に回ってきたっちゅう訳やねんけどな(^_^;)

 

俺は・・・-65kg級で、その大会に参加させていただけることになった

 

ただ・・・

多少なりとも、全日本学生柔道体重別選手権に出場することを目標として、大学に進学してきたのに・・・

俺自身、大会にエントリーしてくれた(出場できる)嬉しさなんか、これっぽっちもあれへんくて・・・

逆に・・・「マジかよっ!?」っていう、ダルさだけが俺の心の中を支配しとった

 

 

とりあえず、試合にするからには・・・練習に参加せざるを得えへん

モチベーションが上がれへんまま、練習に参加しては、淡々とした練習をこなしとった

 

そんなある日・・・

「千葉県学生体重別選手権」のトーナメント表が、貼り出された

 

順当に上がっていったら、準決勝で当たるやろう、順天堂大学のある選手の名前に、俺は釘付けになった

「〇〇選手」

ウチの大学の同級生、先輩達(国際試合などにも出場経験のある、レギュラーメンバーたち)でさえ、勝たれへんかった選手やった

 

俺は・・・

「マジかよっ!? 千葉県学生体重別って、こんな奴もエントリーしてくんのかよっ!?」

正直・・・ビビった

 

せやけど、それと同時に・・・

「待てよ?  こいつに勝って、優勝したら、第一道場に復帰のチャンスとちゃうんか?」

そないも考えた俺は・・・確かなモチベーションを感じながら、練習に取り組み始めた

 

 

「第二道場」っていう場所やと・・・周りの選手たちも、非常に強いという訳ではあれへん

せやから・・・俺の技でも利いてしまう

それが、功を奏したんか?・・・「俺は、強くなってる」っていう、錯覚に陥ってたんか?・・・

いずれにしても・・・自分自身は、モチベーションを持って練習をしてるし・・・練習してる技が、おもしろいように利きよるし・・・柔道が、おもしろく感じ始めたのは事実やった

 

 

そんな感じで、迎えた・・・「千葉県学生体重別選手権」当日・・・

俺は、順当に勝ち上がり・・・準決勝で、その選手にも危なげなく勝つことができた

もちろん、決勝戦も勝って・・・俺は、優勝することができた

 

「俺・・・強くなってる!」

そない、手応えを感じることのできる大会やった

 

 

また、同級生のレギュラーメンバーでさえ勝つことのできへんかった、その選手に・・・

危なげなく勝ったことで、俺は少しの自信と、さらに上を目指すモチベーションを取り戻しはじめた

 

せやけど・・・

俺を取り巻く「現実」は、そんなに甘いもんではあれへんかった

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

子供の頃からずっと・・・高校生、大学生になっても・・・どっかで、「やらされ感」があった柔道

ここに至るまで・・・(100%)自らの意志で、柔道に取り組んだことはあれへんかった

 

きっと・・・俺みたいな人間は、少なくないんかも知れへん

 

小中学生時代・・・欲求(友達と遊ぶことや恋愛など)を抑えられながら、柔道(や他のスポーツ、勉強)を「やらされてきた」者

高校時代・・・監督の目が気になるあまり、監督に怒られることに委縮するあまり、自分のやりたいこと(技など)をできんと・・・また、欲求を抑えられながら、柔道(や他のスポーツ、勉強)を「やらされてきた」者

 

大学生にもなったら・・・その欲求を、誰かに抑えられることがなくなるし・・・あらゆる誘惑に、身をゆだねてしまうことも少なくない

せやから・・・あからさまに、離脱(辞める、諦める、淡々と過ごす)していく者が出てきよるんやろう?

早い者は・・・高校生の頃に、離脱する者さえおる

 

俺も・・・その一人に、なりかけとった(いや、なっとった)

「第二道場」に落とされることなく、あのまま「第一道場」で練習を続けてたら・・・

きっと、「自らエンジンを掛ける」っていうことはなかったと思う

 

せやから、きっと・・・「第二道場」に落とされたことは、俺にとっての『必然』やったんやろな?

 

 

そんなことを、自ら経験してきて、親・教育者・指導者になった今・・・

子供たち(我が子や道場生)に、そのような道を歩かせる訳にはいかへんねん!

