2018年 12月

入社2年目・・・

仕事は・・・さらに、忙しくなっとった

正直にいうて・・・「練習したい」なんて、悠長なことを言うてられへんほど、毎日毎日、忙しく営業活動に追いやられとった

 

 

そんな・・・お世辞にも、ベストコンディションとはいわれへんような状態で迎えた・・・

2回目の「全日本実業団体重別選手権大会」

 

俺は・・・2回戦で、大学の3歳上の先輩と対戦することになった

 

俺は・・・その先輩のことが、正直、気に入らへんかった

その先輩は・・・大学を卒業した後も、大学に残って練習にいらっしゃってたけど・・・

大学在学中、ほんで卒業された後も・・・俺は、その先輩に、良く思われてへんかったんやろな?

事ある毎に、文句を言われたり・・・陰険な言葉も多々吐き出されたりした

 

せやけど・・・俺が、大学3年生の後半くらい(練習に真面目に取り組み始めたくらい)からは・・・

俺自身も・・・ちょっとずつ、レベルアップが図られてきた

それに伴って・・・練習中、乱取りの相手をお願いをしにいったりもしたんやけど・・・先輩が、俺の相手をしてくれることはなかった

 

練習を断られる理由は何なんか?は、分かれへんけど・・・

俺は、その頃から、「練習であっても、試合であっても、その時が来たら徹底的にやってやる!」っていう、そんな思いでおった

 

それが・・・実業団の大会で、対戦できることになった

俺は・・・「勝ってやる」っていうことよりも、言い方は悪いが「壊してやる」(要するに、腕の一本を関節技で折ってやるって考えとったんやな?)・・・そう考えて、試合に挑んだ

 

あの試合・・・俺にとっては、「柔道」じゃなかった

「喧嘩」・・・やった

 

5分間の試合の中で、今まで積み重ねてきた自分の技に、飛び込めるシーンは何べんか?あったと思うけど・・・

俺は・・・再三にわたって、飛び十字関節、巴投げからの十字関節、そればっかり(壊してやる)に拘って、試合、いや喧嘩をしとった

 

結果・・・旗判定、3-0で判定負けやった

 

試合が終わってから、我に返った

「負けた」

そう・・・「負けた」ねん

「喧嘩」をしてるつもりの俺自身やったけど・・・柔道の「試合」で「負けた」ねん

 

情けなかった・・・

「感情」に左右されてもうて・・・冷静な試合運び、試合の組み立てが、まったくできてへんかった自分自身を、ものごっつい恥じた

(もちろん、先輩に対しても・・・あのような感情を持ち、あのような思いをぶつけてしまったことを・・・今となっては、ホンマに自責の念にかられてるし、ホンマに申し訳なく思ってる)

 

 

俺が負けた、その先輩は・・・その大会で上位に入賞された

「たら」「れば」は、言うてもしゃあないことやけど・・・

勝つつもりで戦って「たら」・・・試合を、ちゃんと組み立てて「たら」・・・違う内容やったんかも知れへん

 

せやけど・・・その結果は、『必然』やったんやろな?

「感情の抑制」をすることができへんかった、俺の失態のほか何ものでもなかったねんから・・・

 

 

そないして・・・俺の社会人2年目の夏の実業団の大会が終わった

 

・・・・・っていうより、仕事の忙しさ、その状況での減量の厳しさ、練習・トレーニング不足など・・・

事実上・・・俺のチャンピオンスポーツとしての「柔道」は、この夏の実業団の大会が最後になってしまうことになる

講道館杯に出場できることになったはええけど・・・仕事(営業)の方は、より一層忙しくなってきた

毎日の営業活動・・・夜間の機動隊勤務の応援・・・土日には、銀行のキャッシュコーナーの対応(銀行職員が休日のため)

その分、残業手当が多くて、同年代よりに比べたら、ええ金額の給料はいただいとったけど・・・

如何せん、練習をする時間は限りなく少なくなっとった

 

 

そんな状態の中で迎えた・・・講道館杯

1回戦・・・筑波大学出身の内村選手との対戦やった

 

内村選手は、俺と同じ歳なんやけど・・・高校1年生の時に、既にインターハイ準優勝しとって・・・その後も、ジュニアの大会、大学生の大会、また国際大会にも、日本の代表として派遣されてるほどの強豪選手

俺は・・・まともに柔道をしたら、勝ち目はないなって思ってたから・・・

片手のみを持っての袖釣り込み・・・飛び十字関節・・・隅返し・・・果敢に攻めた

 

内村選手は、左組み・・・ほんで、得意技は「背負い投げ」(っていうより、超一流の「背負い投げ」)

右組みの俺とは、喧嘩四つになる

 

その時、ホンマに驚かされたことがある

釣り手をしっかりと抑えて、この状態では、絶対に「背負い投げ」は入られへんやろう状態を作ってたにも拘らず・・・

気が付いた時には・・・スッと、俺の股の間に入られとった

 

幸い、投げられることはあれへんかったけど・・・俺は、メッチャ混乱した

「何でやねん!? なんで、この状態で「背負い投げ」に入られるねん!?」

それを、試合の中で理解して、対応策を考えることなんかできへんから・・・徹底して、「背負い投げ」を防御しとったねんけど・・・

やっぱり・・・一流選手やでな?

