『必然』18(ボクシングとの出会い)

東北柔道専門学校に入学すると同時に・・・柔道部に所属することになった

先述したけど・・・「柔道をすることを条件」で、東北柔道専門学校に入学した以上、それは決まり事のようなもんやった

 

ただ・・・俺には、家族がおる

学費も生活費、養育費も・・・全部、俺の肩に乗っかってる訳や

 

早朝からのアルバイト・・・午後からのアルバイト・・・

それを抱えてる俺にとっては・・・朝練、午後の練習と、決められた時間の中で動くことが非常に困難やった

 

その時間の調整が、あまりにも難しくて・・・

やむを得ず、俺は1週間で柔道部を退部した

(その節は、本当に申し訳ありませんでした)

 

 

せやけど、俺は・・・

闘うため(闘う前)の「緊張感」っちゅうもんが、なんでか分からんけど、ものごっつい好きでなぁ?

その「緊張感」の中に身を置くことを求めた

 

そんで・・・それを求めた結果・・・

俺は・・・高校生の頃から興味を持っとった、「ボクシング」をすることを選んだ

 

 

平日は・・・

早朝(4:00や5:00)からのアルバイト

7:30に終了するから・・・帰宅して、すぐに1時間のロードワーク

シャワーを浴びて・・・9:00から学校の授業

12:10に授業が終わるから・・・12:30から、トラックに乗るアルバイト

19:00くらいには、アルバイトが終わるから・・・そこから、ジムに行ってジムワーク

2時間ほど練習をしてから、家に帰る

 

土日、祝日は・・・

早朝(3:00頃)から、19:00頃までトラックに乗って・・・ジムに行ってジムワーク

 

時間に追いやられる、いっぱいいっぱいの生活やったけど・・・

自分で時間調整ができる、自分で自己管理をすることができる、「ボクシング」は・・・

実業団時代と同じような感じやったから、心底のめり込んでいった

 

 

ちなみに・・・

柔道整復師の勉強の方は?っていうと・・・

毎日毎日、時間の許す限り、必死になって勉強をした

1日24時間っちゅうのは、人間誰でも同じ

せやから・・・授業(結構、授業中に勉強しまくったな?)、アルバイト、ロードワーク、ジムワーク・・・

俺は・・・荷物の搬入の際の余った時間・・・大袈裟にいうたら、トラック配送の信号待ちの時間さえも、キャビンの中で教科書を広げて勉強しとった

 

そんだけ勉強しとった俺は・・・

専門学校時代・・・定期テストの範囲なんか、気にしたことがあれへんかった

それどころか・・・教科によって時間で区切られてるのが当然なんやけど・・・

これから行われるテストが、何の教科のテストなのか?さえ・・・

俺は分からんまま、目の前に出てきたテスト問題を解くっていう感覚でおった

 

それくらい、俺は・・・全教科、すべての内容を網羅するくらい勉強をしとった

 

中学3年生の高校受験の時も、そうやったねんけど・・・

俺は、自分自身で・・・

「勉強の仕方が分かれへんかったことが、功を奏したんやろな?」って思ってる

 

子供の頃は、勉強なんかしたことがないもんやから・・・要点を絞って勉強するなんていう能力は、俺には備わってへんかった

とにかく、教科書の1ページ目から最終ページまで、徹底して覚え込むことしかできへん

何十回も、何百回も・・・読んで・・・書いて・・・また、読んで・・・

そないすることしか、出来へんかった

 

せやから・・・

テストの問題が・・・「教科書の〇〇ページの右上に記載されてる」っていうような・・・そんなことまで、俺は知っとった

 

 

 

 

 

話が、えらい逸れてもうたな・・・

 

俺は・・・中学生や高校生の頃、街で喧嘩(殴りっこ)をした経験がある

皆さんも、そんな経験があるかとは思うけど・・・

「ボクシング」っていうのは、その延長上・・・・・俺は、そんな感覚でおった

 

そんな感覚で取り組んでたからこそ・・・すぐに頭打ちさせられることになる

 

ジャブ、ストレート、フック、アッパー、フットワーク、ディフェンス・・・

サンドバッグを叩いて・・・トレーナーがミットを受けてくれて・・・

 

柔道をしとったことで、体ができとったっていうこともあって・・・

早くに、スパーリングまで漕ぎつけたまでは良かったねんけど・・・

俺は・・・自分より3階級も下の選手に、いとも簡単にロープを背負わされて、ボコボコに殴らてしもうた

 

正直・・・メチャメチャ、怖かった

何の抵抗もできへんまま、顔面、ボディー、また顔面・・・

上手い具合に、上下に散らされて・・・俺は、何もできんと、やられるがままの状態やった

 

メチャメチャ、悔しかった

20代後半にも拘わらず・・・悔しくて悔しくて、嗚咽するくらい泣いた

 

 

そんな、俺は・・・基本的には、「負けず嫌い」なんかも知れへんな?