形はどうあれ、「やらされてる」ことの比重が大きかったら・・・いつか、頭打ち(離脱)してしまうやろうから

もちろん・・・小中学生の頃から、そのまま頑張り続ける者も、中にはおるんやろうけど・・・

せやけど・・・我が子4人共、また道場生全員が全員、そないなる確率は、限りなく「0(ゼロ)」に等しいと、俺は思ってる

 

それやったら、「今」は・・・

(柔道も他のスポーツも勉強も)「やらなければいけない」って感じさせるよりも・・・「やりたい!」「楽しい!」って感じさせてやることの方が、Betterなんとちゃうんかな?って思うんよ

 

ほんで・・・彼らそれぞれの「その時」がきた時には・・・

やり過ごすことなく、「自ら、エンジンを掛けれる人」になってもらえるように・・・「責任」っちゅもんを、心の中に点在させてやれるような教育ができたらええなぁ~って、常々考えてる

 

もちろん、その反面・・・

「今」強くなりたい者、「今」結果を求める者は・・・そのような考えを持ってる、俺の下なんかにおるべきではないやろうし・・・

自分に合った場所を、自ら(親御さんと)選択したらええと思う

それも、また、その人にとっての『必然』なんやろうし・・・

俺と出会ったことを大切に思って・・・この先、いっしょに時を過ごしていくことも『必然』なんやと思うよ

 

 

 

俺は・・・『必然』っていう言葉が大好きや

・・・・・っちゅうより・・・己自身の身に起こることは、すべて『必然』であって・・・「偶然」なんていうもんは、存在せえへんと思ってる

 

その己自身の身に起こる『必然』を・・・どのように受け止めて、どのように次につなげていくんか?

ほんで、次に起こる『必然』を・・・如何に、己自身が真っ直ぐに受け止めることができる、素晴らしい『必然』に変えていくことができるんか?

 

すべては・・・己自身の『心』が決めること!

そない考えながら・・・俺は、人生を歩んできた(もちろん、今もそう考えてる)

 

 

なんで、北岡は・・・『北岡道場』を、こんな「ええ加減」な道場として運営してるんか?

なんで、北岡は・・・子供たちを、(現在の)チャンピオンに導こうとせえへんのか?

 

俺ら(指導者・教育者や親)が・・・ナンボ、いきり立ってもアカンのよな!?

「本気」になるのは・・・己自身でしかないねんから

 

俺の・・・詰め込み過ぎた教育・指導(柔道)によって・・・

俺(指導者や親)の下を巣立った時にこそ・・・自分自身の「責任」で、羽ばたいてもらわなアカンのに・・・

その時になって、自己管理ができへんような子になってしまってるようじゃ、本末転倒もええとこやからな?

 

成長過程の中で・・・

限りなく、酸いも甘いも経験させてやって・・・物事の良し悪しも、十二分に理解してもらって・・・

それでいて、「酸い」を選んだ時にこそ・・・どんな困難が立ち塞がろうとも、己自身を奮い立たせることができるとちゃうんやろか?

それが・・・己自身が、自ら背負い込んだ『責任』っちゅうもんなんとちゃうんかな?

・・・って、俺は個人的には、そない考えてる

 

己自身が気付いて・・・己自身が動いて・・・

その先にこそ・・・己自身が思い描く、「素晴らしい」場所があるんとちゃうんやろか?って、俺は思ってる

 

 

ほんなら・・・

「お前(北岡)自身の、今置かれてる環境は、素晴らしく最高!」・・・・・なんか???

傍目から見たら・・・到底、そうとは感じてもらえるようなもんではあれへんやろうな?

 

俺自身・・・

学歴社会でのし上がって、エリートっちゅう訳ではあれへんし、素晴らしい柔道の戦績を残してきた訳でもあれへん

また・・・

娘や息子が、柔道でチャンピオンになってる訳でもあれへんし、素晴らしい学業成績を維持してくれてる訳でもあれへんからな?

