その他

12月23日(日)・・・恒例の「北岡道場杯」&「納会」を開催した

 

朝8時に集合して・・・

ご父兄の方々も、出来る限り柔道衣に着替えてもらって・・・

思う存分、子供たちと・・・1年に1回の「親子喧嘩」をしてもらった!(^^)!

 

子供たちは、もちろん

親御さんたちも、ものごっついオモシロかったんと違うんかな?

 

 

俺・・・毎年(いつも?)思う

ウチ(北岡道場)は・・・異色やな?って

 

勝って嬉しかったこと

負けて悔しかったこと

辛かったこと

楽しかったこと

しんどかったこと

笑ったこと

泣いたこと

怒ったこと

それら、全部をひっくるめて・・・最後の最後は、みんなで大笑いしてる

やっぱり・・・「大家族(ファミリー)」なんやな?って・・・そない、感じることができた

 

どこぞの誰か(笑)が言うとった

 

『笑顔は大きな力になる』

 

・・・ってな

 

ホンマに・・・そうやと思うわ

 

 

 

 

 

 

 

第13回を迎える・・・「北岡道場杯」

 

今年は・・・

「北岡道場杯2018「」・・・幼児から中学生まで、フルオープン参加の本戦

優勝:心優

準優勝:遼

第3位:啓太&樹梨っぺ

 

ミニギャングの部・・・幼児の部

優勝:龍

準優勝:朔

第3位:亮&子猿

 

ちびっこギャングの部・・・小学校1~2年生の部

優勝:皓

準優勝:結月

第3位:涼太郎&開

 

ギャングの部・・・小学校3~5年生の部

優勝:YAMATO

準優勝:立っちゃん

第3位:お姉&琳ちゃん

 

マフィアの部・・・中学生の部

優勝:SO

準優勝:清春

第3位:武&桜想ちゃん

 

以上のような結果やった

 

 

 

ほんで・・・

今年の『賞』の発表

 

最優秀賞・・・・・清春(中3)

彼が、小学校3年生の時から、道場に来た

それから、ずっと・・・

いつも、道場の中には・・・「大きな大きな「清春」」がおった

彼は・・・人間的に、素晴らしいもんを持ってると思う

もちろん、俺にはないもの

「それは、何?」って聞かれたら・・・口では説明できへんけど・・・

せやけど・・・清春のことを、悪く言うやつはおれへん

それが、答えやと思う

 

あと、3ヶ月・・・あと、3ヶ月だけ、俺の息子でおってくれ!

ありがとう! ほんで、おめでとう! 清春!

 

 

 

優秀賞・・・・・唯斗(中1)

彼は・・・ホンマに、「直向き」

結果が伴ってるんか?っていうたら、そうではあれへんけど・・・

あんなに、物事に対して「直向き」に取り組む少年も珍しい

『徐如林』

準備を整え、機会の来るのを林のように静寂整然と待て

ホンマに、その言葉が、ピッタリと当てはまるんとちゃうんかな?

 

努力に勝る天才はない!

ありがとう! 唯斗!  ほんで、おめでとう!

 

 

 

敢闘賞・・・・・啓太(小6)

「〇〇ちぼうえん(希望園)の、「さとうけいた」です」っていうてたのが・・・6年前

ものごっついドンくさくて・・・ものごっつい不器用で・・・

せやけど・・・

コツコツコツコツと努力をして・・・全小予選3位入賞して・・・「TOHOKU」のワッペンまでもらった

ほんで・・・

今年は・・・キャプテンとして、1年間を通して、45名ほどの道場生をまとめてくれた

彼には・・・いろんな意味で「敢闘賞」をあげたいと思う

 

おめでとう! 啓太!  ほんで、1年間ありがとう!

 

 

 

努力賞・・・・・琳ちゃん(小5)

小さな体で、怯むことなく、勇敢に立ち向かっていく姿には・・・ホンマに、心を熱くさせられる

不利な状況(体が小さいこと)を、一切言い訳にせんと・・・人一倍熱心に、練習とか研究に取り組む娘

どうか、(いろんな面で)将来を見据えて・・・今はただ、何事に対してでも、一生懸命に「辛抱と努力」をしてほしいと願ってる

彼女には・・・来年、副キャプテンっていう、大役を受けてもらうことにした

ぜひとも、道場生をまとめていってもらいたいと思う

お願いするね! 琳ちゃん!  努力賞、おめでとう!

 

 

 

努力賞・・・・・優(小4)

彼は・・・ものごっつい、一生懸命に努力する子

柔道の技は、メッチャ上手やけど・・・まだ、それを上手く使いこなすことができてへん

「大器晩成型」

努力の向こうにある世界は、彼だけにしか見えへん世界

きっと・・・その世界を見てくれることと思ってる

今は、応援してやることしかできへん!

頑張れ! 優!  努力賞、おめでとう!

 

 

 

努力賞・・・・・一颯(小4)

彼は、道場入会時・・・俺の言うことは聞かへんし・・・適当にやるし・・・ブー垂れるし・・・

ホンマに・・・「クソガキ」やった

「ここは、家とちゃうねんぞ! お父さん、お母さんがおっても、容赦せえへんぞ!」って・・・

そない言うたのも、一回や二回じゃなかったよ

それが、いつからやったか?

素晴らしい挨拶・・・素晴らしい返事・・・素晴らしい練習への取り組み・・・をしてくれるようになった

彼の得意技は・・・「いぶき」(内股やけど、彼にしかできへん変形技)

この先も・・・いろんな意味で、素晴らしい青年に育っていってください!

おめでとう! 一颯!

 

 

 

努力賞・・・・・壮真(小僧:小3)

彼は・・・「破天荒」っていう言葉が、ピッタリな少年

柔道のセンスは、道場生の中でも、群を抜いてる

せやけど・・・いや、せやから・・・ムラがある(俺とよく似てる)

だからこそ、扱いやすいねんけどな?

彼には・・・自由奔放に、四方八方に枝を伸ばし放題に伸ばせるような、太い幹の「大きな大木」になってもらいたいと思う

「小さな盆栽」ではなく、「大きな大木」

いらん枝は、(自分自身なのか?師匠なのか?)きっと切り落とすべき時が来る

その時に残るのが・・・天に向かって真っ直ぐに伸びた、太い幹であってもらいたい

おめでとう! 小僧!  今は・・・思う存分、楽しめ!

 

 

 

努力賞・・・・・皓(小1)

兄貴(煌)の背中を追いかけて、「背負い投」を一生懸命頑張ってる

その頑張りを見た弟(朔)は、食らいつこうとして、皓の背中を追っかける

桐澤三兄弟の「次男坊」

彼は・・・大変な、ポジションにおると思う

せやから・・・小学1年生にも拘わらず、「勝とう! 勝とう!」とし過ぎてしもうて、空回りする傾向があるんやろな?

あなたの頑張り・・・先生は、ちゃんと認めてるよ

せやから・・・

「今」は、勝たんでもいい!

ただ、柔道が好きで楽しんだらええねん!・・・子供やねんから!

おめでとう! 皓!

 

 

 

最後に・・・

道場生みんなに、誕生日プレゼントの御礼も兼ねて・・・メッセージを贈らせてもらった

 

 

 

 

真生・・・おサルさんのように げんきにそだちなさい

朔・・・じゅうどうにまけても ケンカにはまけるな

龍・・・おとうさんにまけない じゅうどうかをめざそう

亮・・・おかあさんとゆたかくんを たいせつにしよう

ココ・・・心の中に「愛(はな)」を咲かせる人であれ

完治朗・・・お前の笑顔が大好きやで

隆盛・・・天真爛漫 素直なお前が大好きやで

ヒロ・・・勝つことよりも まずは柔道を思いきり楽しめ

理・・・「道」はすべて同じ 己の心を鍛えるべし

座敷童・・・枕元に現れる そんな人になってくれ

涼太郎・・・柔道で学ぶもの それは真の強さなり

銀河・・・宇宙のように でっかい心の男になれ

結月・・・柔道も喜怒哀楽も 兄貴に負けるな

開・・・切り開いた道の先にこそ 強いお前が待ってる

一太・・・果てしなく続く 一本の太い道 即ち信念

柊・・・すべての行動は お前の心ひとつで決まる

煌・・・不動如山 お前の代名詞は「背負い投げ」

小僧・・・追いつこうとする者より 追い越そうとする者であれ

琉月・・・母親の愛を 真っすぐに受け止められる人であれ

一颯・・・お前の放つ「喜怒哀楽」 素敵やで

子地蔵・・・愛情の形は様々 あなたにもきっと分かる時がくる

優音・・・自由には責任が伴う 責任を背負ってこそ男

優・・・努力の向こうにある世界 お前だけが見える世界

心和・・・侵掠如火 不動如山 兄貴たちに負けるな

立樹・・・気配り 目配り 心配り それがお前を漢にする

琳・・・光り輝き美しく 澄んだ音を奏でる人であれ

碧・・・喜怒愛楽 哀しみよりも愛の大きな人であれ

心優・・・飾らないあなたが愛おしくて 抱きしめるほどに刹那くて

樹梨・・・愛 まごころを持った 愛情に溢れた人であれ

遼・・・「柔道」は お前を仲間とつなげてくれる

啓太・・・大切なのは「力」ではなく「まごころ」

唯斗・・・徐如林 努力に勝る天才はないぞ

紳太郎・・・継続は力なり 継続することは宝なり

承之介・・・山椒は卒業 「小さな巨人」であれ

桜想・・・綺麗な女性より 桜想(こころ)の美しい 女性になってください

武・・・人生(みち)は一本ではない 信念を貫け

倭・・・未来(そら)は果てしなく広い 自由に翔け

SO・・・飛躍しろ!! 親父よりも 兄貴よりも

元・・・優しさの中にあるのが 本当の強さ

純聖・・・俺達は「柔道」でつながってるんやで 忘れんな!

