5月13日(土)・・・
琳ちゃんのママ(ゆみさん)の会社の友人で、インドネシアから日本に働きに来られてる方が2名(エッキさん&コディルさん)、道場に遊びに来てくれた
子供たちにとっても・・・彼らにとっても・・・きっとプラスになるやろうと思ったから、練習に参加していただいた
俺自身も・・彼らといろんな話をさせていただいた
エッキさん(中央)は・・・28歳
もう、日本に来て、2年半くらい経つらしい
インドネシアに、奥さんを残して、日本に働きに来られてるみたい
また、9月には、子供も生まれるらしいねんけど・・・日本での仕事が、10月までの約束らしいから・・・子供が生まれても、すぐに帰るという訳にはいかへんねんて
コディルさん(左)は・・・23歳
まだ、独身やねんけど・・・彼もまた、日本に3年ほど滞在する予定で、日本語を学びながら、仕事をして、お金を稼いでるらしい
他にも、何人かいらっしゃるらしいねんけど・・・
その何人かで、マンション?をシェアして、生活してるって言うとった
日本は、ホンマに「豊かな国」やという
ただ、その反面・・・豊か過ぎるが故の「チャレンジ精神の無さ」を感じることもあるって言うてたよ
しかし・・・
自分の国に、身重の奥さんを置いて・・・日本で、お金を稼ぐ彼ら・・・
賃金的には、インドネシアよりもいいんかなぁ~?
詳しいことや、込み入ったとこまでは、分かれへんし、聞かへんかったけど・・・異国に身を置いて、必死で頑張ってることは確かやもんなぁ~
そんな彼らと、話をさせていただいて・・・俺、ものごっつい勉強させられた感があったし・・・ものごっつい心を揺さぶられるもんがあって、自分の若い頃がフラッシュバックしてきた
せやから・・・俺の経験も含めて、感じたことや、考えることを記そうと思う
長女(悠葉先生)は、24歳の時・・・ALSOKに勤めてた時に生まれてるから、その時、もう既に2歳になってたかな?
俺自身・・・脱サラして、柔道整復師の学校に通ってた時やったけど・・・
あまりの、お金の無さに・・・明美と悠葉先生(長女)に、大阪と和歌山の実家で生活してもらって・・・俺は独り、仙台で暮らしてた
RENが生まれた時にも・・・学費や生活費を稼ぐために、俺は普通に運送屋でアルバイトをしてた
生活自体が切羽詰まってんのに、子供が生まれたからって、大阪に帰る飛行機代なんか算出できるはずもなく・・・・俺は、RENが生まれた一報をトラックの中で受けた
さすがに、見兼ねた親父が・・・
「長男が生まれた時くらい、顔を見に来てやれ! 俺が、飛行機代を出してやるから・・・」って・・・往復の飛行機代を出してくれて、生まれたばかりのRENに会いに行かせてもらったけどな
もちろん、長く休むわけにも行かへん状況やったから・・・2~3日で、仙台に戻ってきたと記憶してるけど・・・
それからも、約1年・・・RENが、1歳近くになるまで会うことなく、ずっと離れて暮らした
当然・・・家族が、エンドレスで離れて暮らすわけにもいかへんし・・・
ギリギリの生活ラインを確保できそうやな?って・・・明美と悠葉とRENが、仙台に帰って来れた時・・
俺の顔を見たRENは・・・見知らぬオッサンやと判断したんやろなぁ~?(^_^;)・・・
大泣きされて・・・その後も、慣れるまでに、結構時間が掛かったっていう、苦い思い出があるよ
俺・・・その頃、必死やった・・・・・ホンマに、必死やった
俺は、今でも車が大好きなんやけど・・・その頃は、そこを走ってる車が、何っていう車種なのか?さえ、分かれへん
テレビを見る時間がないから・・・芸能人や芸人の名前が、まったく分かれへん
そんくらい、周りのことに意識を向ける余裕すらなくて・・・ただひたすらに、日々の生活、将来への希望、自分が掲げた目標に対して、必死にもがきながら生きてた時期やった
30歳前っていうたら・・・
周りの人たちは、それなりの給料も貰ってる時期やろうから・・・子供にかわいらしい服を着せてあげて・・・家族(夫婦)で外食もできて・・・ある程度の車にも乗れて・・・早い人やったら、家を建てる人かっておるくらいの年齢や
せやけど、あの頃の俺と明美は・・・散髪に行くお金なんかないから、髪は伸び放題・・・給料日前には、醤油を買うお金すらなかったし・・・俺の昼ご飯は、もっぱら100均のスナック菓子やった(^_^;)
自分自身が・・・就職したALSOKを脱サラして、自分の進みたい道を選択したんやから、自分が悪いんやんけっ!?