 

「背負い投げ」を・・・俺の頭に、完全にインプットした後・・・

「背負い投げ」に入られた時に、俺がスライドさせた左足を取られて(当時は、足を持っても反則ではなかった)・・・

俺は半身で尻もちをついてしもうて・・・「効果」(当時のポイントは、「一本」「技あり」「有効」「効果」の4種類)を奪われた

 

俺は・・・学生の頃から、投げられて負けるっていうことは、ほとんど皆無やった

ポカをして、抑え込まれたり・・・判定で負けたりすることはあっても・・・「ポイントは奪われへん!」っちゅうことに、ある程度の自信を持っとった

せやけど・・・「やっぱり一流選手は、試合の組み立てが違うんやな?」って、痛感させられた試合やった

ちなみに、その年・・・内村選手は、全日本体重別で優勝して、オリンピックの補欠にまで選出されてる

 

ほんで・・・さらに、ちなみに・・・

20数年経った現在・・・長男(REN)の大学(大阪産業大学)の監督でいてくださるっちゅうことには、ホンマにおもしろい巡り合わせを感じてる(^^)

 

 

 

俺の思い描いとった「目標」は・・・当然やけど、そんな甘いもんじゃなく・・・

1回戦敗退っちゅう結果に、終わってしもうた

平成5年4月・・・俺は社会人になった

 

当初・・・俺と同じ大学から、もう一人(同級生)、綜合警備保障に入社しとった

先に入社しとった、3歳年上の先輩から・・・

「お前ら、同じくらいの実力なんだから・・・一度、試合をしろ! それで、勝った方が「採用課」、負けた方が「営業課」に配属させるから・・・」

採用課は・・・結構、柔道の練習時間を自由に取れるため・・・

流れ的に・・・柔道や剣道を続けることを目論んで入社してくる連中は、だいたい「採用課」に籍を置いとった

 

俺は、迷わず・・・「自分は、「営業課」でいいです!」・・・そない、先輩に告げた

誰に言われたんか?忘れたけど・・・

「将来のために、「営業」はやっといた方がええぞ!」

そんな類の言葉が・・・俺の耳に残ってたもんやから・・・俺は、迷わず「営業課」を選択した

当然・・・先輩は「???」っていう顔をしとったけどな

「最近の若者は・・・」

 

 

 

「ALSOKで「柔道」をしとった」っていうたら・・・まぁまぁ、聞こえはええけど・・・

実は、俺らくらいのレベルやと・・・会社全体が、もろ手を挙げて応援してくれるっていう訳では、決してあれへんかった

 

そらぁ、そうやわな?

営業畑一本で上がってきた、支社長や次長、課長が・・・若手社員が同じように会社に在籍しとって、「「柔道」をすることで、営業成績が上がれへん」なんてことを、認めてくれるはずかないねんから・・・

 

 

そんな中で・・・俺は必死に営業活動をした

ほんで・・・時間の許す限り、午後の時間なんかを使って、近所の高校に練習に出向いた

もちろん、その練習時間は、会社側が取ってくれてる訳ではなくて・・・営業成績、お客様との約束時間の調整等、1日、1週間、1ヶ月って、自分自身で調整する必要があった

 

 

夏の全日本実業団体重別選手権の前なんかは・・・

国際武道大学、東海大学、ほんで、試合4~5日前は、和歌山北高校(大会会場が兵庫(関西やったため)って、3週間近くも会社を留守にすることもあったし・・・・・おまけに、7~8kgの減量も強いられとった

それでも・・・営業成績は、きっちりと求められた

 

大学時代とは違って・・・そうやって、己自身で時間調整、体調管理、いろんなストレスを抱えとったもんやから、決してベストコンディションではなかったと思うけど・・・

俺は、入社一年目の「全日本実業団体重別選手権」で、なんとか3位入賞することができた

 

正直・・・ベスト4を掛けた準々決勝は、自分自身でどうやって戦ったんか?を、まったく覚えてへん

「覚えてへん」っていうより・・・「死に物狂い」やった

なんとか、ベスト4に食い込んで・・・講道館杯の出場権が欲しかったっちゅうのがあったんやと思うけど・・・

冷静に、相手の動きを見ることもできへんくらい・・・「必死」になって「死に物狂い」で戦ったっちゅう試合は・・・後にも先にも、この試合だけしかあれへん

そんぐらい・・・

講道館杯への切符は・・・俺自身、どないしてでも手に入れたいもんやった

 

 

ちなみに・・・ベスト4に上がった後は、自分の中の「電池が切れた」んやろな?

練習量の少なさ、ほんで減量の影響からのスタミナ不足も重なって・・・東海大学出身の松岡選手相手に、あっけなく一本負けをしてる

以前にも、この場で記したけど・・・

22年の時を経て・・・

この土壇場であっても、集中力を切らすことなく、「勝つ」ことに執着する人間こそが『勝負師』なんやろうな?って・・・

俺自身、「己自身のメンタルの弱さ」を、十二分に理解してる

 

 

そないして・・・

どうにか、こうにか、ギリギリのラインやったけど・・・

大学生の時に果たされへんかった「目標」への第一歩を・・・俺は、踏み出すことができた

 

 

新たな出会い・・・自分自身の可能性?・・・やり残したこと・・・割り切られへん自分自身・・・

そんなことが、心の中を巡り巡って・・・

俺は・・・この先、歩んでいく『道』を決断した

 

『柔道』

 

俺には・・・それしかなかった

わずか、2~3歳くらいの時から、お婆ちゃんが縫ってくれた、柔道衣を着て畳の上に転がってた・・・俺

 

中学生までは・・・本気の「柔道」っていうもんさえも分からんまま、スポーツ少年団の道場で、週に1回の練習

せやのにも拘らず・・・高校を選択する時期になったら、当時、強豪校やった「和歌山北高校」を選択した

「和歌山北高校」は、県立高校やから・・・当然、大阪からは受験できへん

せやから・・・中学3年生の夏休み明けから、和歌山市内の中学に転校までして、「和歌山北高校」に進学した

 

高校を卒業する時も・・・「柔道を辞める」なんていう選択は、考えたこともなかったし・・・

迷うことなく、国際武道大学に進学した

 

 

せやから?・・・やったんかなぁ~?