健之介・・・心技体 一番大切なのは「心」

恭太・・・結果は結果! 大切なのはプロセス

清春・・・「清春」は「清春」 それ以外何者でもない

※「感性」で書いたもんやから・・・一語一句、全部覚えてる訳やあれへんねんけど、こんな感じやったと思う

 

 

 

 

ほんで・・・

ご父兄の皆さんにも、メッセージを贈らせてもらった

「『幸せ』は、成るものではなく感じるもの」

・・・・・って

 

 

 

報告ばっかりになってしもうたけど・・・

今年も・・・無事、「納会」を終えることができたよ

ほんで、一年間・・・大きなケガもなく、無事に過ごすことができて良かった

 

 

 

最後になりましたが・・・

滉太、詩音、恭佑、海士を預かっていただいております・・・柴田高校柔道部監督、狩野先生

瑛美を預かっていただいております、東北高校女子柔道部監督・・・明代先生、実希先生

凜杜を預かっていただいております、宮城農業高校柔道部監督・・・丹野先生

日立での合同練習(大家族旅行時)でお世話になりました・・・菅井先生、松本先生(克っちゃん)

いつも、私のような男とコンタクトを取ってくださる・・・凌門塾塾長、佐々木先生

いつも、試合のお声掛けをいただいとります(参加できておりませんが(^^;))・・・戸沢道場、金弥先生

皆々様をお書きできませんが・・・多くの先生方

道場に遊びに来てくださった・・・宮城県内外の皆さま

ウチの道場生と切磋琢磨してくださった・・・宮城県内外の選手の皆さま

一年間、お世話になりましたこと、心より御礼申し上げます

ありがとうございました!

(※順不同)

 

 

最後の最後になってしまったこと、お許しください

いつも、道場生と私を、陰で支えてくださている、北岡道場のご父兄の皆様方

いつも、感動と興奮を与えてくれる、道場生のみんな

いつも、後輩を導いてくれる、OB&OGの先輩方

一年間、皆さんと過ごしたが、本当に楽しかったです

ありがとうございました!

 

 

あっ、忘れてとった・・・

新体制!

キャプテン・・・立っちゃん

副キャプテン・・・琳ちゃん&小僧

来年一年・・・頼んどくでぇ!

 

 

皆さん!

ええ年、迎えてなぁ~!

 

元気出していこう!

READY! GO!!

 

 

話が・・・前後してもうたけど・・・

 

 

道場設立後・・・

いろんな事案があって・・・いろんなことが、俺の身に起こって・・・何人もの人が、俺の前から去っていった

 

平成22年には・・・ウチの子たち3人(悠葉、REN、SO)を含めても・・・

道場生は、10名強しかおれへんようになってしもうとった

 

 

そんな中でも・・・俺の元(北岡道場)に残ってくれた・・・

晃先生、沙季ちゃん、永美、夏っちゃん、虎ちゃん、正やん、おっさん、滉太など

東京に引っ越した、角田ファミリー、中村ファミリー

その子(卒業生)達、またそのご父兄の方々とは・・・今でも、みんな『ファミリー』として、つながってる

 

 

 

 

そんな時期を境に・・・俺は、指導方法を180度変えた

 

日々、詰め込んだ練習をして・・・日曜日には、試合や合同練習・・・

そないすることで・・・

それなりの結果を残す子も、幾人か?はおったけど・・・

そんだけ頑張っても、結果にはつながれへん子もおった

 

結果が残る、残れへん云々も大事なことかも知れへんけど・・・

そんなことよりも・・・

俺は・・・(誤解を恐れずに記させてもうたら)こんなことをしとって、一体、何になるんやろう?

ほんで・・・

この子達に、一体、何が残るんやろう?って、考え始めた

 

 

「柔道」「じゅうどう」「JUDO」・・・

「きつい練習」「合同練習」「試合」「宮城県代表」「全国大会出場」・・・

 

子供の頃(その時期、その時期)に、やるべきこと、学ぶべきことを疎かにして・・・

そう・・・

友達と遊ぶ時間・・・

親子の限りある時間・・・

彼女(彼氏)との大切な時間・・・

そんな大切なことを、抑え込んでまで・・・「柔道」「じゅうどう」「JUDO」・・・

 

 

この子達は・・・「今(少年の頃)」、「柔道」をするためだけに生きてるんか?

違うやろ!?

 

 

誤解を恐れずに記すけど・・・

「柔道」なんか・・・彼らの成長過程の中の、教育の一貫にしか過ぎへんのんとちゃうんか?

 

 

 

考えて・・・考えて・・・考え抜いた結果・・・

俺は・・・今の「スタンス」を選択した

そう・・・「楽しい」道場を、築き上げることにしたんねんよ

 

勝っても、負けても・・・そんなことは、今現在の単なる「結果」に過ぎへん

そんなことよりも・・・

子供達はもちろん、親御さんも・・・誰一人取りこぼすことなく、みんなで手をつないで「輪」を作れるような道場

そんな場所(スタンス)を創ろうと思った

10周年記念式典 ~卒業生からの手紙~

「反省」すべきこと・・・

 

その「スタンス」が・・・正しいんか?間違ってるんか?は、未だに分かれへん

きっと、正解、不正解なんかあれへんのやろうと思うけど・・・

俺は・・・この「スタンス」が、ものごっつい気に入ってる

子供も大人も含めて・・・この『ファミリー』感が、ものごっつい大好きんなんよ

 

 

 

 

たとえば・・・もう、10年程前の話になるんやけど・・・

ウチ(北岡道場)と七ヶ浜スポーツ少年団との間で・・・常に優勝(県代表)を争うほど、ウチは優勝候補筆頭に挙げられてた時期があった

その時・・・1-0の接戦で、いつもウチが負けるんやけど・・・

ウチが負ける敗因は・・・いつも、沙季(先輩)ちゃんやった

 

沙季ちゃんは・・・高校時代、夏っちゃんと共に、柴田高校を20年振りにインターハイ出場に導いたほどの立役者

今は、仙台大学に在学しとって・・・全日本学生体重別選手権はじめ、講道館杯にまで出場してしまうほどの、すごい存在になってるんやけど・・・

小学校の時は・・・それは、それは、アカンたれでなぁ(^_^;)

 

ほかの連中は・・・接戦の末、勝つことは難しいにしても、負けることはなく引き分けてくるんやけど・・・

いつも、学年落ちの沙季ちゃんだけは、負けてしまうねん

ほんなら・・・チーム内に、「沙季のせいで負けた」っていうような雰囲気が、なんとなく流れよるねんな?

 

そないなったら・・・

だいたい、試合は日曜日やねんけど・・・試合後の水曜日の練習に、沙季ちゃんの親御さん(遠藤夫妻)は、道場に入ってきにくいような雰囲気になってしまうわけよ

 

 

俺は・・・そんな雰囲気が、嫌で嫌でしょうがなかった

せやから・・・勝とうが、負けようが、みんなが笑ってられる(大変失礼な言い方やけどな)・・・

いつどんな時でも・・・そんな『ファミリー』でいたいな?って願ったねんよ

 

 

 

そこに・・・小野崎ファミリー(ヤマタケ、有っちゃん、姐さん)、男鹿谷ファミリー(リト先輩、ココちゃん、直ちゃん、順ちゃん)が加わってくれたのを皮切りに・・・どんどんと「家族」が増えて・・・

今、在籍してくれてるご父兄皆さんで・・・俺の「スタンス」を、全力で後押してくれた

『北岡道場』設立10周年記念イベント

 

ほんで、今もなお・・・

最後に加わってくれた齊藤ファミリー(完治朗ファミリー)まで・・・

 

『大家族 北岡道場』

 

・・・っていう、そんな「スタンス」を・・・みんなのお陰で、ずっと守ってこれてる

第34回 ライオンズクラブ杯仙台市少年柔道大会

 

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道場を設立してから・・・

俺が、人それぞれの考え、十人十色の考えを、ひとつの「絆」でまとめることができへんかったことも・・・『必然』

『信念』の定まってない、そんな俺の前から、大勢の人が去っていったことも・・・『必然』

路頭に迷って、すべてを叩き潰したいって思ってた中で、俺の元(北岡道場)に残ってくれた人たちがおってくれたことも・・・『必然』

今、道場におる道場生、ほんで父兄の皆さんに出会ったことも・・・『必然』

 

また、俺の歩いてきた人生(道)・・・

大学に入学して、圭吾兄ぃに出ったことも・・・『必然』

大学時代、「第二道場」に落とされたこと・・・ほんで、そこから這い上がって、レギュラーのポジションを掴んだことも・・・『必然』

関東予選で負けてもうたことで、思い描いてた人生が大きく変わってしもうたけど・・・

だからこそ・・・だからこそ・・・明美に出会えたっちゅうことは、俺の人生の中で一番大きな・・・『必然』

それに伴って・・・悠葉、REN、SO、YAMATOに出会ったことも、大切な大切な・・・『必然』

 

もっと、もっと、以前のことを考えたら・・・

俺の親父が、『柔道』に出会ったこと、『柔道』に魅せられたことも・・・『必然』

俺や親父や爺さんが、この世に生を受けたことも・・・『必然』

 

そない考えたら・・・

俺らは・・・そんな奇跡のような、『必然』っちゅうもんの中で生きてるんやな?

 

やっぱり・・・

己自身の身に降りかかる(降りかかってきた)、すべての物事は・・・

きっと、何か意味のある『必然』なんやで?

 

 

怪我に見舞われて、大切な試合に出場できへんこともあるやろう?

仲良くしとった彼女に、フラれてしまうこともあるやろう?

中学受験、高校受験、不合格っていう結果になることもあるやろう?

大切な試合、一瞬の油断で敗北を喫してしまうこともあるやろう?

チャリンコでこけることも・・・

100円玉を拾うことも・・・

親父にゲンコツを落とされることも・・・

己自身の身に降りかかる、すべての物事には・・・きっと、何か意味があるんやと俺は思う

 

 

 

 

もし、『あなた』が今・・・「思い通にいかへんな?」って、感じてることがあるとしたら・・・

そんな、『あなた』に・・・伝えたいことがある!

 

今、『あなた』の身に降りかかってること(『必然』)には・・・きっと、何か意味があるんやと思うよ

 

もしも・・・その『必然』が、シンドイことやと感じてるんやったら・・・

この先・・・素晴らしい『必然』に変えれるように、己自身の『心』を入れ換えて、ただ前だけを向いて進んだらいい!

 

もしも・・・その『必然』が、良いことやと感じてるんやったら・・・

この先・・・さらに素晴らしい『必然』が訪れるように、己自身の『心』に、思いっきり微笑みかけてやったらいい!

 

 

『あなた』自身・・・ちょっとだけ、後ろ(過去)を振り返ってみてください!

 

今現在に至るまで・・・きっと、大なり小なり、いくつかの「分岐点」があったことと思う

でも、その「分岐点」で・・・『あなた』が選んだ道は、間違いやったか?

その道を選んだからこそ・・・『今』の『あなた』があるんとちゃうんか?

 

せやから・・・今、『あなた』の身に降りかかってることには・・・きっと、何か意味があるんやよ

だから、後ろを振り返ることなく・・前だけを見て、走り続けろよ!!

