東北柔道専門学校に入学すると同時に・・・柔道部に所属することになった
先述したけど・・・「柔道をすることを条件」で、東北柔道専門学校に入学した以上、それは決まり事のようなもんやった
ただ・・・俺には、家族がおる
学費も生活費、養育費も・・・全部、俺の肩に乗っかってる訳や
早朝からのアルバイト・・・午後からのアルバイト・・・
それを抱えてる俺にとっては・・・朝練、午後の練習と、決められた時間の中で動くことが非常に困難やった
その時間の調整が、あまりにも難しくて・・・
やむを得ず、俺は1週間で柔道部を退部した
(その節は、本当に申し訳ありませんでした)
せやけど、俺は・・・
闘うため(闘う前)の「緊張感」っちゅうもんが、なんでか分からんけど、ものごっつい好きでなぁ?
その「緊張感」の中に身を置くことを求めた
そんで・・・それを求めた結果・・・
俺は・・・高校生の頃から興味を持っとった、「ボクシング」をすることを選んだ
平日は・・・
早朝(4:00や5:00)からのアルバイト
7:30に終了するから・・・帰宅して、すぐに1時間のロードワーク
シャワーを浴びて・・・9:00から学校の授業
12:10に授業が終わるから・・・12:30から、トラックに乗るアルバイト
19:00くらいには、アルバイトが終わるから・・・そこから、ジムに行ってジムワーク
2時間ほど練習をしてから、家に帰る
土日、祝日は・・・
早朝(3:00頃)から、19:00頃までトラックに乗って・・・ジムに行ってジムワーク
時間に追いやられる、いっぱいいっぱいの生活やったけど・・・
自分で時間調整ができる、自分で自己管理をすることができる、「ボクシング」は・・・
実業団時代と同じような感じやったから、心底のめり込んでいった
ちなみに・・・
柔道整復師の勉強の方は?っていうと・・・
毎日毎日、時間の許す限り、必死になって勉強をした
1日24時間っちゅうのは、人間誰でも同じ
せやから・・・授業(結構、授業中に勉強しまくったな?)、アルバイト、ロードワーク、ジムワーク・・・
俺は・・・荷物の搬入の際の余った時間・・・大袈裟にいうたら、トラック配送の信号待ちの時間さえも、キャビンの中で教科書を広げて勉強しとった
そんだけ勉強しとった俺は・・・
専門学校時代・・・定期テストの範囲なんか、気にしたことがあれへんかった
それどころか・・・教科によって時間で区切られてるのが当然なんやけど・・・
これから行われるテストが、何の教科のテストなのか?さえ・・・
俺は分からんまま、目の前に出てきたテスト問題を解くっていう感覚でおった
それくらい、俺は・・・全教科、すべての内容を網羅するくらい勉強をしとった
中学3年生の高校受験の時も、そうやったねんけど・・・
俺は、自分自身で・・・
「勉強の仕方が分かれへんかったことが、功を奏したんやろな?」って思ってる
子供の頃は、勉強なんかしたことがないもんやから・・・要点を絞って勉強するなんていう能力は、俺には備わってへんかった
とにかく、教科書の1ページ目から最終ページまで、徹底して覚え込むことしかできへん
何十回も、何百回も・・・読んで・・・書いて・・・また、読んで・・・
そないすることしか、出来へんかった
せやから・・・
テストの問題が・・・「教科書の〇〇ページの右上に記載されてる」っていうような・・・そんなことまで、俺は知っとった
話が、えらい逸れてもうたな・・・
俺は・・・中学生や高校生の頃、街で喧嘩(殴りっこ)をした経験がある
皆さんも、そんな経験があるかとは思うけど・・・
「ボクシング」っていうのは、その延長上・・・・・俺は、そんな感覚でおった
そんな感覚で取り組んでたからこそ・・・すぐに頭打ちさせられることになる
ジャブ、ストレート、フック、アッパー、フットワーク、ディフェンス・・・
サンドバッグを叩いて・・・トレーナーがミットを受けてくれて・・・
柔道をしとったことで、体ができとったっていうこともあって・・・
早くに、スパーリングまで漕ぎつけたまでは良かったねんけど・・・
俺は・・・自分より3階級も下の選手に、いとも簡単にロープを背負わされて、ボコボコに殴らてしもうた
正直・・・メチャメチャ、怖かった
何の抵抗もできへんまま、顔面、ボディー、また顔面・・・
上手い具合に、上下に散らされて・・・俺は、何もできんと、やられるがままの状態やった
メチャメチャ、悔しかった
20代後半にも拘わらず・・・悔しくて悔しくて、嗚咽するくらい泣いた
そんな、俺は・・・基本的には、「負けず嫌い」なんかも知れへんな?