結局・・・俺は、大学卒業後も『柔道』を続ける選択をした

 

実業団、警察、自衛隊など・・・

いくつかあった選択肢の中から・・・俺は、綜合警備保障(ALSOK)に興味を持った

 

あるルートを経由して・・・その夏の終わりに、綜合警備保障の常務取締役(柔道部顧問?)にお会いさせていただき、綜合警備保障に入社したい意向を告げた

 

話は、とんとん拍子に進んで・・・入社試験(面接)を受けに、本社(赤坂)に出向いた

入社試験当日・・・面接で、いくつかの質問されたねんけど・・・

まったく、何を言うてるんか?分かれへんくて・・・「分かりません!」の一点張りやった(^_^;)

 

ほんなら、面接の方・・・

「あなたは、〇〇常務を通して、当社で柔道をする方ですか?」

「はい! そうです!」

「では・・・もう、結構です」

 

そんな、内容やったと思うけど・・・

後日、自宅に採用通知が届いた

関東予選で負けてもうた俺は・・・

大学におっても・・・次の目標がないもんやから、モチベーションを持って、練習ができる訳でもあれへん

誰か(同級生)に、心を開いてきたわけでもあれへんから、バカになって騒げる仲間もおらへん

俺の昔の親友たちは、みんな大阪におったから・・・俺は、気分転換も兼ねて、大阪に帰省することにした

 

それと同時に・・・

当初、11月に教育実習に行く予定にしとった、母校「和歌山北高校」に連絡をしてみたら・・・

「6月でもOK!」との返答をいただいて・・・

俺は、急遽、6月1日から3週間・・・和歌山北高校に教育実習に行くことになった

 

曲がりなりにも・・・本気で、「全日本学生体重別選手権」(当時は、夏前に開催やったと思うねんけどな?)に出場するつもりやった俺は・・・

教育実習を、11月にセッティングしとったねんけど・・・ホンマに、急な変更やった

 

余談やけど・・・

教育実習って・・・元々、勉強なんかしたことがあれへんのにも拘わらず・・・生徒の前で、授業をせなアカンねんで!?

おまけに、研究授業とかいうて・・・大勢の先生が見とる前で、授業をせなアカンとかもあったし・・・

せやから、俺は・・・

子供の頃からの親友(彼は、俺とは全く別の人種やから、勉強はある程度できる奴)に・・・

バイク(当時、仲間みんなで乗ってたアメリカン)のハンドルを、付け替える作業をしてやる代わりにっちゅうことで・・・授業のスケジュール?授業内容?とかを、全部作成してもらった(^^;)

 

 

 

そんな実習中のある日・・・

実習生の意見交換会?みたいなもんが、ある教室で行われた

「ダルいなぁ~」って思いながら、その場におったねんけど・・・一人の女性が、俺の目に飛び込んできた

「この娘、可愛いなぁ~? 実習中、こっち(和歌山)におるし・・・暇つぶしに、この娘と遊んじゃおっかなぁ?!(^^)!」

そんな軽い気持ちで・・・俺は、その娘に声を掛けてみた

 

「お食事でも、いかがですか?」

 

ちゃんとした返事をもらったんか?強引やったんか?・・・忘れてもうたけど・・・

いずれにしても・・・俺は、その娘と食事に行くことになった

 

それから・・・

3週間の実習中・・・何べんか?その娘と晩飯を食いにいったり・・・休みの日には、遊びに出掛けたりもした

 

ちょっと、いっしょに晩飯食って・・・ちょっと、遊んで・・・・・っていうつもりが・・・

時間の経過と共に・・・俺は自分の気持ち自体、身動きがとられへんようになっていった

 

「なんでやろう??? こんなはずじゃ、あれへんのに・・・」

(あの頃の俺は、交際してる女性がおっても、平気な顔して別の女性とも遊べてしまう・・・そんな悪い奴やった(^^;))

 

俺の中で・・・何かが違っとった

俺の中で・・・何かが変わり始めとった

 

俺は・・・自分の気持ちが、えらい宙ぶらりんになってもうてるもんやから・・・

当時、交際しとった人に対して・・・「もう、いっしょにはおられへん!」っていうことを伝えた

そんな、中途半端な気持ちのまま・・・その場に己自身の身を置いてることに、ものごっつい抵抗があったから・・・・・

 

ほんで、また・・・

「想いを伝えて、もしアカンかったら・・・元サヤにもどったらええだけのことやん!?」

そんな「逃げ場」を作ったままの、中途半端な状態で想いを伝えることは、この娘に対してはできへんな?って思うくらい・・・

なんでやろう?・・・俺自身、その娘に対する想いは純白やった

(あんだけ、悪さしとったのに・・・

いや、悪さしとったからこそ・・・「いつもと違う自分」っちゅうもんが、手に取るように分かったんかも知れへんな)

 

 

「もし、断られたら・・・独りになって、いろんなことを反省したらいい!  ほんなら、いろんなことを考え直すこともできる!