 

 

 

俺は、今・・・メチャメチャ、『幸せ』を感じてる

俺にかって・・・日々の暮らしの中で、大なり小なり、何かしら、己の身に降りかかってくる出来事はあるよ

もちろん、今までの人生・・・山ほど、大変な目に合ってきたし・・・素晴らしい出来事にも出くわしてきたりしたよ

 

せやけど・・・

それは(良いことであれ、悪いことであれ)・・・己に対して、きっと意味があることなんやと思って、真摯に受け止めてる(受け止めてきた)

 

 

すべての物事を『必然』と受け止めて・・・

その『必然』を、次に訪れる『必然』に、どないつなげていくんか?

 

もちろん、それには・・・

何事に対してでも『一生懸命』になること!

ほんで・・・

『必死』になること!

・・・が、必要不可欠やねんで!

 

 

いずれにしても・・・

それらすべては、己自身の『心』の在り方ひとつ!

 

そう・・・

『幸せ』は・・・

「成る」ものではなく、「感じる」ものやから!

 

ほんで・・・

『幸せ』は・・・

己自身の『心』が決めるものやから!

 

元気出していこう!

READY! GO!!

そんな状況の中・・・平成22年、夏を迎えようとしていたある日・・・

俺は・・・「心療内科」の診察室におった

 

心の中はグチャグチャで・・・人を信用する気持ちを、失くしてもうてた俺は・・・

今にも何かに押しつぶされそうになっとって・・・

「今すぐにでも、消えてしまいたい」って思うほど、己自身を見失っとった

 

 

何の罪もない明美に、どれだけ嫌な思いをさせたんやろう?

何の罪もない我が子に、どんだけ大人の嫌な部分を見せてもうたんやろう?

ほんで・・・

何の罪もない道場生たちから、俺は大切な大切な居場所を取り上げてしもうてたに違いあれへん

 

「俺が、『夢』にまで見た道場運営っちゅうんは・・・こんなにまでに腐ったもんやったんか?」

そない、思えば思うほど・・・眠られへん夜が続いた

 

 

夜、寝るために電気を消すねんけど・・・

暗闇の中で、どんくらいの時が過ぎたんやろう?

 

やっと眠れたんかな?って思っても・・・すぐに目が覚めて、また同じ感情が押し寄せてくる

毎朝6時?に、近所のお寺の鐘が「ゴーン」って、鳴るんやけど・・・

一晩中、起きてるもんやから・・・毎朝、「そろそろ、鐘が鳴るな」って待ち構えてられるほど、眠られへん日(夜)は続いとった

 

 

 

平成18年10月10日・・・少しの不安と、大きな期待を抱えて立ち上げた『北岡道場』

それから、4年近くの時が流れとったけど・・・

俺は・・・今すぐにでも、すべてを叩き潰してしまいたい想いでいっぱいやった

 

 

 

 

 

 

俺の親父っていう人は・・・実家である大阪府泉南市で「砂川国際柔道クラブ」を運営してる

親父が、道場を設立したのは・・・俺が中学3年生の時

それまでは・・・泉南市柔道スポーツ少年団の指導員として、毎週日曜日に車で20分ほどの場所にある、小学校の「ちびっこホーム」を利用した柔道場に通っとった

 

親父には、ずっと以前から・・・自分の常設道場を持ちたいっていう『夢』があったみたいで・・・

その『夢』が実現したのは・・・俺が中学3年生の時

せやから、もう既に・・・「自分の道場で、自分の息子(俺)といっしょに柔道をする」っていう時期ではあれへんかった

 

せやねん!

俺の親父は「自分の息子と柔道をするため」に、柔道場を設立したのではなくて・・・

地域社会への貢献・・・ほんで、「純粋に柔道が好きや」っちゅう思いで、「砂川国際柔道クラブ(前:砂川道場)」を設立したんやな?

 

 

 

俺の親父は・・・地元:泉南市で生まれ育ち、地元の高校(泉南高校)に進学・・・その高校で柔道を始めたらしいわ

決して、柔道の強豪高校なんかではあれへんかったし・・・

おまけに、体が小さかった親父(高校入学時:55kg程度やったらしい  ちなみに、俺も高校入学時は、56~57kg程度しかなかったと記憶している)は、どんな理由やったんか?は、本人にしか分かれへんけど・・・

とにかく「柔道」っちゅうもんに、心底のめり込んでいったみたいやねんな?

 

当然やけど・・・高校3年間、大阪府大会で通用するようなレベルになんか、達することはあれへんくて・・・

ただ「高校で、柔道部に所属していた」っちゅう、単なる部活動の一環に終わったようけど・・・

それでも・・・

『柔道』に、魅せられた親父は・・・高校卒業後も、泉南市柔道スポーツ少年団の練習に、頻繁に足を運んどったらしい

 

 

 

俺は・・・親父が21歳の時の子

ちなみに、俺は・・2~3歳の頃から、親父が柔道の練習に行く時に、いっしょについていっとったみたいで・・・知らず知らずのうちに、お婆ちゃんが縫ってくれた柔道衣を着用して、「柔道」っちゅうもんに溶け込んでいったようやった

せやから・・・俺が、物心のついた頃(小学1~2年生頃)であっても、まだ20代後半でやった親父は・・・若かったんやろなぁ~?

とにかく怖かったっていう面影だけが・・・今でも、俺の心には鮮明に焼き付いている

 

 

俺は・・・とにかく、小さい頃は柔道が嫌いで嫌いで仕方がなかった

親父も、若かったっちゅうこともあって・・・また、長男(俺)を強くしたいっていう感情があったんやろな?

試合に負けては、ド突かれて・・・練習でも、しょっちゅう怒られとった記憶しかない

それが、悪循環となって・・・練習でも委縮してしもうて・・・親父の目を気にするばかりになってしもうとった

 

まして、試合になったら・・・まったく知らん子と戦う訳で・・・

「負けたら、どないしよう? 負けたら、怒られる」っていう感情ばっかりが俺の心を支配して・・・

試合をする前から、ビビった(関西では、小心者、怖がりのことを「ビビり」っていう)状態全開やった

 

その態度が、また親父は気に入らへんかったんやろうな?

「お前、試合をする前から、何ビビってんねんっ!?」

そない言われて、圧力をかけられるもんやから・・・そらぁもう、かなりの悪循環やったと思うよ

 

 

当然のように・・・試合に負けてくる俺は・・・

試合の内容はもちろん、試合に挑む気持ち、試合前のビビった態度まで・・・

全部含めて、親父から雷を落とされるっちゅのが毎回のことで・・・とにかく、柔道が嫌で嫌でたまらんかった

 

 

今、振り返ったら・・・子供にとって、そんな状況が「楽しい」なんて感じられるはずがあれへんし・・・

当然のように「負の悪循環」に陥ることは、一目瞭然やわな?

 

せやから、俺は・・・・・

我が子に対して・・・柔道含め、彼らの私生活全般に関して、一切何も言わへんようにしてるし・・・

道場の子供たちに対しても・・・柔道の結果云々に関しては、一切何も言わへんようにしてるねんけどね

 

 

 

 

ある日・・・その道場で、近所の市町の道場3~4チームが集まって、交流試合が行われた

その日は・・・いっしょに住んどったお爺ちゃんも、その試合を見に来てくれとったねんけど(俺は・・・お爺ちゃんの姿を、試合会場で見つけとった)・・・

 

俺は・・・当然のように、1回戦で手も足も出えへんまま、あっけなく負けてしまう

親父は、その時・・・審判をしとったんか?他の子の試合を見とったんか?定かではないけど・・・

試合後、しばらくしてから、俺の元に歩み寄ってきた

 

「お前、何してんねんっ!? ここに、何しに来たんじゃ? もう、先に帰れ!」

そない・・・俺に、吐き捨てよった

 

 

試合を見に来てくれとったお爺ちゃんは(俺の試合が終わった直後に、帰ってもうたんやろな?)・・・もう既に、会場にはおれへんかった

それを、分かっとった俺は・・・「でも、お爺ちゃん、もう帰ったと思うんやけど・・・」って、親父に言うたねん

 

ほんなら、親父は・・・

「誰が、「お爺ちゃんと帰れ!」って言うたんやっ!?  歩いて帰れっ!」って、吐き捨てよった

 

 

前述したけど・・・車で20分の距離やで!?

家に帰り着くまで、何時間かかったんやったかなぁ?

俺は・・・親父のことが憎らしく、悔しくて悔しくて、泣きながら歩いて家まで帰ったよ

確か・・・当時、俺は小学校2~3年生くらいやったんとちゃうんかな?って記憶してる

 

 

そんな少年(柔道)時代を過ごしてきた俺・・・

柔道が嫌いで嫌いで仕方なかったはずやのに・・・

なんでやろう?

中学3年生の時に・・・大阪府の隣の和歌山県にある、柔道の名門(当時)「和歌山北高校」への進学を望んだ

 

 

和歌山北高校に行くために・・・和歌山県内の親戚のおっさんの家に住所を移させてもらって(大阪府からでは、受験することができへんため)・・・俺は、中学3年生の2学期(9月の初旬)から、和歌山市内の中学校に転校した

そないしてまで・・・俺は、和歌山北高校に進学することを望んだ

 

「和歌山北高校に進学する」ことを望んだ俺やったけど・・・和歌山北高校は、県立高校

当然・・・入試試験で合格せえへんかったら、進学はできへん

 

せやけど・・・実は、俺・・・

中学2年生の最後の三者面談?の時・・・担任の先生から、お母ちゃんの目の前で・・・

「進学できる高校は、ありません!」って、太鼓判押されとってんよな?

 

 

そんな俺に対して・・・親父は・・・

「和歌山北高校に進学できへんかったら・・・「永平寺」に、坊さんの修行に出すからな!」って、言いよった

 

ウチの親父やったら、絶対にやりかねへん!

口にしたことは・・・絶対に、実行に移す人やったから(俺は、そうやって育てられてきたから)・・・

俺は・・・出来のいい同級生に、教えてもらいながら・・・必死になって勉強した

もちろん、和歌山北高校に進学したい意向があって、和歌山の中学に転校してるんやから・・・私立の高校なんか、受験させてもらえるはずもなかったからな

 

 

その甲斐あってか・・・

中学3年生の2学期の三者面談の時には・・・担任の先生から・・・

「桐蔭高校(和歌山市内(南学区?)の一番成績のいい高校)に、進学するんやろ?」って言われるくらい、成績は急上昇した

 

人間は・・・崖っぷちに立たされた時には、必要以上の能力を発揮するもんや!ってことを・・・

俺は、自分自身の身を以て経験してる

 

 

 

そないして・・・

中学卒業までの間・・・電車とバスを乗り継ぎ、1時間以上かけて通学をしたねんけど・・・

高校に入学すると同時に・・・実家を出て、寮生活を始めた

 

俺が・・・和歌山北高校を選択して、親元を離れることを求めたのは・・・

そんな親父から、離れたかっただけやったんかも知れへんなぁ?