 

せやけど・・・今置かれてる環境こそが、俺にとっての『必然』であって・・・

その『必然』を真っ直ぐに受け止めてるからこそ・・・俺は今、メチャメチャ『幸せ』なんよ!

 

そう・・・

『幸せ』は、成るものではなく感じるもんやから!

ほんで・・・

すべては、己自身の『心』が決めるもんやから!

 

 

 

そんな俺自身が、経験してきたこと(昔話)を・・・

この場を借りて、記していくわ

 

いろんなことを・・・格好をつけんと、吐き出してみようと思うよ

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

平成元年4月・・・

前年の6月に・・・和歌山県高校総体、-71kg級の決勝戦で負けて、インターハイ出場を逃してもうた俺は・・・

「大学でこそ!」っていう期待を胸に、国際武道大学に進学した

 

C特待生という待遇で、大学に拾ってもらったにも拘らず・・・「大学柔道」っちゅうのは、俺が考えとったほど甘い世界ではなくて・・・

俺は・・・対外試合で何かの成績を残すどころか、学内予選も勝ち上がることができんと、レギュラーにさえなることができんでおった

 

 

そんな大学柔道生活の日々を送っとった、大学3年生の夏前・・・

俺は、監督(柏崎先生)から呼び出された

 

「北岡! お前は、明日から「第二道場」で練習しろ!」

 

俺は、「第二道場」に落とされることになった

 

 

「第二道場」っちゅうんは・・・

金銭的に余裕のない者(家庭の事情で、仕送り等がない者)が、アルバイトをしながら柔道をする

また、高校時代、それほどの実績を残していない者が、大学で部活動として柔道をする

ほんで・・・俺のように、「第一道場」で練習しとったにも拘らず、監督から干されたり、ヤル気のない者が、「御払い箱」的に行かされる

(当時は)そんな、場所やった

 

 

試合場を、2面取れるくらいの広さの道場やってんけど・・・

半分は・・・女子柔道部が使用

あとの半分が・・・第二道場生が使用するっていう感じやった

 

せやから、必然的に・・・女子柔道部員とも、練習をすることになるねんけど・・・

大学生にもなったら、余程のことがあれへん限り、男女の差は歴然としとる

 

・・・にも拘わらず、女子柔道部員と練習(乱取り)をするっちゅうことは・・・

俺ら(第二道場生)には・・・対外試合で活躍できるっていう「明るい未来」は、これっぽっちもあれへん!っちゅうことを意味しとった

 

 

当然、「第一道場」の連中とは、練習内容も違うし・・・技の詳しい講習なんかも、ほぼ無いに等しい

せやから・・・

レギュラーを選考する学内予選で・・・第二道場の選手が、第一道場の選手に勝つことなんてありえへんし・・・

レギュラーに選考してもらえることなんて、決してあれへんかった

 

もちろん・・・今現在は、どないなってんのか?は分かれへんけど・・・

当時の「第二道場」とは・・・「結果を求めて、必死になって頑張る柔道部員」ではなく・・・

「それ以外の人間」が行く場所やった

 

 

俺は・・・腐っとった

自分自身を正当化するための、腐り切った言い訳を考えることと・・・

「後悔」と「羨み」と「愚痴」を、吐き出すことしかできへんかった

 

 

その年(平成3年)の2月・・・

俺は・・・大切な大切な兄貴分(圭吾兄ぃ(先輩))を、事故で亡くしとった

 

それからは・・・誰に心を開くこともなく、同級生との接点すら持とうとはせえへんようになっとった(同級生が、80人近くもおるのに・・・)

 

圭吾兄ぃがおれへんから・・・

練習に行っても、一人ぼっちやったし・・・

オフの日も、いつも単独行動やった

何をやっても、おもしろくなかったし・・・俺は、メチャメチャ「孤独」に支配されとった

 

 

 

5月に開催される全日本学生体重別の関東予選が終わったら・・・4年生の先輩方は、事実上「引退」となって、練習には参加せえへんようになる

せやから・・・当時、3年生やった俺は・・・

誰に文句を言われることもなくなり(当然、監督からは、もう既に「御払い箱」状態やったから、何のお咎めも受けることはなく)・・・次第に、朝のトレーニングや午後の練習を休むようになって、「遊び」に夢中になっていった

 

せやから・・・

あの時、「第二道場」に落とされたのは・・・『必然』やったんやと思う

 

 堀田家、秘密兵器! マサキ!