いずれにしても・・・己自身の人生を、新たに再出発させる、ええ機会や!」

俺は・・・そない考えとった

もちろん・・・柔道のこと・・・就職のこと・・・この先の己自身の人生についても全部

 

そんな覚悟を持って・・・

「俺といっしょに、おってほしい!」

その娘に、そない伝えることは・・・その時の俺にとって、『必然』やった

 

 

せやけど・・・

彼女は・・・首を縦には、振れへんかった

 

 

 

 

そんな中・・・

彼女の方が、教育実習の日程が短い(教科によって違う)っていうこともあって・・・彼女は、大阪の大学に戻ってしもうた

 

彼女には、付き合ってる人がおるようやった

せやけど・・・

曲がりなりにも・・・こんな俺と、数日間いっしょに時間を過ごしたっちゅうことは・・・何かしら、自分の生活(今ある環境)に「不満」を持ってるからやろ!?・・・・・俺は、そない考えとった

 

そんな時・・・

ちょっとした出来事があって、俺と接点を持ってることが・・・彼女が付き合ってた人にバレてしもうた

それからっちゅうもの・・・電話をしてはみるものの、彼女は困惑する一方やった

 

俺は・・・いろんなことを、面と向かって確かめたくて・・・

彼女と会う約束をして、彼女がおる大阪まで会いに行くことになった

 

なんでやろう?

彼女からは・・・(自分のマンションから、だいぶ離れた場所の)「駅に来てほしい」って言われた

 

俺は、駅前のロータリーに車を停めた

助手席に乗り込んだきた彼女は、うつむいたまま何もしゃべらへんかった

 

「どないしてん?」・・・そない訪ねた、俺に・・・

「「もう・・・会うな!」って言われたから・・・「もう、会われへん」ってだけ、伝えにきた」

彼女は、泣きながら・・・そない答えた

 

「嫌やったら、戻れへんかったらええやん!?  俺のとこに、こいよ!!」

俺は、泣いてる彼女に、そない伝えたけど・・・うつむいたまま首を小さく横に振るだけやった

 

彼女が、付き合ってた人は・・・大学の仲間内の人やったらしいんやけど・・・

もし、そこを蹴飛ばしたら・・・その後の大学生活は、「独りぼっち」になってしまうんじゃないか?っていう、「不安」と「自分の気持ち」との間で・・・彼女自身、ものごっつい葛藤があったみたいやった

俺は、泣いてる彼女を抱きしめたけど・・・心の中は、「刹那さ」っちゅうもんだけに支配されとった

 

 

どんくらい、時間が経ったんやろう?

彼女は、黙って車を降りて・・・うつむいたまま、バス乗り場の方に歩いて行った

俺の方を・・・いっぺんたりとも、振り返ることなく・・・

 

 

彼女がバスに乗り込んで、姿が見えへんようになった時・・・

俺は、自分自身のやり場のない「想い」を抑えることができへんくなった

 

このまま、黙って彼女を帰したら・・・俺は、絶対に後悔する!

格好悪くてもええから・・・蔑まれてもええから・・・己自身が納得できる行動をしよう!

そない思った俺は・・・車を降りて、無我夢中でバスの方に向かって走った

 

そのまま・・・

バスの中まで乗り込んでいって、彼女の手を握って・・・俺は、彼女をバスから降ろした

「そんなに嫌やったら、行かへんかったらええやん!?  俺のとこに、こいよ!!  俺が、ちゃんとスジ通すから!」

精一杯の気持ちで、そない伝えたけど・・・彼女は、ずっと、うつむいたままやった

 

 

 

 

 

煮え切れへんままの時が過ぎて・・・

俺の教育実習も終わって・・・俺自身も、大学(千葉)に帰った

俺は・・・千葉の方からも、しつこく毎日毎日、彼女に電話をした

 

せやけど・・・

話せば話すほど・・・「刹那さ」が、とめどなく溢れ出てきて・・・

俺らは、お互い・・・身のやり場を、見失っとったのは明らかやった

 

 

 

約1か月後・・・

7月末、大学の夏休みになるや否や・・・俺は、実家に帰って、彼女と会う約束をした

彼女も、就職試験等で、和歌山に帰ってきとったから・・・

 

和歌山駅の前で、待ち合わせて・・・二人で、和歌山城の公園を歩いた

その日も、俺は・・・彼女に、「俺のとこに、こいよ!」って・・・

そない伝えたけど・・・彼女は、決して首を縦には振ることはせえへんかった

 

俺自身・・・あんなに、「刹那さ」を感じたことは・・・後にも先にも、いっぺんもない!

そんくらい・・・・・刹那い、1~2ヶ月やった

 

 

 

お盆近く?やったかな?

夏の風物詩・・・大阪湾に面した海水浴場での「花火大会」

俺は、親友たちといっしょに、花火を見にいくことになった

その時に・・・俺は、彼女も誘っておいたねんけど・・・

 

彼女と並んで・・・花火を見上げてた

夏も、もうすぐ終わりを告げる

そしたら・・・俺は、大学(千葉)に戻らなアカン

彼女も・・・大学に戻ってしまう

俺の手の届けへん場所にいってしまう

「どんだけ足掻いても、無理なもんは無理なんかなぁ~?」

彼女の横顔を見てたら・・・これでもかっ!っていうくらいの「刹那さ」がこみ上げてきた

俺は、今すぐにでも・・・嗚咽しながら、思いっきり泣きたいくらいの心境やった

 

 

咄嗟に・・・彼女が、俺に向かって言うた

「「もう、会われへん!」って・・・言ってきた」

 

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・

?????

