7月23日(火)・・・宮城県立武道館に於いて、「全国中学校柔道大会 宮城県予選」の個人戦が開催された
今回は、私事で申し訳あれへんけど・・・66kg級に出場させていただいた、ウチの次男坊(心颯:SO)のことについて記そうと思う
2歳?くらいから、オムツの上に柔道衣を着て、道場内をチョロチョロしとった彼も・・・今年は、中学3年生
最後の中総体は・・・
3位入賞という結果になり・・・東北大会に出場させていただくことになった
せやけど・・・
中学に入学してから、ここまでの道のりは・・・彼にとって、メチャメチャ「棘の道」やったことと思う
本人の一番の武器である「背負い投げ」に対する、「両膝指導」の反則が、ものごっつい厳しくて・・・
新人戦、県下体重別、仙台市予選・・・
すべての大会で、上位に食い込んではおったけど・・・大事な場面では、悉く「両膝指導」で反則負けを喫してきた
しかも・・・
「背負い投げ」で投げて・・・主審が「技有り」「一本」の判定を下してる(副審2人も、何のジェスチャーもなし)にも拘らず・・・ジュリーからの要請によるビデオ判定で、判定が覆ることが何べんもあって・・・
そんな状態やったから・・・今回、彼が出した決断は・・・
「「背負い投げ」(右の低い諸手背負い)を封印して、県大会に挑む!」
・・・っていうことやった
6月の仙台市予選・・・準決勝で両膝の指導を3回取られて・・・「反則負け」
何回、投げても・・・何回、投げても・・・結局、「指導」を取られてしまう
せやからやろなぁ?
その大会が終わってから・・・徹底して「立ち背負い」の練習に取り組んどったわ
一応、彼の名誉のために記しておくけど・・・
それは、決して、俺(親とか指導者の立場)の方針ではなくて・・・彼自身が、そない選択をしたことやで
俺は・・・「背負い投げ」は、(右の「背負い投げ」の場合)ちゃんと左足を回して飛び込むが故に・・・
ホンマに、たった一瞬(時間にしたら、0.0?秒くらいちゃうかな?)やけど、両膝が着いてしまう場合があることは、まったく以て正しい「背負い投げ」やと思ってる
せやから・・・子供たちに、反則を取られへんための逃げ道として、片膝だけを着くような「背負い投げ」をさせることの方が間違いやと思ってるから・・・「両膝指導」なんか、まったく意に介してへんからな?
ついでに記すけど・・・
俺は、彼の父親やけど・・・彼に、柔道自体のテクニック、技に入る際の崩し、組手等・・・
俺が学んできた戦術、俺が使ってきたテクニックは、子供の頃から、何ひとつ教えたことはあれへん
彼も「いち道場生」やから・・・他の道場生と同じようにしか指導はさせてもうてへんし・・・
もちろん、自宅でも・・・柔道の話なんか、ほとんどせえへんしな
そんな彼(心颯)に(もちろん、彼だけやなくて道場生全員にも話したんやけど)・・・
試合の約3週間前に、こんな話をした
「俺は・・・俺自身の柔道人生の中で、3回だけ、自分がどうやって勝ったんか?も分かれへんくらい「必死」「死に物狂い」で戦った試合がある
※中学2年生の時の昇段試合
(当時の大阪府の昇段試合は・・・紅白に分かれて順番に戦うシステムやったから・・・負けはもちろん、引き分けても、その場でその昇段試合(審査)は終了となる せやから、引き分けることなく、負けることなく、有効でも技ありでも一本でも、とにかくポイントを獲って、6人連続で勝たへんと初段にはなられへんっていう、ものごっつい厳しい試合(審査)やった)
※大学3年生の時、「全日本体育系大学選手権」に出場するための校内予選の準決勝(勝ったら、念願やったレギュラーになれる)
※社会人一年目、全日本実業団体重別選手権の準々決勝(勝ったらベスト4に入って、講道館杯の出場権がいただける)
その3回だけは・・・試合の組み立ても駆け引きもあれへん・・・それはそれは、もう「必死」で戦ったよ
「必死」っちゅうのは・・・「必ず死ぬ」って書くねんで?
それくらいの意味合いで、俺自身「死に物狂い」で戦った試合が、柔道人生で3回だけあるねん!
せやからっていう訳やあれへんけど・・・どんだけ格好悪い姿を晒してでも、己のプライドを捨ててでも、「必死」になって戦ってみるのも悪くないと思うよ?