 

いや・・・もしかしたら・・・

「一日も早く、親の力を借りることなく、自分独りでも生きていけるように!」っていう意味を込めて・・・

親父は・・・俺に、わざとキツく当たってきたんかも知れへんな?

 

 

そう言うたら・・・

いつやったか?(俺が、大人になってから)・・・親父が言うとった

「俺は・・・地元で生まれ育って、地元から出ることなく人生を歩んできた  

せやから・・・

お前には、ここ(地元)から出ていってもらって・・・俺が経験できへんかったようなことまで、経験してもらいたいと思ってたんや!」って

 

もしかしたら、俺は・・・

その『必然』を自ら引き寄せるべく・・・上手い具合に、親父に乗せられてしもうとったんかも知れへんな?

 

前述(永平寺の件)したけど・・・

親父は、そうやって・・・俺を育てる過程で、常に「逃げ場がない」状況を、あえて俺に与えてくれとったんかもな?

 

 

 

実は、俺自身も・・・我が子達が、物心ついた時から言い続けてきたことがある

 

「明日、俺が生きてる保証なんか、どこにもあれへん!

せやから・・・一日も早く、己自身独りで生き抜いていくため術を身につけろ!」って

 

それは、もちろん・・・金銭面のことではなくて・・・メンタル面の話やで

 

 

おまけに・・・

「三つ子の魂百まで」って、言うくらいやからな?

「親父は、どんなことであっても有言実行する奴やから・・・許容範囲を越えたら、絶対にヤバイ」っていうことを・・・

彼ら(悠葉、REN、SO、YAMATO)が幼い時から・・・徹底して植え付けて(有限実行)してきた

 

特に、RENに対しては・・・

「どんな場所でも、生き抜いていけるように!」って願って・・・相当厳しく接してきたと思う

 

俺は・・・RENが生まれた、その日やったか?翌日やったか?に・・・明美に、こない言うてる

「こいつと、いっしょに暮らせるのは・・・15年間だけ!

15歳になったら・・・家(親元)を出して、(俺らの手が届けへんような)広い世界に羽ばたいていってもらおうと思ってるからな」

・・・・・って

 

そない考えたら・・・

俺が・・・親元を離れたのも『必然』

RENも・・・15歳の時に、(自分で決断を下して)俺らの元を離れていったのも『必然』やったんやと思わざるを得んわな?(笑)

 

 

 

 

 

俺は、小学生の頃・・・柔道の試合で勝った記憶は、ほとんどあれへん

それが、中学生になったら・・・第二次性徴を迎えるのが遅かったっちゅうこともあって、なおさら勝つことはなくなってもうた

ちなみに、中学3年生の中総体は・・・

泉州地区大会(仙台地区大会や仙南地区大会などと同様)の1回戦で・・・白帯を巻いていた学年下の子に、あっという間に負けてる

 

そんな状態やったねんけど・・・(当時)柔道の名門、「和歌山北高校」に進学した

 

 

 

せやけど・・・

高校に入学してからは・・・俺にとって、さらなる地獄の始まりやった

 

俺らの高校時代は、とにかく監督から、殴る蹴るの鉄拳制裁は当たり前

練習中も毎日毎日、当たり前のように殴られるし・・・試合では、勝っても「勝ち方が悪い」っていうて殴られる

とにかく・・・その日一日を、如何に殴られへんように過ごせるか?っちゅうことだけを考えて、練習をこなしとった

 

「この技をしたら、怒られるやないか?」っていう思いから・・・監督が気に入ることのみを、顔色を窺いながら繰り返す有様

毎日毎日が、苦痛やったし・・・

柔道を通じて「修行」をせなアカン時期にも拘らず・・・俺らがやってたことは、「苦行」のほか何ものでもあれへんかった

 

 

そんな、「やらされ柔道」に徹した高校3年間を過ごした俺でも・・・いや、徹底的に「やらされてた」からこそなんやろな?

高校総体 和歌山県予選 個人-71kg級で準優勝できたし・・・団体戦では、仲間と共にインターハイに出場することもできた

 

柔道を「楽しい」っていう風には、いっぺんも感じることがなく過ごした・・・少年時代・・・ほんで高校時代

そんな時期を過ごしてきた俺やのに・・・

高校卒業後・・・「柔道を辞める」っていう選択肢は、これっぽっちもあれへんくて・・・

前述した通り、「国際武道大学」に進学した

 

 

 

その後の大学生活からは・・・今まで、記してきた通り

『必然』1(大学3年生の夏)

平成13年5月に、接骨院を開院してから・・・

がむしゃらに、がむしゃらに、毎日を全力で走り続けて・・・5年の月日が流れた

 

 

平成18年10月・・・

俺は・・・若い頃からの目標やった、念願の『北岡道場』を設立した

 

 

せやけど・・・その「道場運営」っちゅうもんの難しさを・・・

「人(父兄)」っていうもんによって、悉く痛感させられることになる

 

「人」をまとめることの難しさ・・・

ほんで、時に・・・

「人」を切り捨てることの難しさ・・・

 

 

子供は・・・いつの時代も、純粋無垢

「子供には、罪はあれへん!」

そない考えたら、考えるほど・・・八方塞がりの状態で、俺は身動きがとられへんようになっていった

 

 

 

俺は・・・ものごっつい「適当」な人間のように見えるかも知れへんけど・・・

実は・・・メッチャ、ビビりで繊細・・・ほんで、メチャメチャ弱っちぃねん

 

 

ある時・・・友人に、こんなことを言われたことがある

「耕太郎・・・仕事(柔道含めて)とプライベートの「ON/OFF」してる?」

「おぅ・・・してるよ」

「嘘だね!? お前は、ずっと「ON状態」だよ! ずっと、「誰か」のことを考えてあげてる! どれだけ自分がしんどい時でも・・・どれだけ自分が辛い時でも・・・どれだけ自分が落ち込んでる時でも・・・いつも「誰か」のことを思いやってる奴だよ」

・・・・・って

 

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・

案外・・・そうなんかも知れへんな?

 

 

俺自身・・・その「誰か」のことを考えたり、思いやったりすることを・・・無理に頑張ってたり、しんどく感じたりすることは、まずあれへんねんけど・・・

「自分(自分の家族)が、やられて嫌なこと」

「自分が、その状況に陥ったらしんどいこと」

「自分が、そないされたら嬉しいこと」

それらが・・・いつも、原点にある

 

たとえば・・・接骨院業務

患者さんに対してやったら・・・

非常に年配の男性・女性は・・・自分のお爺ちゃん・お婆ちゃん

親父くらいの年代の方は・・・自分の親父・お母ちゃん

自分くらいの年代の方は・・・自分であったり、女房であったり

自分の子供くらいの年代の方は・・・自分の子供達

そない置き換えて・・・行動するようにしてる

 

「自分のお婆ちゃんやったら、こないされたら嫌やな?」

「自分の女房やったら、こないな扱いをされたら嫌やな?」

・・・・・っていう、具合にな

 

 

若い頃・・・

あんだけ自分勝手で、人のことなんか考えもせえへんかった(きっと、人の心を傷つけてきたであろう)、俺やのに・・・

いつの間にか・・・人のことを考えるようになって・・・人の心を思いやるような人間になっとった

 

そうなったら・・・そうなったで・・・

今度は・・・自分自身が、傷つく側になってしもうた

 

 

あの頃・・・「純粋無垢な子供(道場)」と「自分勝手極まりない父兄(親)」との狭間で・・・

俺・・・どんどん、身動きがとられへんようになっていってしもたんやろな?

 

 

 

 

 

誕生日に・・・生徒やご父兄の方からもらった、プレゼントを紹介しようと思う!(^^)!

 JOHN聖・・・絵、上手いなぁ~(^^)

 

 銀ちゃん! 俺、3Lやでぇ~(何の話や?(-_-;))

 

 KOSEI先輩(立っちゃんの兄貴)、飛び入りで申し訳なかったね

 

 コラァッ~! 隆盛! 俺・・・長生きできへんやろっ!?

 

 琳ちゃん・・・毎年、「お守り」くれるよね? ありがとう(^^)

 

 倭・・・ありがとう(^^) 俺、チョコレート大好き❤

 

 柊・・・「バリ勝男クン」って(^^;)

 

 こころちゃんからも、もらったよ(^^)

 

 RYO! なんや!この写真!?(^^;)

 

 やっさん! 俺に、何を求めてんの?”(-“”-)”

 

 心優! 俺・・・勉強不足?(^^;)

 

 小僧! ゆかっち! ハンコ、使わせてもらうわな!(^^)!

 

 座敷童・・・ありがとうね(^^)

 

啓太! 手紙・・・ありがとうな!

ゆうこりん! 絵、上手いなぁ~(◎_◎)

コラッ! 景! プレゼントは!?(怒)

 

 桜想ちゃん! チョコレート、デカ過ぎやろ!?

 

 元・・・・・(-_-;)  開・・・・・(-_-;)

 

 ココ! 龍! 俺の誕生日やねんけど・・・(^_^;)

 

 ゆたか! りょう! ありがとうね!(^^)!

 

 健之介・・・・・(+_+)

 

 承之介・・・・・(+_+)

 

 紳太郎・・・耳かきしてぇ~❤

 

 清春・・・アホやろっ!?

 

 いぶき・・・誰が、「ラスボス」や!?

 

 ひろ・・・10万円、貯めるわな(^^)

 

 さく・・・次の日の朝ごはん、「ブタメン」やったよ(^^)

 

 武! 美味しかったよ❤ 懐かしかった(^^)

 

他にも、ぎょうさんもらったねんけど・・・写真掲載は、このへんで・・・

 

 RITO先輩から、届いたメール(^^)

奴は・・・毎年、同じことを言いよる!(^^)!

 

 

みんな・・・ありがとう(^^)

 

 

元気出していこう!

READY! GO!!

