11月19日(日)・・・女川町総合体育館に於いて、上記の大会が開催され・・・
北岡道場からは・・・幼児から中学2年生まで、34名の選手が出場させていただいた
結果・・・
幼児の部・・・皓(ヒロ):準優勝
小学3年生男子の部・・・YAMATO:3位
小学5年生女子の部・・・心優:3位
・・・・・っちゅう、結果やった
俺は・・・子供たちに、試合が近づくにつれて、こない話してきた
「成長過程である、お前らの時は・・・体の大きさや運動能力が、相手の方が勝ってるが故に、どんだけ一生懸命頑張ったとしても、敵えへんことがある ほんで、今もこれからも、柔道だけに限らず、どんだけ一生懸命頑張ったとしても、思い通りになれへんことの方が絶対に多い せやけど、負けたからって、腐ることはあれへん! 思い通りの結果になれへんかったからって、「俺は、アカンのかな?」って、思う必要なんか、まったくあれへん! 「悔しい」って気持ちさえ、持つことさえできておれば、必ず次につながる! せやから、勝っても負けても構わへんから・・・思いっきり、楽しんで試合をしてきたらええねん!」って・・・
一生懸命取り組んでる子は、取り組んでるし・・・
一生懸命やってへんも子は、適当にやってるし・・・
今回の結果は・・・全員が全員、なるべくしてなった結果やないんかな?って、俺は思ってるよ
普段、練習を疎かにしてる奴は・・・ナンボ気合入れて試合に挑んでも、まず勝たれへん
これは、当たり前のことやけど・・・勉強はじめ、他のことも全部同じやと思う
道場で、練習前の1時間の勉強時間を見てても・・・柔道を適当にやってる奴は、勉強も適当にやっとる
集中力がないんか?
やろうとする意欲が欠落してるんか?
それは、俺には分からんけど・・・
あえて、何も言わんと黙って見てるんやけど・・・明後日の方を向いてたり、ダレてみたり、となりの子にちょっかいを出しにいってみたり・・・
俺は、彼らの私生活を見ることはできへんけど・・・多分、学校生活なんかでも、同じようなことをしとるんやろな?って思いながら見てる
たとえば、柔道・・・
どんだけ、「ええ加減」に取り組んどっても(ウチは、基本的に「ええ加減」な道場やけど(^_^;))・・・僅か5分間でもええから、真剣な目ン玉で取り組むことができる子(もちろん、指導者や親に言われて取り組むんやなくて、「自分の意識」で取り組む奴やで)は・・・学年が上がるにつれて、それなりに「成果」が見えてくるもんやと思ってる
先生や親に言われてやるんやなくて・・・「自分の意識」で取り組むっちゅうのは・・・
俺の考える・・・『自己責任』っちゅう部分かな?
「自分の意識」で動く子は、「今この瞬間、自分は何をするべきなんか?」を、少なからず理解してるから・・・・・最初は、僅か5分やけど・・・それが6分になって、7分になって・・・やがて、30分になって、1時間になって・・・それが、「成果」につながってくるんやろな?って思ってる
せやけど・・・その僅かな時間も、「己自身の意識」で取り組もうとせえへん子は・・・学年が上がるにつれて、「自分の意識」で取り組んでる子との差が、明らかに開き始める
おまけに、差が開き始めたら・・・その差は、どんどん加速していく
片や、「自分の意識」で取り組んで、成果が表れ始めたら、その「方程式」を身を以て感じるもんやから・・・取り組み方が、さらに変わってくるからやと思う
そないなったら・・・取り返すことは、非常に困難を極める
初期段階の「自分の意識」の改革をせん限り・・・そのレールには乗られへんねんもん
せやけど・・・裏を返せば、「自分の意識」の改革さえできたら・・・子供の頃やねんから、あっという間に、その差は埋まるレベルやっちゅうことやわな?
せやからこそ・・・その「方程式」を、ぜひとも、今のうちに身を以て感じてもらいたいなって願うんよな(^^)
その「自分の意識」を、煽ってやるのは・・・指導者・教育者(親)の役目なんやろな?って、俺は思ってる
せやけど・・・その部分は、簡単そうに思えるけど・・・実は、ものごっつい難しい部分やでな?