 

 堀田家、最終兵器! マサト!

 

 小野崎家、問題兵器! タモツ!

 

 太田家、睡眠兵器! 和道!

 

 北岡家、大問題兵器! なんちゅう格好してんねん!? 情けないっ!(-_-;)

 

 デート中❤❤❤

 

 宴会(^^)

 

 宴会(^^)

 

 社員旅行(^_^;)

 

 直ちゃんからの手紙!

 『笑顔は大きな力になる』

 

クレスト館に戻って・・・

有っちゃん、遅れて参戦!

 

 シゲちゃん(チン太郎親父)、初参戦! ありがとう!

 

 あっちゃん(遼の親父)・・・知らん顔して、毎年来るよな(^^)

 

 知ちゃん(熊の親父)・・・皆勤賞!

 

 景ちゃん(啓太の親父)も・・・皆勤賞!

 

 好っちゃん(金ちゃん親父)・・・有っちゃんに、捕まったな(-_-;)

 

 やっさん(唯斗の親父)も・・・捕まったな(-_-;)

 

 和道っちゃん(元&開パパ)・・・捕まるのは、練習中、昼寝してるからや!(^^)

 

 さっちゃん(銀ちゃん&隆盛パパ)

 

 レアキャラ???  ニアピン???(笑)

 

 仙人(琳ちゃん親父)・・・長老まで、捕まったか!?

 

 淳ちゃん(柊の親父)・・・しゃぁ~ないで! 有っちゃんの、言うこと聞いといて!

 

 亮ちゃん(一太の親父)・・・大トリ! 頼むよ!(^^)

 

 雑魚寝!(^^)!

 

 雑魚寝!(^^)!

 

 ロビー、占拠!!

 

 

 

翌日(4日)・・・

ハワイアンズ内、トロピカルバイキング!!(^^)!

 優音&YUTAKA(食い過ぎ!)

 

 琳ちゃん&ココちゃん(カワイ過ぎ❤)

 

 小僧&SO&びび(アホ過ぎ(-_-;))

 

 子地蔵&見知らぬオッサン(^^)

 

 ヒロ! 食い過ぎちゃか!? タケルがビビッとんで!?(◎_◎)

 

 イブ姉&朔!(^^)

 

 三平家族!

 

 金ちゃん&元ちゃん&太々しい熊の置物(^^)

 

 やっさん&仙人!(^^)!

 

 和道っちゃん&好っちゃん(^^)

 

 ふみちゃん(金ちゃんママ)&紀ちゃん(元&開ママ)

なんか・・・メチャメチャ、セレブ感出てるやん!?

(上の2人)好っちゃんと和道っちゃんの、奥さんにしとくのは勿体ないわ!

 

それに、引き換え・・・

ゆかちゃん(堀田ママ)&いづみちゃん(桐澤ママ)

アホ×2=

 

 大アホ:北岡夫婦(◎_◎;)

 

 左上から・・・

マサキちゃん(優&亮ママ):ユミさん(仙人の愛人):ゆう子さん(やっさんの愛人)

ちえちゃん(立っちゃんママ):まき助さん(チン太郎ママ)

 

 YAMATO・・・やんな???(◎_◎;)

 

 辰っちゃん(煌の親父:左奥)&あっちゃん(遼の親父:左手前)&知ちゃん(太々しい熊の置物の親父:右のいやらしそうなオッサン)&景ちゃん(啓太キャプテンの親父:立ってる霊みたいなオッサン)※写真クリックしてみて❤

 

 マサキ・・・(^_^;)

 

 マサトとガラの悪いおっさん(^_^;)

 

 ガラの悪いオッサン・・・ダウン(-_-;)

 

 親亀の背中に・・・

 

 子亀を乗せてぇ~!(^^)!

 

 楽しい時間を・・・ありがとう!

 

 

元気出していこう!

READY! GO!!

 

 

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