そないして、入社した・・・「愛子整形外科」やったけど・・・

俺は・・・物理療法の機械の取り外しのみを、淡々とこなす業務を一日中課せられることになった

しかも・・・

資格を持ってへん、20歳代前半の男性・女性スタッフと共に、一日中同じことの繰り返しやった

 

 

専門学校を卒業(国家資格を取得)したからって言うても、すぐに戦力になるはずがあれへん

せやけど・・・

あんまり多くを語ってくださる先生ではなかったっちゅうこともあって・・・

どのような考えで・・・俺自身に、この業務を課してるんか?が、俺には分かれへんくて、ものごっつい不満があったのは事実やった

 

また・・・名札に、「柔道整復師」って書いてるもんやから・・・

患者様も、診察室で聞き忘れたこととか、自分の症状とかを、俺に聞いてくるねんけど・・・

せやから・・・知ってることは、もちろん答えてたんやけど・・・

それも、良くなかったんやろな?

 

もちろん、それらだけやなくて・・・

俺の行動ひとつひとつに、問題があったんやろう?・・・きっと

 

口には出さずとも、露骨には思わずとも・・・

恥ずかしい話やけど・・・

「なんで、資格を持ってへん連中と同じことをせなアカンねん!?」って・・・

あの時の俺は・・・きっと、そない思ってたんやと思う

 

 

就職して、少し経った、土曜日の業務終了後・・・

俺は・・・安先生から、院長室に呼ばれた

 

安先生は、こない仰られた

私の言うこと(方針)に従っていただけるのか?・・・それとも、従っていただけないのか?・・・はっきりしてください!

医療の現場は・・・小さなミスも許されません

私は、救急救命医療に携わっていましたが・・・足が千切れた患者様や、今にも死にそうな患者様が、毎日のように運ばれてくるわけです

北岡先生・・・「医療」の現場を、決してナメないでください!

今日、明日の週末を使って・・・この先の動向を、奥さんとしっかりと話し合ってきてください!

 

安先生は、非常に静かな口調で仰られてたけど・・・

腹の中は煮えたぎってるんやろな?っていうことが、俺には手に取るように分かった

 

 

要するに・・・

安先生は・・・その場所(愛子整形外科)の「長」やったねんよな?

誰か(俺)一人が、足並みを乱したり・・・よそ見をしてたりしてたら・・・組織の統制をとることができへんくなってまう

(前にも記したけど・・・俺は、組織で生きていくことができへん人間やったから・・・)

せやから・・・そのような言葉を、俺に発せられたんやと思うねん

 

 

余談やけど・・・

北岡道場にも・・・以前は、足並みを乱す方が、何人もいらっしゃった

個人的に、出稽古に行きたい(黙って行く)とか・・・

個人的に、試合に参加したいとか・・・

陰でコソコソと、不穏な動きをしてみたり・・・

 

 

仮に・・・俺自身が「長(道場長)」じゃなかったとしよう

それやったら・・・

強くなりたい者は、個人的に出稽古に行った方がいいと思うし・・・個人的に試合に参加することも、「頑張れ!」って応援してやりたいとも思う

 

せやけど・・・曲がりなりにも、俺は「長」やねんよ

「これくらいやったら、目を瞑ってやっても・・・」っていうような、小さなことでも・・・

その「小さなほころび」が、「大きな穴」へと広がってしまうことは多々ある

 

せやから・・・それを認めてしもうたら・・・

統制がとられへんようになってもうて・・・子供たちにとっての、大切な「船」は、傾いてしまいよる

傾いてしまうだけやったら、修正はできるかも知れへんけど・・・沈んでもうたら、元も子もあれへんからな?

 

せやから、俺は・・・

大きなことは当然やし、細かいことであっても、全員が一律であるべく・・・「統制」をとる事に関しては、一切妥協はしてへんし、これからも妥協はせえへんつもりでおる

 

 

せやけど・・・裏を返せば・・・

「筋道」さえ通してくれたんなら、ナンボでも相談に乗るつもりでおるし・・・ナンボでも力になるつもりではおるねんで

 

たとえば・・・俺に「筋道」を通してくれたなら・・・

道場全体に対して、「〇〇さんは・・・こういう理由で、こうします!」っていう、大義名分を知らせることができる

たった、そないすることだけで・・・その方かって、どこに対してでも肩身の狭い思いをする必要なんかなくなるんやで?

せやのに・・・陰に隠れて、コソコソと不穏な動きをするから、ややこしくなるねんや

 

 

ただ・・・それを、分かってへん人は、思ってる以上に多く存在しよる

 

要するに・・・

世の中に対して(如何なる場面や、如何なる人に対してでも)、大見得を切ってできることなんやったら・・・俺に対しても、やったらええけど・・・

世の中に対して、大見得を切ってできへんようなことを・・・俺に対してだけするな!っちゅうことよ

 

結局は・・・「「人を見て」「場所を見て」行動してる」っちゅうことやろ?

それが、アカン!っちゅうねん!

 

物事(個人的な出稽古など)に関しては・・・法律で定められてる訳でもあれへんねんから、話し合いをしたら、解決策は出てくるけど・・・

「人を見て」「場所を見て」行動することに関しては・・・解決策もクソもあれへん!

スタートラインからして、間違ってる

俺は・・・そない思ってる

 

 

せやけど・・・

そんなことをしてしもうたら・・・やっぱり世間様は、よう見てるよ

良かれと思ってやったことでも・・・数年後には、ちゃんと答えが出てきてしまう

 

要するに・・・

親の浅はかな言動や行動が・・・「子供の行き場(立場)を失くしてしまう」っていうことに、つながってしもうとるっちゅうことや

 

親である以上・・・子供に背中で語らなアカン立場やのに・・・

そんなことになってしもうたら・・・本末転倒もええとこやん?

 

やっぱり・・・目先のことだけを見てるんやなくて・・・先々のことを考えた行動をせなアカンねんで

 

 

 

 

 

話が逸れてもうたけど・・・

 

せやから・・・安先生の引いていらっしゃる「これ以上でもなければ、これ以下でもなかった」ライン

俺は・・・そのラインを越えてしまってたんやな?

 

 

メッチャ、考えた

あの時ばかり・・・明美にも相談したし、ホンマに「辞めようか?」悩んだ

 

せやけど・・・一生懸命、考えたねんけど・・・

結局は・・・

己自身の「小さなプライド」っちゅうんか?「しょうもない過去の栄光」っちゅうんか?・・・

「俺自身が、そんなもんにしがみついてる、しょうもない男やった」っちゅうことに、気付かされた

 

多少なりともの柔道の実績・・・柔道で精進してきたっていう自負・・・営業マン時代の営業実績などなど・・・

俺は・・・そんな、何の屁のツッパリにもなれへんようなもん(プライド)を、捨て切ることができへんかったことに気付かされた

 

そう・・・

俺は、自分自身が経験してきたことで、何時しか天狗になってしもうてて・・・人を、見下しとったねん

「知らず知らず」のうちに・・・「場所や人を見て」行動してしまっとったねん

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

余談やけど・・・

「知らず知らずにやってしまった」

「悪気はなかった」

「そんなつもりじゃなかった」

人は、何かが起こった時に・・・そない発して、言い訳をすることが多々あるけど・・・

 

俺は・・・基本的に、その方が問題やと思ってる

だって、根底から・・・悪いと思ってへんかったり・・・無意識のうちにやってしまってたりしてる訳やろ?

それやったら・・・

心の奥底に、沁みついてしまってるんやから・・・己自身じゃ、修正しようがあれへん

 

まだ・・・

「知ってて」、嫌がらせをするとか・・・

「悪気があって」、困らせてるとか・・・

「そんなつもりで」、約束を破るとかの方が・・・

まだ・・・マシやと思う

 

だって・・・

分かってて、わざとやってるんやから・・・止めようと思ったら、己の感情さえ制御したら止めることができる訳やん?

 

でも、俺は・・・

「知らず知らず」のうちに・・・自分のくだらんプライドや、「場所や人を見た」行動をしとったねん

どうしようもない、しょうもない男やったっていうこと・・・この上なかったよ

 

もちろん・・・

安先生は、そんなことを目論んで仰られたわけではあれへんやろうけど・・・

せやけど、俺は・・・

あの院長室での安先生の言葉に、ホンマに救われたって思ってる

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

俺は、すべての「くだらんプライド」をかなぐり捨てて・・・

裸一貫、「0(ゼロ)」から、先生の教えを請うつもりで、ギアを入れ直した

 

 

 

安先生は・・・決して、いろんなことを言葉で伝えてくださるような方ではあれへんし・・・たくさんのことを、マンツーマンで指導してくださるような方ではあれへんかった

せやけど、俺は・・・安先生から、ホンマにたくさんのことを学ばせていただいたし・・・ホンマにたくさんのことを、お教えいただいたって思ってる

 

今、俺が・・・患者様に対して・・・

『心の医療』っていうもんが、一番大切やと考えて診療に取り組んでられるのは・・・安先生の背中から学んだこと!

 

もちろん、前述したけど・・・

自分自身に「気付き」を与えてくださったことに対してでも・・・

どんだけ感謝しても、足れへんくらい感謝してる

 

 

己自身の言動・行動を軌道修正して、取り組んだ「修行(愛子整形外科での勤務)」

愛子整形外科を退職する日・・・俺は、安先生から、こんなお言葉をいただいた

その日を迎えるまで、いっぺんたりとも言うてもらったことはあれへんかったけど・・・

 

北岡先生の、リハビリ室での患者さんからの評判は、本当に良かったですよ

診察室で、たくさんの患者さんが、北岡先生のことを褒めておられました

北岡先生は、開院しても、失敗することはないでしょう

もちろん・・・「驕ることなく、今のままの気持ちで、患者さんに接することができれば・・・」の話ですけど・・・

どうか・・・今の気持ちを忘れずに、これからの人生、精進していってください!

って・・・

 

その言葉は・・・

接骨院を開業してから、18年を迎えようとしてる今でも・・・俺の心の、一番根っこの部分をしっかりと支えてくれてる

 

 

 

 

ほんで・・・迎えた、平成13年

その年、国体開催県は宮城県であり・・・

宮城県国体予選にさえ優勝したら、東北国体を飛び越して、国体本戦に出場できる年やった

 

せやけど・・・

平成13年5月、親父の後押しもあって・・・接骨院を開院することとなった

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

またまた、余談やけど・・・

 

平成13年の正月・・・

大阪に帰省しとった俺は・・・親父から、こう投げかけられた

親父:「お前、開業する予定はあるんか?」

俺:「まだ、一年足らずやし・・・あと2~3年、勉強(修行)してからかな?って考えてるけど」

親父:「俺やったら、今すぐにでも開業するわ!  

勉強なんちゅうもんは・・・その「業界」が教えてくれることやし、一生していかなアカンことなんじゃ!  