翌朝からのロードワークは、心臓が飛び出してまうんとちゃうか?って思うくらい・・・自分自身を追い込んで、普段よりペースを上げて、徹底的に走った

走って、走って、走りまくったよ

(柔道をしてた頃(高校・大学の頃)に、あんだけ走りまくってたら・・・足腰とスタミナは、かなり強靭やったんやろなぁ?って・・・自分自身で切実に感じるくらい、走りまくった)

ジムにも・・・どれだけアルバイトの終了時間が遅くなっても・・・どれだけ翌日のアルバイトの時間が早かったとしても・・・極力、休むことなく通い続けた

 

ほんで、何より・・・

ボクシングをしたことで・・・大切なことを教えてくださった、師匠との「出会い」もあった

『師匠』が残してくれたもの・・・

その甲斐あってか?・・・俺は国体予選で優勝させていただいた

 

優勝は、させていただいたんやけど・・・

過去(高校、大学)の戦績(実績)が、全くない俺は・・・東北国体には、俺の階級(ウェルター級)だけエントリーしてもらわれへんっていう、苦い現実も経験した

もちろん・・・東北国体に出場してても、きっと負けてたやろうけどね?

 

 

ただ・・・平成13年は、宮城県国体であり・・・

その年に限っては、開催県枠っちゅうことで・・・県予選で優勝さえしたら、東北国体に出場せんでも本戦に出場できるっていう、システムになっとった

 

 

俺は・・・平成12年3月に、東北柔道専門学校も卒業してる(国家試験にも合格してる)ねんけど・・・

就職先(修行先)も決めんと(「今までのアルバイトを、継続しながらでええわ」って思いながら)・・・国体に出場したいがために、宮城県に残った

 

東北柔道専門学校の同級生たちは・・・地元に戻ったり、宮城県に残ったりと様々やったけど・・・

ちゃんと就職活動をして、どんどん整形外科や接骨院へと就職が決まって・・・

春先から・・・それぞれ、柔道整復師としてデビューをしとった

 

そんな状況の中でも・・・何の就職活動もしてへんかった俺やけど・・・

正直・・・「接骨院を開業したい」「道場を設立したい」っていう目標があったもんから・・・周りの動向に対して、正直焦りもあった

 

 

卒業してから(国家試験の後)も、アルバイトを続けながら生活してた、そんな俺の耳に・・・

どっからの情報やったんか?忘れたけど・・・

「愛子整形外科」が・・・「柔道整復師」を募集してるっていう、情報が聴こえてきた

 

この時期に、募集って?・・・なんでやろう?って思いながらも・・・俺は、愛子整形外科(院長:安先生)に電話をした

ほんなら、安先生自身から・・・

「いいですよ! ぜひとも、〇日に面接に来てください!」っていう・・・えらい簡単な返事をいただいた

 

 

その後・・・その日やったか?翌日やったか?忘れたけど・・・

実は、「愛子整形外科」が募集をしとったんは、「柔道整復師」ではなくて「理学療法士」やったっちゅうオチが・・・安先生自身から連絡がきた

 

せやけど・・・安先生も、俺に対して言うてしもうた以上、「悪いな」って思ったんか?

それとも、理学療法士が見つかれへんから、たまたま連絡してきた俺(柔道整復師)で、仕方なく手を打ったんか?

それは、分かれへんけど・・・

何はともあれ・・・俺は、愛子整形外科に就職することが決まった

 

 

たまたま情報をキャッチして、押しかけ的に電話をした俺・・・

俺自身が所持してる資格を「理学療法士」と勘違いなさった?、安先生・・・

いずれにしても・・・

愛子整形外科に就職させていただいたことも・・・俺にとっては、大きな『必然』やった

 

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