・・・って、言われてしまえば、それまでやねんけど・・・
ちなみに、余談やけど・・・
RENが生まれた時に、唯一・・・飛行機代を出してくれた親父は?っていうたら・・・
「なんで、俺が・・・いっぺん就職したにも関わらず、自分が好き好んで選択した道に対して、手助けせなアカンねん!?」ってな状態
もちろん、俺も・・・
仮に、親父を頼ったとしても、そう言うにきまってるやろうし(ずっと、そうやって育てられてきたから・・・)・・・最初っから、まったく頼るつもりなんかなかった(「頼る」っていう打算があったら、大阪の学校に入学してたやろな)
「絶対に、親父の助けは受けんと、己自身の力で、足元を固めたる!」・・・そう思ってた
「意地」・・・やったな
こんな記し方をしたら・・・親父は、メッチャ最悪な人のように映ってまうかも知れへんけど・・・
でも、実は・・・これは、親父の不器用な優しさ
きっと・・・
「これから、独りで事業を起ち上げていく者が、第一歩目から人に頼るな! 全ての「責任」を、背中の背負い込むっていうのは、そんな甘い事じゃないんやぞ!」って、伝えてくれたんやと思う
これは・・・30歳くらいの時に、建築の学校にさえいかんと、自分の仕事の余暇時間を使って、必死で勉強して「建築士」の資格を取り・・・ゼロから建築会社を起ち上げた、親父ならではの無言のメッセージやったんやろな?って、俺は解釈してる
ちなみに、親父は・・・その後、道場(砂川道場(現:砂川国際柔道クラブ))も起ち上げ・・・
3年ほど前には・・・松浪健四郎議員はじめ、府会議員、近隣各市長、取引先の方々、親父を取り巻く人たち等、数百人が集まって・・・起業(会社&道場)30周年パーティーをしてる
また・・・余談が長くなってもうたなぁ~(^_^;)
せやから・・・そんな時期もあったねんでって、泣き言を記してるんやなくて・・・
崖っぷちに自分の身を置いて、やってきた奴・・・「今に見とけよ」っていう『ハングリー精神』を持って臨んできた奴は・・・・・波風なく生きてきた者よりは、多少は打たれ強いんとちゃうんかな?って・・・俺は、思うっていうことを記したいねん
家族のため・・・子供のため・・・将来のため・・・ほんで、もちろん、自分自身のため・・・
きっと、エッキさんとコディルさんの「心」は・・・俺なんか、比になれへんくらいの「辛抱と努力」をしてることやと思うわ
彼らと話してたら・・・なんか、大切なことを思い出させてもらったような気がした
俺、明美とよく話す・・・
「「あの頃」には、絶対に戻りたくないな」って・・・
だからこそ・・・「一瞬一瞬を、一生懸命、頑張らなアカンでなぁ!」って、今でも自分たちを戒めてるつもりやけど・・・
それを、あらためて思い出させてもらった気がしたよ
『「あの頃」には、絶対に戻りたくない!」』
そう思うのとは裏腹に・・・
我が子には、俺らが過ごしてきた「あの頃」のどん底を、身を以て体験してもらいたいと、心から願ってる(^^)
あわよくば・・・伴侶や子供と共に、それを体験してもらうのも悪くないかな?ってさえ感じてる
そうすることで・・・谷底からでも這い上がってくる根性と、崖っぷちに立たされた時でも強いハートをもった人になってくれるやろうって思ってるし・・・
ほんで、また・・・夫婦の『絆』、家族の『絆』も、きっと強固なもんになるんとちゃうんかな?って、思ってるから・・・
もちろん、俺を育ててくれた親父同様・・・
俺自身も彼らに手を貸すつもりは・・・・・一切ない!
そうやって、偉そうに言うてるけど・・・
人一倍、寂しがり屋な性格やから・・・
ホンマは、子供らに嫌われたくないし・・・鬱陶しがられたくないし・・・距離を置かれたくはないねん(^_^;)
それでも・・・
今、「可哀そう」と、俺ら親が感じるより・・・将来、「可哀そう」と、周りすべてに思われる方が・・・絶対に、子供らにとってはマイナスやと思うから・・・
心を鬼にしてでも・・・我が子には、棘の道を歩いてもらおうと考えてる
近い将来なんか?、遠い将来なんか?は、分からんけど・・・
もし、俺と明美の「想い」を、子供たちが十二分に理解してくれる時が来たとしたら・・・・・きっと、彼らは、俺らよりも飛躍して・・・俺らのことなんか、軽く飛び越してくれてることやろうから・・・(^^)
子供たちに対して、日々・・・
「どんだけ真剣な目ン玉で、彼らの瞳の奥まで睨むことができるんか?」
・・・が、俺の最重要課題やと思ってる
明日、俺が生きてる保証なんか、どこにもあれへんねんからね
子供かって・・・真剣な目ン玉で向かっていったら、真剣な目ン玉で向かってくるはずやよ
それでも、子供が目を逸らしたり、ケツをまくるようやったら・・・きっと俺の方に、何かしら落ち度があるんやろう?
もちろん、俺も・・・目を逸らすわけにはいかへん!
人生も・・・子育ても・・・真剣勝負!
目を逸らしたり、ケツをまくった方が・・・「負け」やよ!
特に、子育ては・・・
目が合った時点から・・・お互い歩み寄って、デコ同士をくっつけてでも、「メンチの切り合い」ができるくらいが、丁度ええねん!(笑)
コディルさん
道場に遊びに来ていただき、ありがとうございました!
また、心が揺さぶられて、大切なことを思い出させていただいたことに、感謝いたします!
ありがとうございました!
ぜひ、またいらしてください(^^)
元気出していこう!
READY! GO!