「完全に仕上がってから・・・」なんて考えとったら、何十年も掛かってまうわ!  

お前・・・高校進学の時も、大学進学の時も、綜合警備に入社する時も、接骨院の学校に行くって決めた時も・・・パン!パン!って決めてきたんとちゃうんか? 

そうやって・・・見知らぬ土地、見知らぬ世界で、やり上げてきたんとちゃうんか? 

せやのに・・・何、今になって足踏みしてんねん!?」

そない・・・発破を掛けられた

 

 

俺自身・・・それまでは、当然そうやって生きてきてたんやけど・・・

家族(明美、悠葉、REN)がおることで、躊躇しとったんかなぁ?

親父に言われて・・・「ハッ」としたよ

 

あの時から、俺は・・・「迷いの糸」っちゅうもんを、すべて断ち切るようにした

 

せやから・・・っちゅう訳ではあれへんけど・・・

俺には・・・「〇〇は・・・☓☓が、ちゃんとできるようになってから」

・・・・・なんていう概念は、これっぽっちもない

 

たとえば・・・

「結婚」は・・・「仕事」が、ちゃんとできるようになってから・・・・・・・とかね

仮に・・・

長女(悠葉)の旦那さんになる人が・・・学生やったとしてでも・・・ペーペーの社会人やったとしてでも・・・

「彼女を想う気持ちに、嘘偽りがない」んやったら・・・俺自身、父親として、全く以て問題あれへんと思ってる

 

生徒たちに対して(特に、高校進学の時)も、いっしょ!

「案ずるより産むが易し」

 

悩んで、足踏みしてるより・・・

二足の草鞋でも、三足の草鞋でも・・・たった一度きりの己自身の人生、思いっきりチャレンジした方が、絶対にいい!

 

もちろん、中途半端は良くないけど・・・

勉強「だけ」じゃなくて・・・柔道「だけ」じゃなくて・・・アルバイト「だけ」じゃなくて・・・恋愛「だけ」じゃなくて・・・

すべての物事に対して・・・全身全霊で、チャレンジしたらいいと思う

 

 

よく、親御さんから・・・「「失敗」する訳にはいきませんから」って、言葉を耳にするけど・・・

俺は・・・たかが15歳の少年少女に、「失敗」なんかあれへんと思ってる

 

「目標にしとった高校に、入学できへんかった」

それは、「失敗」じゃなくて・・・『必然』や

 

入学できへんかったら、できへんかったで・・・

「そこから、どない動く」んかが、大事なことやし・・・

自ら、ちゃんと動ける子にさえ育ててやっとったら、何の問題もあれへんのんとちゃうんかな?

 

要するに・・・

「そこから、どない動く」んか?を・・・自ら出来る子(動ける子)にさえ育ててやっとったら・・・

そんな場面で迷うことなんか、あれへんやろうし・・・

その場面に行き着くまでに・・・もう既に、己自身で解決しようと試みてるよ

 

 

せやから・・・

(言い方は、ものごっつい悪いけど・・・)

子育て中・・・どんなことに関しても・・・

子供を、「放し飼い」にしてやることは・・・ものごっつい大事なことなんとちゃうんかな?って、俺は思うんよ(もちろん、その許容範囲は、人それぞれ違うやろうけど・・・)

短い鎖につないどったら(親の目に届くところにおってくれたら)・・・親は安心やけど、子供は成長しよれへん

 

せやけど・・・ちゃんと「信頼」っていう枠(絆)で囲んでやっとったら・・・

大草原に「放し飼い」にしとっても・・・自分のことは、自分で考えて行動しよるし・・・飯食う時、寝る時、行事がある時は、必ず家に帰ってきよる

さらに言うたら・・・

親の見えへんところで・・・限りなく勉強をしてるはずや

深イイ~話(^^)

 

ただ・・・

あくまで・・・「放し飼い」・・・やで

間違っても・・・「野放し」にしたらアカンよ

「野放し」と「放し飼い」は・・・別もん

似てるけど、まったく以て違う

 

 

おそらく、俺は・・・

幼い頃から、目には見えへん部分で・・・親父に「放し飼い」にされとった(してもらっとった)んやろう?

 

 

そんな、俺自身も・・・

曲がりなりにも子育てをさせてもらって、2人の子が成人した今・・・

教育の現場に立たせてもらって、12年の時が過ぎた今・・・

子供たちに対して・・・そないな教育をしてるなぁ~?って、感じることが多くなったわ

 

余談が、長くなってもうたな(^^;)

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

当然のことやけど・・・毎日の業務というか、毎日の生活に必死で・・・「ボクシング」(宮城国体)どころではなくなってもうて・・・俺は、次第にボクシングから離れていった

 

国体に出場したいがために・・・専門学校卒業後も、そのまま残った宮城県

せやのにも拘らず・・・国体開催年に、接骨院を開業

 

「何のために、宮城県に残ったねん?」って、言われてしまうかも知れへんけど・・・

今ここにおる、俺を見る限り・・・

やっぱり・・・『必然』やったんかな?って、感じずにはおられへん

 

また・・・前回も記したけど・・・

あの時、就職活動もしてへんかった俺が・・・たまたま、情報をキャッチして連絡した「愛子整形外科」に就職させていただいたことも・・・

きっと・・・『必然』やったんやと思うよ

東北柔道専門学校に入学すると同時に・・・柔道部に所属することになった

先述したけど・・・「柔道をすることを条件」で、東北柔道専門学校に入学した以上、それは決まり事のようなもんやった

 

ただ・・・俺には、家族がおる

学費も生活費、養育費も・・・全部、俺の肩に乗っかってる訳や

 

早朝からのアルバイト・・・午後からのアルバイト・・・

それを抱えてる俺にとっては・・・朝練、午後の練習と、決められた時間の中で動くことが非常に困難やった

 

その時間の調整が、あまりにも難しくて・・・

やむを得ず、俺は1週間で柔道部を退部した

(その節は、本当に申し訳ありませんでした)

 

 

せやけど、俺は・・・

闘うため(闘う前)の「緊張感」っちゅうもんが、なんでか分からんけど、ものごっつい好きでなぁ?

その「緊張感」の中に身を置くことを求めた

 

そんで・・・それを求めた結果・・・

俺は・・・高校生の頃から興味を持っとった、「ボクシング」をすることを選んだ

 

 

平日は・・・

早朝(4:00や5:00)からのアルバイト

7:30に終了するから・・・帰宅して、すぐに1時間のロードワーク

シャワーを浴びて・・・9:00から学校の授業

12:10に授業が終わるから・・・12:30から、トラックに乗るアルバイト

19:00くらいには、アルバイトが終わるから・・・そこから、ジムに行ってジムワーク

2時間ほど練習をしてから、家に帰る

 

土日、祝日は・・・

早朝(3:00頃)から、19:00頃までトラックに乗って・・・ジムに行ってジムワーク

 

時間に追いやられる、いっぱいいっぱいの生活やったけど・・・

自分で時間調整ができる、自分で自己管理をすることができる、「ボクシング」は・・・

実業団時代と同じような感じやったから、心底のめり込んでいった

 

 

ちなみに・・・

柔道整復師の勉強の方は?っていうと・・・

毎日毎日、時間の許す限り、必死になって勉強をした

1日24時間っちゅうのは、人間誰でも同じ

せやから・・・授業(結構、授業中に勉強しまくったな?)、アルバイト、ロードワーク、ジムワーク・・・

俺は・・・荷物の搬入の際の余った時間・・・大袈裟にいうたら、トラック配送の信号待ちの時間さえも、キャビンの中で教科書を広げて勉強しとった

 

そんだけ勉強しとった俺は・・・

専門学校時代・・・定期テストの範囲なんか、気にしたことがあれへんかった

それどころか・・・教科によって時間で区切られてるのが当然なんやけど・・・

これから行われるテストが、何の教科のテストなのか?さえ・・・

俺は分からんまま、目の前に出てきたテスト問題を解くっていう感覚でおった

 

それくらい、俺は・・・全教科、すべての内容を網羅するくらい勉強をしとった

 

中学3年生の高校受験の時も、そうやったねんけど・・・

俺は、自分自身で・・・

「勉強の仕方が分かれへんかったことが、功を奏したんやろな?」って思ってる

 

子供の頃は、勉強なんかしたことがないもんやから・・・要点を絞って勉強するなんていう能力は、俺には備わってへんかった

とにかく、教科書の1ページ目から最終ページまで、徹底して覚え込むことしかできへん

何十回も、何百回も・・・読んで・・・書いて・・・また、読んで・・・

そないすることしか、出来へんかった

 

せやから・・・

テストの問題が・・・「教科書の〇〇ページの右上に記載されてる」っていうような・・・そんなことまで、俺は知っとった

 

 

 

 

 

話が、えらい逸れてもうたな・・・

 

俺は・・・中学生や高校生の頃、街で喧嘩(殴りっこ)をした経験がある

皆さんも、そんな経験があるかとは思うけど・・・

「ボクシング」っていうのは、その延長上・・・・・俺は、そんな感覚でおった

 

そんな感覚で取り組んでたからこそ・・・すぐに頭打ちさせられることになる

 

ジャブ、ストレート、フック、アッパー、フットワーク、ディフェンス・・・

サンドバッグを叩いて・・・トレーナーがミットを受けてくれて・・・

 

柔道をしとったことで、体ができとったっていうこともあって・・・

早くに、スパーリングまで漕ぎつけたまでは良かったねんけど・・・

俺は・・・自分より3階級も下の選手に、いとも簡単にロープを背負わされて、ボコボコに殴らてしもうた

 

正直・・・メチャメチャ、怖かった

何の抵抗もできへんまま、顔面、ボディー、また顔面・・・

上手い具合に、上下に散らされて・・・俺は、何もできんと、やられるがままの状態やった

 

メチャメチャ、悔しかった

20代後半にも拘わらず・・・悔しくて悔しくて、嗚咽するくらい泣いた

 

 

そんな、俺は・・・基本的には、「負けず嫌い」なんかも知れへんな?

翌朝からのロードワークは、心臓が飛び出してまうんとちゃうか?って思うくらい・・・自分自身を追い込んで、普段よりペースを上げて、徹底的に走った

走って、走って、走りまくったよ

(柔道をしてた頃(高校・大学の頃)に、あんだけ走りまくってたら・・・足腰とスタミナは、かなり強靭やったんやろなぁ?って・・・自分自身で切実に感じるくらい、走りまくった)

ジムにも・・・どれだけアルバイトの終了時間が遅くなっても・・・どれだけ翌日のアルバイトの時間が早かったとしても・・・極力、休むことなく通い続けた

 

ほんで、何より・・・

ボクシングをしたことで・・・大切なことを教えてくださった、師匠との「出会い」もあった

『師匠』が残してくれたもの・・・

その甲斐あってか?・・・俺は国体予選で優勝させていただいた

 

優勝は、させていただいたんやけど・・・

過去(高校、大学)の戦績(実績)が、全くない俺は・・・東北国体には、俺の階級(ウェルター級)だけエントリーしてもらわれへんっていう、苦い現実も経験した

もちろん・・・東北国体に出場してても、きっと負けてたやろうけどね?