単に、「切り札」(鉄拳制裁や権力的な圧力)を振りかざして、頭ごなしに「やらせる」のは、絶対に続かへんやろうから・・・俺は、間違うてると思う
おまけに、柔道はじめ勉強など、そのもの自体・・・また、指導者やガミガミ言う親のことを嫌いになってまうリスクは、ものごっつい高いし・・・・・
そないなったら・・・「好きこそ物の上手なれ!」からは、どんどん掛け離れていきよる
また・・・普段、頑張ってない者に対して・・・その時だけの頑張りに、心を動かされたからって言うて、「よう、頑張ったなぁ!」って、褒めてやるのも・・・これまた、違うと思う
要するに、俺らサイドが・・・「感動したこと」「悔しかったこと」「腹が立ったこと」「嬉しかったこと」等の、己の「感情」を・・・自分が『主役』になってもうて・・・ストレートに吐き出すことが、そもそもの間違いとちゃうんかなって、俺は思うんよ
せやから・・・俺らは、常に「脇役」に徹して・・・如何に、『主役』を引き立てることができるんか?を、考えて動かなアカンと思うんよな
その『主役』の引き立ちは・・・必ずしも、「今この瞬間」とは限れへん!
近い将来なんか?遠い将来なんか?は、そのシーンが訪れるのは、それぞれ違うけど・・・
『主役』を引き立たせるために・・・俺らは、「脇役」や「エキストラ」を、どんだけ演じ切れるんか?っちゅうことが、ものごっつい重要なポイントやと、俺は思うんよな(^^)
一生懸命練習に取り組んでなくて、その時だけ頑張って、仮に入賞した子がおったとしよう
その場合は・・・それを褒め称えるよりも、谷底に突き落とすつもりで、心を鬼にして、普段の行い(取り組み方など)を叱責してやらなアカン場面やよな?
せやけど・・・
その部分を・・・俺ら自身が「感動」や「興奮」っちゅう感情に溺れて、浮足立ってもうて・・・
「よう、頑張ったなぁ~」なんてことを伝えたら・・・子供は「これでいいんや!?」って、誤った理解をしてしまうことにも成りかねへん
おまけに、それを繰り返しとったら・・・年齢が上がるにつれて、子供らも利口になりよるから・・・・・
いきなり、前と違うことを言うたら・・・「あの時は、これで良かったやんけっ!?」って、ヘソを曲げ始めて・・・言葉(言霊)が心に届けへんようにもなってきよる
そこで、やむを得ず・・・「切り札」を振りかざそうもんなら・・・・・
指導やな!?(いや・・・いきなり、指導3! 反則負けや!(苦笑))
『三つ子の魂百まで!』
・・・・・やねんから・・・
良かったことは、良かった!
アカンもんは、アカン!
・・・・・を、伝えてやらなアカン時を、見失ったらアカンっちゅうことやな?
それが・・
どんだけ沈んでる状況の時(完敗状態で、落ち込みまくってる時など)であれ・・・
どんだけ輝いてる状況の時(優勝して、金メダルをぶら下げてる時など)であれ・・・
伝えてやらなアカンことは、伝えてやらなアカンって・・・俺は、常々考えながら、子供たちに接してるつもりでおる
あいつらのことが、大好きやから・・・
正直・・・俺かって嫌われたくはないけど・・・
それでも・・・
「このオッサン・・・この状況で、なんで俺を蹴落とすねん!?」って、たとえ嫌われたとしてでも・・・
いずれ訪れるであろう、その時に・・・
「あのオッサンが、伝えようとしとったことは、こういうことやったんか!?」って、感じてもらえるように・・・
真剣な目ン玉で、向かっていこう!って、俺は決めてる
褒めてやる時は・・・「感情」の赴くまま、ストレートに褒めてやれるもんやけど・・・
叱る時っちゅうのは、ホンマに難しいよなぁ~?
己の「感情」を、1gたりとも乗せることはできへんねんからね?
(感情の赴くままに、怒り散らすことの方が、よっぽど容易いことやよ(^_^;))
せやから・・・
俺ら、指導者・教育者(もちろん、親も)は・・・
「どんだけ・・・叱る「演技」ができるんか?」
・・・・・っちゅうことやねんで、きっと(^^)
最近、道場生が増えたことによって・・・その「差」も含めて、いろんなことが、浮き彫りになりやすい傾向にある
・・・・・かと言うても・・・
俺自身は・・・彼らの心を、要所要所で揺さぶりながら・・・周りに感化されてくるのを待つしかないんやけどね?(^_^;)
それでも・・・カミナリ落とす場面では、これでもかっていうくらい、でっかいカミナリ落としてやって・・・
未来で、彼らを待ってるよ!
今年最後の大会が終わって・・・
あとは・・・12月23日の『北岡道場杯&納会』を残すのみ
今年一年を振り返って・・・足りへん部分は、まだ取り返せる時間は、あるんとちゃうんかな?
北岡道場生諸君!!
流れいく川の水のように・・・
今この一瞬は、二度と戻ってけえへんねんで!?
せやから・・・
今この一瞬を・・・今このひと時を・・・
どうか、悔いの残らへんように・・・
生きて生きて生きまくってくれ!!
元気出していこう!
READY! GO!!