「千葉県学生体重別選手権」で、優勝した俺は・・・
第一道場の柏崎先生が「第一道場に上がって練習しろ!」って、いつ言うてくれるんやろう?やろうって・・・密かにに期待しとった
せやけど・・・
その言葉を掛けていただけることはなく・・・俺は、そのまま「第二道場」で練習を続け・・・ほんで、平成4年を迎えた
平成4年は・・・俺にとって、大学生活最後の年・・・そう、4年生になる年やった
3月に開催される「全日本体育系大学柔道体重別選手権」
その大会は・・・全日本学生体重別選手権で、前年度にベスト8以上の成績を残してる者は、出場できへん大会やねんけど・・・
その大会で、上位に入賞できたら・・・実力的には、「全日本学生体重別選手権」でも十分上位に食い込んでいけるであろう
云わば・・・学生たちにとっては、その年最初の「査定試合」でもある大会やった
また・・・そのあと、5月に開催される「全日本学生体重別選手権 関東予選」で、勝ち上がったら・・・10月に開催される「全日本学生体重別選手権大会」に出場できる
当然・・・全日本強化選手に入るためには、全日本学生体重別選手権で、上位に入賞せなアカン
俺は・・・
千葉県学生体重別選手権で、強豪選手に勝ったことで、気を良くしたんやろなぁ?
その大会の後くらいから・・・
「全日本体育系大学柔道選手権大会」(3月)
「全日本学生体重別選手権大会 関東予選」(5月)
この2つの大会に・・・「学内予選を勝ち上がり、何としてでも出場したい」・・・そんな気持ちが、心の中で芽生え始めとった
余談やけど・・・
俺の親父は・・・俺が大学時代、ぎょうさん手紙を送ってくれた
第二道場に落とされた時・・・「俺、大学の選択を間違ったんかなぁ~?」って愚痴った時には・・・
家の前は、相変わらず、小学生や幼稚園坊主が入り混じって通学してる
歳を取っていくのは当たり前のことやけど・・・決して、後ろを振り返ったらアカン
流れいく、川の水のように、今この一瞬は二度と戻ってけえへん
いくら、銭を積んでも・・・いくら、もがいても・・・人生は、後戻りなんかできへん!
そういう内容の手紙を送ってくれた
ほんで・・・送ってくれる手紙には・・・
「世界チャンピオンの卵 耕太郎へ」
「未来の世界チャンピオン 耕太郎へ」
・・・って、必ず綴ってくれとった
そんな親父に対しても・・・
「大学に進学させてもらった また、高い学費や生活費を出してもらったことへの恩返しをしたい!」
そない思い始めたのも・・・その頃やったと思う
せやけど・・・俺がおるのは、「第二道場」
どんだけ、愚痴っても・・・どんだけ、悲観的になっても・・・自分の置かれてる状況は、変わることがあれへん
たったひとつだけ、変えられることは・・・
誰よりも「辛抱と努力」をするっていう、限りなくしんどい環境の中に・・・自らの意志で、如何に己自身の身を沈めることができるんか?っていうことに尽きる
俺は・・・そない結論付けた
それから、俺は・・・
「後悔」や「愚痴」や「羨み」を、全部封印して・・・己自身が置かれてる環境・状況を真摯に受け止め・・・決して悲観することなく・・・ただただ目標に向かって、日々一生懸命精進した
全日本トップクラスの選手のビデオを、何べんも何べんも見て・・・
引き手、釣り手に始まり、足の位置、顔に位置、目線の高さまで、とにかく自分の技を研究して・・・
どんだけ息が上がっても・・・どんだけ苦しくても・・・どんだけしんどくても・・・時々、あまりのキツさに半泣きになったこともあったと思うけど・・・とにかく、一生懸命練習をした
その時に、俺が学んだのが・・・
「辛抱と努力をすること!」
「不平不満を云わぬこと!」
「与えられた環境の中で最大限の努力をすること!」
そう・・・我が子(悠葉先生やREN兄ぃ、SOやYAMATO)に対して、ちっちゃい頃から言い続けてきた「北岡家の家訓」
ほんで、また・・・道場生が練習前が合唱してる「北岡道場訓」にもなってる