 

 

ただ・・・平成13年は、宮城県国体であり・・・

その年に限っては、開催県枠っちゅうことで・・・県予選で優勝さえしたら、東北国体に出場せんでも本戦に出場できるっていう、システムになっとった

 

 

俺は・・・平成12年3月に、東北柔道専門学校も卒業してる(国家試験にも合格してる)ねんけど・・・

就職先(修行先)も決めんと(「今までのアルバイトを、継続しながらでええわ」って思いながら)・・・国体に出場したいがために、宮城県に残った

 

東北柔道専門学校の同級生たちは・・・地元に戻ったり、宮城県に残ったりと様々やったけど・・・

ちゃんと就職活動をして、どんどん整形外科や接骨院へと就職が決まって・・・

春先から・・・それぞれ、柔道整復師としてデビューをしとった

 

そんな状況の中でも・・・何の就職活動もしてへんかった俺やけど・・・

正直・・・「接骨院を開業したい」「道場を設立したい」っていう目標があったもんから・・・周りの動向に対して、正直焦りもあった

 

 

卒業してから(国家試験の後)も、アルバイトを続けながら生活してた、そんな俺の耳に・・・

どっからの情報やったんか?忘れたけど・・・

「愛子整形外科」が・・・「柔道整復師」を募集してるっていう、情報が聴こえてきた

 

この時期に、募集って?・・・なんでやろう?って思いながらも・・・俺は、愛子整形外科(院長:安先生)に電話をした

ほんなら、安先生自身から・・・

「いいですよ! ぜひとも、〇日に面接に来てください!」っていう・・・えらい簡単な返事をいただいた

 

 

その後・・・その日やったか?翌日やったか?忘れたけど・・・

実は、「愛子整形外科」が募集をしとったんは、「柔道整復師」ではなくて「理学療法士」やったっちゅうオチが・・・安先生自身から連絡がきた

 

せやけど・・・安先生も、俺に対して言うてしもうた以上、「悪いな」って思ったんか?

それとも、理学療法士が見つかれへんから、たまたま連絡してきた俺(柔道整復師)で、仕方なく手を打ったんか?

それは、分かれへんけど・・・

何はともあれ・・・俺は、愛子整形外科に就職することが決まった

 

 

たまたま情報をキャッチして、押しかけ的に電話をした俺・・・

俺自身が所持してる資格を「理学療法士」と勘違いなさった?、安先生・・・

いずれにしても・・・

愛子整形外科に就職させていただいたことも・・・俺にとっては、大きな『必然』やった

 

そんな時・・・

俺は・・・自分の「やりたいこと」「やりたかったこと」を、考え始めた

 

高校生の頃・・・柔道で怪我をした時に、よく接骨院の先生にお世話になった

また、親父が、柔道場を運営しとったっていうこともあって、柔道場を設立したかった

 

柔道衣を脱いだ今・・・大会に出場するための「綜合警備保障」のゼッケンは、もう必要あれへん

俺は・・・次の道を歩むべく、動き始めた

 

 

まず・・・接骨院を運営するためには、国家資格が必要になる

その国家資格を取得するためには・・・3年間、専門学校に通う必要がある

ただ・・・当時、柔道整復師(接骨院)の専門学校は、日本に14校しかなかった

今現在は・・・全国に、かなりの数の学校があるけど・・・当時は、14校しか厚生労働省からの認可?がなかった

 

俺のような、脱サラ組は・・・個人的に、その狭き門をくぐるのは、なかなか難しくて(単に、子供の頃に勉強をせえへんかったから、高校、大学、専門学校って、純粋に受験することは困難を極めるっちゅうだけのことやねんけど(+_+))・・・

俺は、大学の部長(先生)のところに、相談しに行った

ほんなら・・・「専門学校に進学した際に、柔道をする」という条件で・・・「東北柔道専門学校(げん:仙台接骨医療専門学校)」に、話を通してくれることになた

 

 

俺は・・・この内容を・・・

誰に話すこともなく、内密に動いとった

明美にさえも、内密に動いとった

 

さすがに・・・ある程度、足元が固まって、入学金などのお金が必要になった時に初めて・・・明美に、内情を話した

俺的には・・・結構、覚悟を持って話したつもりやってんけど・・・

「ふ~ん  遅かれ早かれ、いつか(会社を辞めて、違うことを求めて動き出すって)言い出すやろうって思ってたけど、それが今やったってことやね?」・・・・・の、一言で終わった

当時・・・悠葉(先生)が生まれて間もない時やったから・・・俺自身、会社を辞めて、学生になるっていう不安材料を、ものごっつい抱いとったねんけど・・・

彼女からは、「ふ~ん」の一言しかなかった

 

俺は・・・彼女の手のひらの上で、完全に転がされてる・・・・・・・ようやった(今もそうやけど・・・(^_^;))

 

 

平成9年4月・・・

己自身の『目標』を達成するために・・・心機一転、明美と悠葉(先生)と3人で・・・

杜の都「仙台」にやってきた

 

 

2回目(社会人2年目)の実業団の大会の後・・・

俺は・・・彼女(明美)と結婚した

当然・・・背中に背負う「責任」っちゅうもんは・・・独身の時とは、全然違ったし・・・

仕事(営業活動)の方にも・・・一生懸命、精を出した

 

そのお陰で・・・

社会人3年目、4年目と・・・仕事の方は、ものごっつい順調で、顧客数もどんどん増えてきとった

それに伴って・・・

上司の方の中には・・・「こいつは、「営業」に向いてるから」って仰られた方もおったけど・・・

俺は・・・「向き」「不向き」なんちゅうもんはない!って考えてる

 

営業課っていう部署に配属された以上・・・その「与えられた環境の中で、最大限の努力をする!」っていうことは、俺の中では「当たり前」のことやったっていうだけで・・・

俺かって、他のみんなと同じように・・・「やりたくない」「(飛び込みセールスに)行きたくない」「嫌やなぁ~」って思う気持ちは、十二分に備わっとったし・・・正直、毎日のように、そない感じとった

 

そらぁ・・・飛び込みセールスっていうたら・・・

目の前で、名刺を破られたり・・・パンフレットを投げられたり・・・無視されたり・・・が、日常茶飯事に起こるんやで?

毎日、毎日が・・・憂鬱で憂鬱で、じょうがなかったよ

 

せやけど・・・

「他の人が、50件の飛び込みセールスをしてるんやったら、俺は100件行ったるわ!」

「今に見とけよ!」っていう・・・

その「意地」だけが、俺自身を動かしてたように思う

 

柔道は・・・相手がおる対人競技やから、どんだけ努力をしても相手に負けてしまう(報われへん)時もある

またトーナメントであったら・・・途中で負けてもうたら、それ以上は上がられへん

 

 

せやけど・・・社会に出たら、決してそうではない!

もちろん、トーナメントなんかではあれへんから・・・自分自身が諦めへん限り、限りなく歩みは遅くとも、次のステージには上がることができるはずや

そう・・・

「必死」で動けば・・・多少なりとも、跳ね返ってくるもんはある!

俺は・・・そない、考えとった

 

まして・・・

「「必死」で動くこともなく・・・言い訳を、真っ先に並べるような人間にはなりたくない」っていう思いもあったから・・・

己自身の人間性を成長させるべく・・・がむしゃらになって、自分から「逃げ場のない状況」に足を踏み入れた

 

 

余談やけど・・・

「必死」とは・・・「必ず死ぬ」と書く

俺は・・・「必死」になったことが、あるか?ないか?で・・・

その後の人生は、大きく変わってくるんではないか?って考えてる

 

 

 

話が変わるけど・・・

俺は・・・柔道をしてた時から、思ってきたことがある

「人と同じことをしとっても・・・人と同じか?もしくは、人よりせいぜい頭ひとつリードするか?ってもんや!」って

 

せやから・・・

「人と違うことをせえへんかったら、人よりも自分自身が上に上がることは難しい!」

・・・そないな考えを持っとった

他人と違うことを・・・

 

せやから・・・っていう訳じゃないねんけど・・・

 

たとえば・・・「名刺」

綜合警備保障は・・・セ〇ム株式会社(改名前は、日〇警備保障やったかな?)と、日本の二大警備会社って言われとったねんけど・・・・・結構、お堅い会社やった

名刺(名刺は、営業マンの武器やからね)ひとつ取り上げても・・・「綜合警備保障株式会社」って、縦文字でつづられとって、非常に堅苦しいもんやった

対する、ライバル会社のセ〇ムさんは・・・ローマ字で「SE・・M」って謳って・・・おまけに、長嶋茂雄さんを起用して「セ〇ムしてますか?」って、ものごっついインパクトを世の中に与えとった(当時)

 

営業先で、「堅苦しい名刺だね?」「セ〇ムさんの方が、いいんじゃないの?長嶋さんもCMに出てるし・・・」なんてことを・・・しょっちゅう言われとったっちゅうこともあったねんけど・・・

 

俺・・・「これじゃ、勝負できへんな?」って考えて・・・

勝手に、「日本のセキュリティはSOK」って、横文字の名刺をデザインして・・・総務課の女の子に、そのデザインの名刺を作成してもらったねん

ほんで・・・でき上がってきた名刺をパンフレットに添えて、飛び込みセールス先で配りまくったったねん

 

 

1~2ヶ月経った時やったかなぁ?・・・支社長から呼び出された

内容は・・・

「本社に、この名刺(俺が勝手に作った名刺を手に持って)が届いてて、問題になってる」っちゅうことやった

もちろん・・・「その名刺の使用は、すぐにやめるように!」って、釘を刺された

さすがに・・・始末書だの、配属先変更だのって言われたら、元も子もあれへんから・・・俺は、渋々その名刺を使うことは止めたねんけど

 

 

会社組織に属する以上・・・俺がやったことは、当然ルール違反

せやけど・・・何か、人と違うことができへんもんやろか?

あの頃の俺は・・・「野心」に満ち溢れとったんやろな?