 

一瞬、時が止まった

せやけど、すぐさま我に返った俺は・・・息を呑んで、こう吐き出した

 

「俺の・・とこに・・・こい・・よ?」

 

そう吐き出した後・・・たった1~2秒やったんやろうけど・・・

俺には・・・ものごっつい、長い時間に感じた

 

彼女は・・・黙って、頷いてくれた

 

「やったぁ~~~っ!!」

 

そない大声で叫びながら・・・俺は、思いっきり彼女を抱き上げた

 

周りに、メッチャ人がおったけど・・・そんなこと、その時の俺には、まったく関係あれへんかった

 

22年間、生きてきて・・・

嬉しさのあまり、涙が止まれへん!っちゅうのは・・・その時が、初めてやった

 

 

 

 

 

 

あれから・・・26年

 

教育実習中、ちょっとだけ遊ぼっかなぁ~?っていうつもりで、声を掛けた彼女は・・・

今も俺のとなりで、人生を共に歩いてくれてる

 

誰にも、開こうとせえへんかった、俺に閉じたままの心に・・・光が射し込んだような気がした

ほんで、その光は・・・26年経った今でも、俺の心を「明るく美しく」照らし続けてくれてる

 

この出会いこそが・・・俺が、今の『俺自身』でおられる最大の要因やと思ってる

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

一生懸命精進して・・・一生懸命努力して・・・

それでも・・・人生は、思い通りになれへんことの方が多い

 

俺自身・・・必死になって追いかけてきた「目標」は・・・南條選手(先生)との試合で、打ち砕かれてしもうた

せやけど・・・

その敗戦こそが・・・俺の人生にとっての最大の「分岐点」

『最高の『必然』』やったんや!と思ってる

 

もし・・・旗判定の色が、1本でも違っとったとしたら・・・?

もしかしたら、俺は・・・そのまま関東の代表になって、全日本学生体重別でも、それなりの成績を収めたかも知れへん(でもまぁ、勝負事やから、何とも言われへんことやけどね?)

ほんで、その流れに乗れたなら・・・柔道の世界で生きていく人生になっとったと思うし・・・

もしかしたら、どっかの高校の柔道部の監督になっとったかも知れへん

 

そないなってたら・・・

もちろん・・・「北岡道場」は、なかったやろう?(仮にあったとしても、今現在の場所にはなかったやろうな)

ほんなら・・・

今、出会ってる道場生たちにも出会うことはなかったやろうし・・・

今、このブログを読んでくださってる皆さんにも、間違いなく出会ってへんかったやろう

 

 

せやけど・・・俺は、負けた

負けたことで・・・教育実習を、11月から6月に変更してもらった

そないしたことで・・・一生、交わることはなかったであろう、彼女に出会うことができた

ほんで・・・

その『必然』が・・・俺の人生を、大きく変えてくれた

当然のことやけど・・・彼女に出会ってへんかったら、悠葉先生、REN、SO、YAMATOにも出会えてへんっちゅうことになる

 

 

せやけど・・・何よりも・・・

己自身・・・彼女に対する「想い」を、諦めへんくて良かった

恥もクソもない・・・情けない姿この上なかったけど・・・

せやけど・・・ホンマに、諦めへんくて良かった

 

諦めてたら・・・そこで、すべてが終わってしもうてた

泣こうが・・・喚こうが・・・格好悪かろうが・・・情けなかろうが・・・

最後の最後に、「畳」の上に立ってた者が・・・『勝者』や!

襟は・・・あとで、ナンボでも正せるねんから・・・

 

俺は、そない考えてる

 

一番好きな『女性』と・・・

せやから・・・我が子や道場生に、こないして物事を伝えるんやけどね

 

 

己自身が、どないしてでも手に入れたいもんがあったとする

それが・・・金メダルなんか?・・・彼女なんか?・・・学業成績なんか?・・・etc・・・

いずれにしても・・・それを、どないしてでも手に入れたいと感じた(「その時」やと感じた)んなら・・・

「周りに、どない思われるか?」なんていうことは、一切考える必要はあれへん!

 

すべての物を投げ捨ててでも・・・

「己自身が、どうしたいんか?」

ただ、それだけを考えて行動するべきや!

 

どないなことをしてでも・・・どないな結果になったとしてでも・・・

「後悔」っちゅうもんは、大なり小なり心に残るもんや

 

せやけど・・・いや、せやからこそ・・・

己自身が、己自身に「納得」できる行動をした方が絶対にいい!

そないせえへんかったら・・・未来の己自身に胸を張って、次に進むことができへんと思うから・・・

 

俺は・・・大学時代に、己自身の経験から、実際に多くのことを学んだ

だからこそ・・・その後の人生も、そうやって生きてきたし・・・これからも、そうやって生きていくつもりでおる

 

もちろん・・・我が子や道場生たちに対して、吐き出してる言葉は・・・

決して、机上の空論ではなくて・・・俺の経験を元に、『言霊』として吐き出してるつもりでおる

 

 

 

 

もし仮に・・・どっかに、今とは違うもう一つの人生っちゅうもんが存在しとったとしたら???