襟は、後で正せばええだけのことなんやから・・・」
そんな話をした後からやったけど・・・
SOが・・・ものごっつい近寄りがたいオーラを放ち始めよった
柔道(スポーツ)をしてへん方には分かれへんかも知れへんけど・・・
スイッチが入って、自分のZONEに入った時って・・・近寄りがたいっていうんか?・・・声を掛け辛いっていうんか?・・・
それは、決して「作られた強さ」じゃなくて・・・「理性を欠いた本能剥き出しの状態」っていうたら分かり易いかな?
まぁ、いずれにしても・・・「自分の世界」に入り込んでしまってるねんやろうね?
それはそれは・・・嫌な?オーラを放ってた
俺自身も長年柔道をやってきたから・・・高校生や大学生、実業団の頃は、そんなオーラを放つ人に、もちろん会ってきたし、対峙もしてきたけど・・・
自分の息子から、そんな(ある意味)嫌なオーラを感じるとは思ってもみいひんかった
ホンマ、「鬼の形相」っていうよりは・・・顔色を変えへん分「悪魔のような冷酷さ」を感じたよ
練習を見学されてるご父兄の方の中にも、それに気付いた方が幾人かおったみたいで・・・
「練習中、SO兄ぃがすごく怖くて・・・練習が終わってから、恐る恐るSO兄ぃに声を掛けたら、普段の(ニコニコしてる)SO兄ぃに戻ってて、本当に安心しました」って・・・そないなことを言うとった
そんな状態で、練習に取り組んできた彼やけど・・・彼は彼なりに、今回の試合に対して想うところがあったみたいやな?
試合の翌日に、ちょっとだけ話したねんけど・・・
「「一生懸命やったことが、結果につながったんかな?」って思う」って・・・3位に終わったことを、決して悲観はしてへんかったわ
『背負い投げ』
彼にとっての一番の得意技
・・・っていうより・・・彼にとっては・・・
『柔道』=『背負い投げ』
・・・なんかも知れへん?
ちっちゃい頃から、姉弟(悠葉先生とREN兄ぃ)のやってることを見様見真似でやってみて・・・中学3年生の今に至るまで、10年以上、ずっと「背負い投げ」と共に、柔道っちゅうもんに取り組んできた
その「背負い投げ」を、封印して挑んだ県大会
翼を捥ぎ取られた状態で、「飛べ!」って言われてるようなもんやったけど・・・
そんな中・・・ホンマに、よう戦ったなって・・・今回は、彼を褒めてやりたいと思う
それと同時に・・・
前々から、薄々は感じてはおったけど・・・
「その話」をした後から、そんなオーラを放ち始めた彼を見て・・・親としても、指導者としても、完全に線引きされてしもうた感は否まれへんかな?
「あいつは、もう・・・指導者である俺(また、親である俺と明美)の下にはおれへんねんなぁ?」ってね
俺自身・・・
『柔道』を通じて、人間育成をしてきたつもりでおる
せやから・・・
『柔道』を通じてこそ、彼自身が今どの場所におるんか?は、俺が一番よく分かってる
ものごっつい寂しいけど・・・これが、当たり前のことやねんよな?
幼稚園、小学校、中学校と・・・お前に『柔道』っていうもんを、ちゃんと教えてけえへんかったこと、心のどこかで申し訳なく思ってる俺自身がおる
せやから・・・(ある部分で)優勝に導いてやられへんかったことを、どうか許してほしい
せやけど、俺は・・・
「『柔道』を通じて、大切な何かを学んでほしい!」
常々、そない思ってきた
せやからこそ・・・
「決して、『柔道』っていうもんを嫌いになってほしくはない!」
ただただ、その一心で、お前と向き合ってきたつもりでおる
そんな、あなたへエールを贈らせてください!
中学柔道は・・・それはそれは、「納得できない理不尽さ」を抱えたままだったことでしょう?
でも親父は、そんなあなたから・・・大変素晴らしい立ち姿勢を見せていただき・・・大変素晴らしいもの(心)をいただきました
どうも、ありがとう!
この先も・・・「世の中が思い通りにならないことの自覚」という道場訓を忘れずに・・・
どうか、このまま・・・真っ直ぐに、真っ直ぐに、成長していってください!
そして・・・
次のステージ、そのまた次のステージで、己自身の「華」を咲かせられるように・・・
「辛抱と努力」を怠らない『漢』になってください!
親父は・・・他の誰よりも、心の底から、あなたを応援しております!