翌朝からのロードワークは、心臓が飛び出してまうんとちゃうか?って思うくらい・・・自分自身を追い込んで、普段よりペースを上げて、徹底的に走った
走って、走って、走りまくったよ
(柔道をしてた頃(高校・大学の頃)に、あんだけ走りまくってたら・・・足腰とスタミナは、かなり強靭やったんやろなぁ?って・・・自分自身で切実に感じるくらい、走りまくった)
ジムにも・・・どれだけアルバイトの終了時間が遅くなっても・・・どれだけ翌日のアルバイトの時間が早かったとしても・・・極力、休むことなく通い続けた
ほんで、何より・・・
ボクシングをしたことで・・・大切なことを教えてくださった、師匠との「出会い」もあった
その甲斐あってか?・・・俺は国体予選で優勝させていただいた
優勝は、させていただいたんやけど・・・
過去(高校、大学)の戦績(実績)が、全くない俺は・・・東北国体には、俺の階級(ウェルター級)だけエントリーしてもらわれへんっていう、苦い現実も経験した
もちろん・・・東北国体に出場してても、きっと負けてたやろうけどね?
ただ・・・平成13年は、宮城県国体であり・・・
その年に限っては、開催県枠っちゅうことで・・・県予選で優勝さえしたら、東北国体に出場せんでも本戦に出場できるっていう、システムになっとった
俺は・・・平成12年3月に、東北柔道専門学校も卒業してる(国家試験にも合格してる)ねんけど・・・
就職先(修行先)も決めんと(「今までのアルバイトを、継続しながらでええわ」って思いながら)・・・国体に出場したいがために、宮城県に残った
東北柔道専門学校の同級生たちは・・・地元に戻ったり、宮城県に残ったりと様々やったけど・・・
ちゃんと就職活動をして、どんどん整形外科や接骨院へと就職が決まって・・・
春先から・・・それぞれ、柔道整復師としてデビューをしとった
そんな状況の中でも・・・何の就職活動もしてへんかった俺やけど・・・
正直・・・「接骨院を開業したい」「道場を設立したい」っていう目標があったもんから・・・周りの動向に対して、正直焦りもあった
卒業してから(国家試験の後)も、アルバイトを続けながら生活してた、そんな俺の耳に・・・
どっからの情報やったんか?忘れたけど・・・
「愛子整形外科」が・・・「柔道整復師」を募集してるっていう、情報が聴こえてきた
この時期に、募集って?・・・なんでやろう?って思いながらも・・・俺は、愛子整形外科(院長:安先生)に電話をした
ほんなら、安先生自身から・・・
「いいですよ! ぜひとも、〇日に面接に来てください!」っていう・・・えらい簡単な返事をいただいた
その後・・・その日やったか?翌日やったか?忘れたけど・・・
実は、「愛子整形外科」が募集をしとったんは、「柔道整復師」ではなくて「理学療法士」やったっちゅうオチが・・・安先生自身から連絡がきた
せやけど・・・安先生も、俺に対して言うてしもうた以上、「悪いな」って思ったんか?
それとも、理学療法士が見つかれへんから、たまたま連絡してきた俺(柔道整復師)で、仕方なく手を打ったんか?
それは、分かれへんけど・・・
何はともあれ・・・俺は、愛子整形外科に就職することが決まった
たまたま情報をキャッチして、押しかけ的に電話をした俺・・・
俺自身が所持してる資格を「理学療法士」と勘違いなさった?、安先生・・・
いずれにしても・・・
愛子整形外科に就職させていただいたことも・・・俺にとっては、大きな『必然』やった