たとえ、その人生が・・・傍目から見ても、とんでもないくらい素晴らしい人生やったとしても・・・

俺は・・・今の人生を選ぶよ

 

だって、俺は・・・『今』が、最高に幸せやから・・・

他と比べたら?なんてことは、考えたこともあれへん

 

誰でも・・・自分自身の過去を振り返った時・・・

「こうしてたら良かった」「こうしてもらってたら良かった」「こうあるべきやった」etc・・・

山ほどの後悔があることやろう?

 

せやけど・・・

「そうしてけえへんかった」ことも・・・「そうしてもらわれへんかった」ことも・・・「そうできへんかった」ことも・・・

すべては・・・『必然』やったんやろな?って思うんよ

 

 

過去には・・・どんなことをしても戻ることはできへん!

せやけど・・・未来は、誰にでも絶対に存在する!

 

それやったら・・・

己の身に起こりべくして起こった『必然』を真摯に受け止めて・・・

次に訪れるであろう『必然』を、素晴らしいもんに変えることができるのは・・・

「己の『心』ひとつ」とちゃうんかな?って・・・俺は思ってるんよ

 

せやねん!!

『幸せ』は・・・「成る」もんではなくて、「感じる」もんやねん!

ほんで・・・

『幸せ』は・・・己の『心』が決めることやから・・・

 

 

12月8日(土)、練習終わりの整列の時・・・

   

  O 

 

・・・・・って、道場のみんな(生徒もご父兄の方々も)がお祝いをしてくれた

 

 

俺・・・誕生日を祝ってもらったっていうことよりも・・・

この「ファミリー(大家族)」で、いれることが・・・ホンマに、誇らしくて・・・

ただただ、嬉しくて・・・涙が止まれへんかった

 

 

今・・・『必然』っていうタイトルで、ブログを書いてるんやけど・・・

道場設立の時のこととか・・・俺自身が路頭に迷っとった時のこととかを、思い返したりして書いてた時やったから・・・

みんなからの「お祝い」が・・・俺の心にスッと入り込んできて、心の中が浄化される思いやったわ

 

 

この場で、何べんも何べんも記したことがあったと思うけど・・・

「あの頃」・・・

こんな日が訪れるなんて・・・夢にも思われへんかった

明美と二人・・・

お互いに、何も言わへんかったけど・・・抱えてる「しんどさ」は、限りなくデカかった

 

 

 

 

『必然』のブログで、また記載すると思うけど・・・

ホンマに・・・素晴らしい『ファミリー(大家族)』やと思ってる

 

 

ある人が・・・いつも、俺と明美に言うてくれる言葉があるねんけど・・・

その言葉を、ちょっとお借りするわな

 

『出会い』に感謝!!

 

 

 

 

 

 

道場生みんなからも・・・

「体に気を付けてください!」

「長生きしてください!」

・・・って言われたし・・・

 

俺も、ええ歳やから・・・これからは、特に・・・

健康には・・・十分、気を配っていきたいと思います!

(その割には、あいつら・・・

チョコレートだの、グミだの、激辛だの、ブタメンだの・・・体に悪そうなもんばっかりくれとったな(^^;))

 

 

いずれにしても・・・

大家族のみんな!

お祝いをいただいたこと、心より御礼申し上げます!

ありがとうございました!

 

 

元気出していこう!

READY! GO!!

 

 

 

迎えた、関東予選当日・・・

1回戦を、難なく一本勝ちで勝った俺は・・・続く2回戦、南條選手と畳の上で向かい合った

 

一礼をして、一歩前に出た状態までいったのに、時計の問題なんか?審判(副審)の問題なんか?・・・一旦、試合会場の外に出された

闘争本能剥き出しで、俺の頭の中は、今にもシリンダーヘッドが飛び出してしまうんとちゃうか?っちゅうくらい、ギンギンに熱くなっとったから・・・その時間で、ちょっと冷静さを取り戻せたような気がした

 

大きく深呼吸して・・・仕切り直し

冷静になれたことで・・・序盤から、相手の動きを見切ることができた

袖釣り込み腰、飛び十字関節、隅返し、背負い投げ、左一本背負い・・・

ポイントを奪うことはできへんかったけど・・・5分間の試合時間をちゃんと組み立てて、要所要所で自分の思い通りの動き・試合展開ができた

 

南條選手は・・・喧嘩四つ(左組)から、低い背負い投げを何度も撃ってきた

背負い投げは、きっちり凌いだねんけど・・・その背負い投げの後、必ず寝技に引き込んでくるっていう展開が繰り返された

3回目やったか?4回目やったか?に、寝技に引き込まれた時・・・俺は、熱くなり過ぎしもうて・・・

「引き込んでばっかりすんじゃねぇよ! この野郎!!」って吐き出しながら、南條選手の足を弾き飛ばしてもうた

当然、審判から・・・お咎めを受けたのは、言うまでもないけどな

 

 

試合は・・・一進一退のまま、終了を迎えた

 

旗判定・・・「2-1」

俺は・・・負けた

寝技の攻撃を見られたんか?試合の流れを見られたんか?・・・いずれにしても、俺は負けてしもうた

 

その「負け」によって・・・俺が目標にしとった、いや限りなく現実味を帯びとった、「全日本学生体重別選手権」~「講道館杯」への道は、完全に閉ざされてしもうた

なんとしてでも・・・学生の間に、その流れに乗っておきたいって考えとった俺は・・・歯が折れてまうんとちゃうか?っていうくらい、奥歯をかみしめた

 

