俺は・・・『必然』っていう言葉が大好きや
・・・・・っちゅうより・・・己自身の身に起こることは、すべて『必然』であって・・・「偶然」なんていうもんは、存在せえへんと思ってる
その己自身の身に起こる『必然』を・・・どのように受け止めて、どのように次につなげていくんか?
ほんで、次に起こる『必然』を・・・如何に、己自身が真っ直ぐに受け止めることができる、素晴らしい『必然』に変えていくことができるんか?
すべては・・・己自身の『心』が決めること!
そない考えながら・・・俺は、人生を歩んできた(もちろん、今もそう考えてる)
なんで、北岡は・・・『北岡道場』を、こんな「ええ加減」な道場として運営してるんか?
なんで、北岡は・・・子供たちを、(現在の)チャンピオンに導こうとせえへんのか?
俺ら(指導者・教育者や親)が・・・ナンボ、いきり立ってもアカンのよな!?
「本気」になるのは・・・己自身でしかないねんから
俺の・・・詰め込み過ぎた教育・指導(柔道)によって・・・
俺(指導者や親)の下を巣立った時にこそ・・・自分自身の「責任」で、羽ばたいてもらわなアカンのに・・・
その時になって、自己管理ができへんような子になってしまってるようじゃ、本末転倒もええとこやからな?
成長過程の中で・・・
限りなく、酸いも甘いも経験させてやって・・・物事の良し悪しも、十二分に理解してもらって・・・
それでいて、「酸い」を選んだ時にこそ・・・どんな困難が立ち塞がろうとも、己自身を奮い立たせることができるとちゃうんやろか?
それが・・・己自身が、自ら背負い込んだ『責任』っちゅうもんなんとちゃうんかな?
・・・って、俺は個人的には、そない考えてる
己自身が気付いて・・・己自身が動いて・・・
その先にこそ・・・己自身が思い描く、「素晴らしい」場所があるんとちゃうんやろか?って、俺は思ってる
ほんなら・・・
「お前(北岡)自身の、今置かれてる環境は、素晴らしく最高!」・・・・・なんか???
傍目から見たら・・・到底、そうとは感じてもらえるようなもんではあれへんやろうな?
俺自身・・・
学歴社会でのし上がって、エリートっちゅう訳ではあれへんし、素晴らしい柔道の戦績を残してきた訳でもあれへん
また・・・
娘や息子が、柔道でチャンピオンになってる訳でもあれへんし、素晴らしい学業成績を維持してくれてる訳でもあれへんからな?
せやけど・・・今置かれてる環境こそが、俺にとっての『必然』であって・・・
その『必然』を真っ直ぐに受け止めてるからこそ・・・俺は今、メチャメチャ『幸せ』なんよ!
そう・・・
『幸せ』は、成るものではなく感じるもんやから!
ほんで・・・
すべては、己自身の『心』が決めるもんやから!
そんな俺自身が、経験してきたこと(昔話)を・・・
この場を借りて、記していくわ
いろんなことを・・・格好をつけんと、吐き出してみようと思うよ
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平成元年4月・・・
前年の6月に・・・和歌山県高校総体、-71kg級の決勝戦で負けて、インターハイ出場を逃してもうた俺は・・・
「大学でこそ!」っていう期待を胸に、国際武道大学に進学した
C特待生という待遇で、大学に拾ってもらったにも拘らず・・・「大学柔道」っちゅうのは、俺が考えとったほど甘い世界ではなくて・・・
俺は・・・対外試合で何かの成績を残すどころか、学内予選も勝ち上がることができんと、レギュラーにさえなることができんでおった
そんな大学柔道生活の日々を送っとった、大学3年生の夏前・・・
俺は、監督(柏崎先生)から呼び出された
「北岡! お前は、明日から「第二道場」で練習しろ!」
俺は、「第二道場」に落とされることになった
「第二道場」っちゅうんは・・・
金銭的に余裕のない者(家庭の事情で、仕送り等がない者)が、アルバイトをしながら柔道をする
また、高校時代、それほどの実績を残していない者が、大学で部活動として柔道をする
ほんで・・・俺のように、「第一道場」で練習しとったにも拘らず、監督から干されたり、ヤル気のない者が、「御払い箱」的に行かされる
(当時は)そんな、場所やった
試合場を、2面取れるくらいの広さの道場やってんけど・・・
半分は・・・女子柔道部が使用
あとの半分が・・・第二道場生が使用するっていう感じやった
せやから、必然的に・・・女子柔道部員とも、練習をすることになるねんけど・・・
大学生にもなったら、余程のことがあれへん限り、男女の差は歴然としとる
・・・にも拘わらず、女子柔道部員と練習(乱取り)をするっちゅうことは・・・
俺ら(第二道場生)には・・・対外試合で活躍できるっていう「明るい未来」は、これっぽっちもあれへん!っちゅうことを意味しとった
当然、「第一道場」の連中とは、練習内容も違うし・・・技の詳しい講習なんかも、ほぼ無いに等しい
せやから・・・
レギュラーを選考する学内予選で・・・第二道場の選手が、第一道場の選手に勝つことなんてありえへんし・・・
レギュラーに選考してもらえることなんて、決してあれへんかった
もちろん・・・今現在は、どないなってんのか?は分かれへんけど・・・
当時の「第二道場」とは・・・「結果を求めて、必死になって頑張る柔道部員」ではなく・・・
「それ以外の人間」が行く場所やった
俺は・・・腐っとった
自分自身を正当化するための、腐り切った言い訳を考えることと・・・
「後悔」と「羨み」と「愚痴」を、吐き出すことしかできへんかった
その年(平成3年)の2月・・・
俺は・・・大切な大切な兄貴分(圭吾兄ぃ(先輩))を、事故で亡くしとった
それからは・・・誰に心を開くこともなく、同級生との接点すら持とうとはせえへんようになっとった(同級生が、80人近くもおるのに・・・)
圭吾兄ぃがおれへんから・・・
練習に行っても、一人ぼっちやったし・・・
オフの日も、いつも単独行動やった
何をやっても、おもしろくなかったし・・・俺は、メチャメチャ「孤独」に支配されとった
5月に開催される全日本学生体重別の関東予選が終わったら・・・4年生の先輩方は、事実上「引退」となって、練習には参加せえへんようになる
せやから・・・当時、3年生やった俺は・・・
誰に文句を言われることもなくなり(当然、監督からは、もう既に「御払い箱」状態やったから、何のお咎めも受けることはなく)・・・次第に、朝のトレーニングや午後の練習を休むようになって、「遊び」に夢中になっていった
せやから・・・
あの時、「第二道場」に落とされたのは・・・『必然』やったんやと思う