そないな事ばっかりを、考えとった

 

 

 

ちなみに、余談やけど・・・

俺が、会社を退職して、1年ほど経った時(その一件から、2年ほど経った時やったかなぁ?)に、会社の先輩に会った

 

「これ、見てみぃ!」って、先輩が持ってた名刺を見せられた時・・・

俺は・・・「えっ?」って、固まってもうた

 

「お前が・・・あの時、勝手に作った名刺によう似てるやろ!?」って・・・

俺が勝手に作った名刺に、よく似たデザインの名刺に会社全体が変わっとった・・・っていう・・・

俺がやったことも、満更間違いではなかったんかな?って感じさせてもらえる

そんな、嬉しいオチがあった

 

 

組織に所属してる以上・・・身勝手な行動は、当然してはいかんことやねんけど・・・

俺は、そんな感じで「空回りしてしまう」・・・そんな事案が、いくつか?続いたからなんかなぁ?

俺は・・・自分自身の居場所に対して、無性に違和感を感じ始めた

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

ええように記したけど・・・

結局、俺は・・・「組織」の中では、生きていかれへん人間やねん

世間一般に言うたら・・・「協調性がない、自分勝手この上ない奴」

・・・・・そんな人間なんよ

 

せやからこそ・・・今、こんなことをしてるんやろな?って・・・

俺は、自分自身のことを・・・良くも悪くも、そない評価はしてるんやけどね

 

 

せやけど・・・いつからやろう?

こんな「気質」じゃ、アカンなって考えて・・・自分自身を変えはじめたのは?

 

今でも、基本的には・・・協調性がなかったり・・・自分勝手な行動をしてしまったり・・・人の話に耳を傾けへんかったり・・・

そんな部分は、少なからずあるなぁ~?って・・・自分自身でも感じることはあるけど・・・

※「我」が強すぎる部分は、俺の「生き様」やから・・・それとは別次元の問題やな?って考えて、どうか勘弁してほしい

 

最近は・・・協調性を持とうとしたり・・・人の話を聞こうとしたり・・・人の心を思いやろうとしたり・・・

限りなく、相手のことを尊重しようって、考えることが多くなったような気がする

 

 

たとえば・・・我が子に対してやったとしたら・・・

 

彼らは・・・時々、「んっ?」っていうような想いを、俺に持ってくることがある

子供であったり、若かったりするから、当たり前のことやねんけどね?

 

もし、以前のままの俺やったとしたら・・・

「そんなことも、分からんのかよっ?」

「それは、アカンやろっ?」

「そうしたら、いいだけのことやんけっ!?」って・・・

彼らが、想いを述べ始めた直後であっても・・・「俺の考え」と違ってたりしたら、そない吐き出してしまってたと思うねん

 

 

せやけど、最近は・・・彼らの思いを、まず一旦100%受け止めるように心掛けてる

受け止めて・・・飲み込んで・・・自分の中で消化して・・・

もちろん・・・その後に吐き出す、「自分の考え」も・・・

ゴリ押しではなくて・・・「俺やったら、こうするかな?」「それは、違うように感じるけどな?」って・・・

限りなく・・・彼ら自信(の考え)を尊重した上で、「自分の考え」を吐き出すようにしてる

※おそらく・・・普通の人やったら、こんなことは、当たり前のことなんやろうけど・・・以前の俺は、そんなことすら、出来へん人間やったんよ

 

 

だって・・・俺、思うねんけど・・・

あいつら自身・・・「正論」がなんなのか?は、ちゃんと分かってると思うんよ

「こうするべき」「こうあるべき」って・・・本来あるべき姿も、絶対に分かってるはずやし・・・

 

分かってるにも拘わらず・・・

俺に、相談してきたり・・・俺に、自分の想いを投げてきたりするっていうことは・・・

きっと、やり切れへんかったり、行き詰まってたりしてるからこそなんやろな?て、俺は思うねん

 

 

それやのに・・・

恰も、「お前、何言うてんねん!?」的な・・・「正論」っていうエクスカリバーを振りかざしてしもうたら・・・

きっと、あいつらの心の中は、グチャグチャになってしもうて・・・

余計に、身のやり場がなくなってしまうと思うねんよな?

 

俺と明美が、誠心誠意、育ててきたあいつらが・・・「正論」を理解してへんはずがない!

「正論」を理解しとっても・・・「やり切られへん!」「行き詰ってる」っていう、何らかの思いがあって・・・

身動きがとられへんようになってたり・・・身のやり場がなくなってたりしてるんやよな?・・・きっと

 

せやけど・・・・・いや、せやからこそ・・・

その気持ちを、汲み取ってやるのが・・・・・『親』なんとちゃうんかな?

 

 

(親や教育者は)誰しも・・・「己の考え」は、正しいと思ってるよ

今現在、とんでもないこと(たとえば、犯罪とか)をしてへん限り・・・

自分の歩んできた道や、自分の経験してきたことを元にした・・・

「自分の考え」が、正しいと信じて・・・子供たちに接したり説き伏せたりしてることと思う

 

子供も・・・それは、分かってるし理解もしてるんよ!?

分かってるけど・・・前述した通り、浅はかな言動、愚かな行動をしてしまうんよ

 

それは・・・子供達からしたら・・・

「親」しか、頼る者がおれへんからやん?

「親」しか、想いを吐き出せる者がおれへんからやん?

 

せやから・・・

それを、受け止めてやるだけで・・・彼ら自身を、尊重してやるだけで・・・

どんだけ、彼らの心が温まるんか?

どんだけ、彼らが安心するんか?

ほんで、それに伴って・・・

どんだけ大きな「責任」っちゅうもんを・・・彼ら自身が、自ら背負い込み始めようとするんか?

 

親が、それを汲み取ってやって・・・ちゃんとケツ持ちをしてやったら・・・

子供は、ちゃんと自分で考え、自分で行動するようになる

 

そないすることで・・・

自分で吐き出した言葉や、自分の行動に「責任」を持ち始めるんとちゃうんかな?

それが、「自己責任」なんとちゃうんかな?って・・・俺は考えてるねんけど・・・

 

 

我が子(生徒)との信頼関係を築き上げるために、一番大切なことは・・・

彼らを「思いやり」「信じて」「待って」「許してやること!」

ただ、それに尽きると思う

 

 

「子供たちを信頼してる!」

そない、口にするのは簡単なことやけど・・・

「「正論」で、抑え込もうとしてる時点で・・・子供を「信頼」できてへん証拠やんけっ!」

俺は・・・そない、自分に言い聞かせて・・・

「思いやり」「信じて」「待って」「許す」ようにしてる

 

自分が、誠心誠意、育ててきた彼らが・・・

何かを訴えようとしてる

何かを求めてる

何か行動を起こそうとしてる

その心の奥底まで、のぞき込んでやる「ゆとり」を持つことができたなら・・・

彼らは・・・きっと、救われるんやろうな?って・・・

俺は・・・そない考えてる

 

 

 

 

話が、大きく逸れてしもうた感じになったけど・・・

結局は・・・誰に対しても、「思いやり」を持って、「信じて」「待って」「許してやる」ことが、一番大事なんとちゃうんかな?って・・・

最近は・・・そない、考えられるようになったっていう話

 

 

 

入社2年目・・・

仕事は・・・さらに、忙しくなっとった

正直にいうて・・・「練習したい」なんて、悠長なことを言うてられへんほど、毎日毎日、忙しく営業活動に追いやられとった

 

 

そんな・・・お世辞にも、ベストコンディションとはいわれへんような状態で迎えた・・・

2回目の「全日本実業団体重別選手権大会」

 

俺は・・・2回戦で、大学の3歳上の先輩と対戦することになった

 

俺は・・・その先輩のことが、正直、気に入らへんかった

その先輩は・・・大学を卒業した後も、大学に残って練習にいらっしゃってたけど・・・

大学在学中、ほんで卒業された後も・・・俺は、その先輩に、良く思われてへんかったんやろな?

事ある毎に、文句を言われたり・・・陰険な言葉も多々吐き出されたりした

 

せやけど・・・俺が、大学3年生の後半くらい(練習に真面目に取り組み始めたくらい)からは・・・

俺自身も・・・ちょっとずつ、レベルアップが図られてきた

それに伴って・・・練習中、乱取りの相手をお願いをしにいったりもしたんやけど・・・先輩が、俺の相手をしてくれることはなかった

 

練習を断られる理由は何なんか?は、分かれへんけど・・・

俺は、その頃から、「練習であっても、試合であっても、その時が来たら徹底的にやってやる!」っていう、そんな思いでおった

 

それが・・・実業団の大会で、対戦できることになった

俺は・・・「勝ってやる」っていうことよりも、言い方は悪いが「壊してやる」(要するに、腕の一本を関節技で折ってやるって考えとったんやな?)・・・そう考えて、試合に挑んだ

 

あの試合・・・俺にとっては、「柔道」じゃなかった

「喧嘩」・・・やった

 

5分間の試合の中で、今まで積み重ねてきた自分の技に、飛び込めるシーンは何べんか?あったと思うけど・・・

俺は・・・再三にわたって、飛び十字関節、巴投げからの十字関節、そればっかり(壊してやる)に拘って、試合、いや喧嘩をしとった

 

結果・・・旗判定、3-0で判定負けやった

 

試合が終わってから、我に返った

「負けた」

そう・・・「負けた」ねん

「喧嘩」をしてるつもりの俺自身やったけど・・・柔道の「試合」で「負けた」ねん

 

情けなかった・・・

「感情」に左右されてもうて・・・冷静な試合運び、試合の組み立てが、まったくできてへんかった自分自身を、ものごっつい恥じた

(もちろん、先輩に対しても・・・あのような感情を持ち、あのような思いをぶつけてしまったことを・・・今となっては、ホンマに自責の念にかられてるし、ホンマに申し訳なく思ってる)

 

 

俺が負けた、その先輩は・・・その大会で上位に入賞された

「たら」「れば」は、言うてもしゃあないことやけど・・・

勝つつもりで戦って「たら」・・・試合を、ちゃんと組み立てて「たら」・・・違う内容やったんかも知れへん

 

せやけど・・・その結果は、『必然』やったんやろな?

「感情の抑制」をすることができへんかった、俺の失態のほか何ものでもなかったねんから・・・

 

 

そないして・・・俺の社会人2年目の夏の実業団の大会が終わった

 

・・・・・っていうより、仕事の忙しさ、その状況での減量の厳しさ、練習・トレーニング不足など・・・

事実上・・・俺のチャンピオンスポーツとしての「柔道」は、この夏の実業団の大会が最後になってしまうことになる

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【連絡先】
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