悔しくて悔しくて、飲んどったペットボトルを地面に思いっきり叩きつけて・・・「クソッたれがっ~!!」って、大声で叫んだ

自分の「負け」を、自分自身で受け入れることができへんかった俺は・・・メッチャ荒れて、メッチャ落ち込んだ

 

その落ち込みを物語るかのように・・・

実は・・・試合が終わった直後辺りまでは覚えてるんやけど・・・その後の記憶は、俺の頭の中からすっぽりと消えてる

もちろん、国際武道大学から、各階級4名ずつ出場してるもんやから・・・すべての大会が終わるまで、観覧席で観てたはずなんやけど・・・俺は、どこで何をしとったんか?何ひとつ記憶してない

もっと言うたら・・・

その日・・・埼玉県の会場から千葉県勝浦の大学の寮まで、どないして帰ったんか?さえ、まったく記憶にはあれはへんねん

それくらい・・・俺の中では、時が止まってしもうてた

 

 

俺は・・・目標がなくなってしもうた

現実的に、学生柔道が終わってもうたことで・・・自分自身に、これから先に見出せるもんが見当たれへんくて・・・

俺は・・・完全に、抜け殻になっとった

柏崎先生と石井先生から、お叱りを受けた翌日やったと思うんやけど・・・

4年生で、授業もほとんどない状態やった俺は・・・午前中、「男女7人秋物語」っていうドラマの再放送を、部屋で見とった

 

ホンマに、何気なくやってんけど・・・

そのドラマに出演しとった、柳葉敏郎さんが・・・なんでか分かれへんけど、メチャメチャ格好良く見えた

 

俺は、居ても立ってもおられへんようになって・・・

いつもいってる、床屋さんに行って・・・柳葉敏郎さんカットにしてもらった

 

俺は・・・全日本体育系大学選手権のあとも、髪を短くすることはせんと過ごしとった

国士舘大学が来た時も・・・東海大学に行った時も・・・

(せやから・・・実業団の頃に、国士舘や東海の連中に会った時には、あの当時の髪型のことを、メッチャ笑い話にされたよ(^^;))

 

せやけど・・・長髪に飽きとったんか?・・・イメージを変えたかったんか?・・・今となっては、分かれへんけど・・・

俺は・・・思い切って、短髪(柳葉さんカット)にした

 

柳葉さんカットにして、気を良くした俺は・・・

昨日の一件なんか、すっかり忘れてもうて・・・早く後輩たちに見せたくて、その日ばかりは喜び勇んで練習に参加した

 

その日の練習中・・・石井先生が、俺を呼んだ

「耕太郎! それが、お前の「気持ち」か? 俺は、そういうの好きだよ!」

 

俺は・・・最初、何を言われてるんか?分かれへんかったけど・・・

多分・・・昨日の一件もあって、「髪型」のことを言うてるんやな?って思ったから・・・

「あっ、はいっ!!」

・・・って・・・「いかにも、俺は心を入れ替えてきたんです!」っていう、アピール返事をしといた

 

 

 

 

話が逸れてもうたけど・・・

「全日本学生体重別選手権 関東予選」のトーナメント表が貼り出された

 

2回戦で、筑波大学の南條選手(現:仙台大学柔道部監督)と対戦する組み合わせやった

そのトーナメント表を見た瞬間・・・くすぶっとった俺のモチベーションは、一気に熱を帯びて・・・「悪い虫」も、一気に吹き飛んだ

 

当時・・・南條選手はじめ、同じく筑波大学の内村選手(現:大阪産業大学柔道部監督(REN兄ぃの監督))、流通経済大学の岩崎選手(現:流通経済大学柔道部監督)など・・・関東には、強豪選手が数名おった

関東からの代表枠は・・・4名

ものごっつい厳しい試合になることは、言うまでもあれへんかった

 

ただ俺(の柔道)は・・・その中でも、南條選手とは一番噛み合うんとちゃうんかな?って、勝手に思っとったから、モチベーションは高まる一方やった(ちなみに、内村選手には・・・その2年後の講道館杯で、俺は案の定負けてる)

その年・・・本気で、「全日本学生体重別選手権大会」で、上位に入賞するつもりでおったし・・・もちろん、実力的にも、十分通用するって感じてたから・・・自分自身のイメージの中では、ものごっつい現実味を帯びとった

 

せやから・・・しんどくても、しんどくても、一生懸命、練習・研究に取り組んだ

あれほど、真剣に柔道に向き合って、柔道に取り組んだのは・・・後にも先にも、あの時が一番やったんとちゃうんかな?

 

 

ほんで・・・迎えた、関東予選当日

俺の人生最大の『分岐点』への、第一歩を踏み出すことになる

関東予選に向けての最終追い込み段階に入っとった、そんな時・・・

俺の中の「悪い虫」が騒ぎ始めた

・・・・・・・・・・

・・・・・

「サボり」癖・・・っちゅうやつやな?(^_^;)

 

 

昨秋の「千葉県学生体重別選手権」に向けて、練習に取り組み始めてから・・・

ガラにもなく、一生懸命、目標に向かって精進しとったからなんか?

