俺は・・・
『ありがとう』
・・・っていう言葉を、ものごっつい大切に想ってる
たとえば・・・北岡家の日常の中・・・
俺は・・・夕食後、彼女(明美)に対して・・・
「ごちそうさまでした! ありがとう!」
・・・って、必ず毎日言うてる
別に、言おう言おうと心掛けてる訳やなくて・・・
感謝の気持ちとして・・・自然と、心から発してる
もちろん・・・
晩飯のことだけに限らず・・・日々の生活の中、事ある毎に、彼女に『ありがとう』を伝えてる
俺自身・・・
彼女に伝えることができる、『ありがとう』こそが・・・ものごっつい大切で、意味のある事なんやと、常々思ってる
また・・・
子供たち(悠葉先生、REN、心颯、心和)が、ちっちゃい時にも・・・
事ある毎に・・・「『ありがとう』を伝えよう!」って、彼らに言い続けてきた
それは、もちろん・・・
「親(俺や彼女)に感謝しろ!」なんていう、分別臭いもんでは、決してなくて・・・
『ありがとう』っていう魔法を、子供の頃から感じてほしかったから
せやから・・・ウチの家族(子供達だけやなくて、俺や彼女も)間には・・・
洋服を買いに出かけた時にも・・・「服買ってくれて、『ありがとう』」
お小遣いを渡した時にも・・・『ありがとう』
駅とかに送り迎えをした時にも・・・『ありがとう』
食卓で、手の届かへん場所(家族多いから、食卓机がデカいねん(^_^;))のお茶やお箸を取ってもらったら・・・『ありがとう』
学校の書類に、サインをした時にも・・・『ありがとう』etc・・・
そないして・・・毎日のように、『ありがとう』が飛び交ってる
(もちろん、「そんなこと、当然じゃ」って言われたら、全く以てその通りやねんけど・・・(^_^;))
さっきも記したけど・・・
俺は、『ありがとう』っていう言葉には・・・魔法があると思ってる
どんな状況であってでも・・・
『ありがとう』の一言があったら・・・心の中の苛立ちでさえ、浄化されてしまうことがある
せやから・・・
俺は、ずっとずっと前から・・・『ありがとう』は、魔法の言葉やと思ってんねん
人は、時々・・・己の周りに転がってる『幸せ』っちゅうもんを見失ってしまうことがある
「当たり前」なんていうもんは・・・この世の中に、何ひとつ存在せえへんのに・・・
両親や子供(要するに、愛する家族)が、存在してくれてること
あったかい御飯が食べれること
あったかい布団で眠れること
自分の子供が元気でいてくれること
大切な奥さん(旦那さん)と、日々平凡に暮らせること
柔道ができること
五体満足であること
「生きてる」っていうこと
この世の中に・・何ひとつ「当たり前」のことなんか存在せえへんのに・・
なんでやろうか?
大切なもの(『幸せ』)を、見失ってしまう
大切なもの(『幸せ』)・・・
それは・・・「平凡な日常」の中にこそ存在するもんやと、俺はそない思ってる
せやから・・・
「平凡な日常」の中にこそ・・・この上ない『幸せ』っちゅうもんが、山ほど詰まってるっちゅうことを・・・絶対に、忘れたらアカンねんよな?
己自身、病気をせんと健康でおれて・・・
家族も病気をせんと健康でいてくれて・・・
毎日、仕事ができて(に行けて)・・・
子供たちが、引きこもることなく学校や仕事に行ってくれて・・・
家に帰ったら、大切な人(奥さんや旦那さんや子供)が待っててくれて・・・
新しい命が、芽生えてくれて・・・
普通に飯が食えて・・・
普通に風呂に入れて・・・
普通に布団で眠れて・・・
時に・・・ちょっとした贅沢(アイスが食えたり、温泉に浸かれたり、外食ができたりetc・・)が、できるなんちゅうことは・・・実は、とんでもないくらいの『幸せ』なんやと、俺は思う
今いるポジション・・・今ある環境・・・今の自分自身の状況を「基準」に考えたら・・・
減点法になってしまうから・・・『幸せ』は、どんどん減っていきよる
今食ってる肉よりも、もっと美味い肉が食いたいだの・・・
今着てる服よりも、もっときれいな洋服が着たいだの・・・
今以上に、もっとたくさん遊びたいだの・・・
人は・・・どうしても、周りと己自身を比べてしまって、悲観的になる傾向があることも否まれへん
せやけど、そうなると・・・
「平凡な日常」が・・・恰も「当たり前」になってしまって、自分の心の中に「苛立ち」を覚えてしまうことさえある
余談やけど・・・
そないして、「欲」を持つことは・・・己自身を鼓舞する材料にもなるやろうから、ものごっつい大事なことなんやと思うよ
今食ってる肉より、もっと美味い肉を食ってやるって思って、頑張ったり・・・
今着てる服より、もっときれいな洋服を着てやるって思って、辛抱したり・・・
今以上に、もっとたくさん遊べるだけのお金を稼いでやるって思って、精進したり・・・
せやけど・・・その反面・・・
「欲」っちゅうのは・・・程々にしとかんと、己自身の「道」を見失ってしまうことにもなりかねへんもんやと、俺は考えてる
なんでか?
「欲」は、「雪」といっしょで・・・積もれば積もるほど、『道(人生)』が見えへんようになってしまうもんやから・・・
どこまでが道で、どこからが崖なんかも、見えへんようになってしもうたら・・・『道』を踏み外して、崖から転げ落ちてしまうことにもなりかねへんからな?
それに・・・
大切なもの(『幸せ』)が、隠れてしまうくらい降り積もってしもうたら・・・それこそ、本末転倒やろ?
まぁ、それは・・・俺が勝手に思ってることであって、全く以て余計な話やけど・・・(^_^;)
話を戻すけど・・・
時々・・・「俺って、クソみたいやなぁ~?」って、己自身を思いっきりナメきって、蔑んでみて・・・
「0(ゼロ)」からのスタートで、『幸せ』を加点方で数えてみたら・・・
自分が感じてる以上に・・・『幸せ』っちゅうもんは、メチャメチャ仰山あるもんやで?
せやから、やっぱり・・・
『幸せ』は、成るものではなく感じるもの
『幸せ』は、己自身の心が決めるもの
・・・・・なんやと思うよ?
家族に・・・「ありがとう」を伝えられること・・・
大切な人に・・・「ありがとう」を伝えられること・・・
そんな『幸せ』が、己自身の目の前に存在してくれることに・・・日々、心から感謝したいと思う
明日・・・己自身が、また、大切な人(家族)が、「平凡な日常」を過ごせる保証なんか、どこにもあれへんねんから・・・
そう・・・
この世の中に・・・「当たり前」のことなんか、何ひとつ存在せんへんねんから!
しょうもない「俺の想い」を綴った内容(ブログ)に、最後までお付き合いしてくれたことに感謝します!
『ありがとう!!』
We Can Do It!
Yey!!