一番大事な時期を迎えてるにも拘らず・・・俺は、一向にモチベーションが上がってけえへんかった

 

モチベーションが上がれへんもんやから・・・・・

「やらなければいけない!」っていう気持ちを、自分の中でどうも消化できへんくて・・・

「やりたくないんやったら、やめとこう!」っていう、自分の素直な気持ちに身を委ねた

要するに・・・トレーニングとか練習を、サボってたっちゅうだけのことやねんけどな(^_^;)

 

 

ある日の朝のトレーニングの時・・・

柏崎先生が、各階級のレギュラー4人ずつを並ばせた・・・・・・・とのこと

「-60kg級・・・1、2、3、4人  -65kg級・・・1、2、3・・・んっ? あと一人は? 北岡かっ!? 北岡は、どうしたんだ? 昨日は、来てたのか?」

 

気の利かへん同級生が・・・答えたらしい

「昨日も、来てませんでした!」

 

・・・・・・・・・・

・・・・・

 

「柏崎先生が、「北岡に、俺の教員室まで来るように言っとけっ!」って言ってたぞ!」って・・・気の利かへん同級生が、部屋で寝てた俺に連絡をしてきよった(^_^;)

 

 

教員室に行ったら・・・柏崎先生は、メッチャ怒りながら・・・

「もう、レギュラー辞めろ!」・・・そない仰られた

 

「申し訳ありませんでした! 今後は、ちゃんとトレーニングには参加しますので、試合に出させてください!」

「本当に、やるのか?」

「はい! やります!」

そんな、押し問答の末・・・何とか納得していただき、俺は首の皮一枚がつながった状態で、レギュラーに留まることができた

 

 

せやのにも拘わらず・・・なんでやろか?

俺の中の「悪い虫」は・・・騒ぎ出したら、なかなか収まってくれんかった

当然・・・練習にも、一向に身が入れへん

 

「ヤル気のない時に、嫌々やっても強くなんかなれへん!」っちゅうのが、俺の考えの原点なんやけど・・・

おまけに、人間って・・・

中途半端に、練習(勉強でも仕事でも、俺は何でもそうやと思ってるんやけど)をしても・・・自分自身で、「今日は、練習をしたな」って、都合のええように解釈してしまう傾向があると思うねんよな?

 

せやから・・・

「やる時は、全力でやる!」

「やれへん時は、徹底してやれへん!」

そないな持論を持ってるもんやから・・・道場(練習)に行っても、徹底して練習をせえへんかった

 

 

当然・・・そんな俺の行動を見兼ねた、柏崎先生は・・・

「北岡っ! お前・・・もう、赤帯外せ!(レギュラーは赤帯をまいて練習しとった) もう、やらなくてもいい! 辞めろっ!」

柏崎先生のとなりにおられた石井先生も、ものごっつい怒っとった

 

当然、俺は・・・お二人に対して、拝みに拝みまくって許しを懇願した

最終的に、許してはくださったねんけど・・・お二人とも、ものごっつい呆れ顔でいらっしゃったわ

全日本体育系大学選手権大会の後・・・国士舘大学が遠征に来たり・・・東海大学に遠征に行ったり・・・

レギュラーとしての地位を、確立した俺は・・・それなりに忙しい日々を過ごしとった

 

柔道の方は・・・(ちょっと、自慢話みたいになってまうけど)誰と戦っても負けへんっていう、自信に満ち溢れとった

人間は・・・流れに乗ってる時は、ホンマに急激に成長するもんであって・・・

ほんで、また「自信」っちゅうもんが「気持ち」に乗っかって、それだけで相手を圧倒してしまうほどの強さを身に纏ってしまう時期があるもんやっていうことを・・・俺は、自分自身の経験から実感してる

 

平成4年が、明けてからっていうもの・・・

これは、自分の体ではないんやないか?って感じるくらいの「強さ」に取りつかれてたって言うても過言やないくらい・・・自信に満ち溢れとった(まぁ、その時が俺の柔道人生のピークやったっちゅうのは、いうまでもないけどな(-_-;))

 

 

国士舘大学が遠征に来た時(練習試合をした時)は・・・

-65kg級の選手(各階級4人程度が遠征に来る)に、あっけなく勝ってしまうもんやから・・・

柏崎先生が・・・「お前は、もう-65kg級の選手とは、練習試合をしなくてもいい! -71kg級の選手と試合をしなさい!」って、言うてくださるほどやった

 

俺は・・・相手が、-71kg級の選手(ウチの大学の、-71kg級のレギュラー陣でも勝たれへんような選手)であっても・・・

「有効」「技有り」「一本」って・・・巴投げ、袖釣り込みで投げて、関節取って・・・正直、相手になれへんな?って感じるくらいの試合をした

 

さすがに、東海大学に遠征に行った時は・・・唯一、強豪選手に「有効」を取られて黒星をつけられてもうたけど・・・

それでも・・・ちゃんと、敗因も理解できとったし・・・

俺は、その年・・・本気で、「全日本学生体重別選手権」で、上位に入賞して・・・「正力国際学生体重別選手権」に、日本代表として出場することを目標にして・・・真剣に、練習に取り組んどった

 

もちろん・・・東海大学などに遠征に連れていっていただくくらいやから・・・「全日本学生体重別選手権大会 関東予選」に出場するための学内予選もきっちりと勝って、ちゃんとレギュラー枠も確保しとったんやで

 

 

 

時は・・・

関東予選に向けての、最終追い込み段階を迎えとった

 

そんな時に・・・何でやろう?

俺の中の「悪い虫」が騒ぎ始めた

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