あっという間に、時が過ぎたように感じる
また、別れの季節がやってきよったわ
3月26日(土)・・・中学3年生を送る会、『追い出し会』をした
滉太が・・・北岡道場を巣立っていった
小学校1年生の時に出会って以来、9年間
まったく練習をせず、チョロチョロと、道場の端っこの方で遊んでた時期(^_^;)・・・
キャプテンとして、道場を引っ張ってくれた時期・・・
中学生となり、少し大人の仲間入りをした時期・・・・・
ずっと、滉太の成長を見させてもらった
滉太が、小学校6年生の春過ぎ、大和町で開催された地域大会の団体戦かな?
大将で出場した滉太が、どうもヤル気のない試合をしよったねん
前で試合が決まってた?(負け?)がどうかは、もう定かではないけど・・・いずれにしても、ヤル気がない試合をしたのは事実やった
滉太自身、その試合は勝ったんか?負けたんか?も・・・そんなことは、俺にとったらどうでもええ
俺の頭の中は、シリンダーヘッドが飛び出そうなくらい、ギンギンに熱くなってた
試合が終わって帰ってきた滉太を・・・俺は、殴った
何発殴ったか?分からんくらい・・・とにかく殴った
本気で殴った
俺・・・メチャメチャ、哀しかったから・・・
せやけど・・・柔道は、独りでできてるんやない
「仲間」もあれば・・・「親御さん」もおる
独りで道場に通えてる訳ではあれへんし(親御さんに、月謝も払ってもらってれば、送り迎えかってしてもらってる)・・・その大会にさえ、自分独りで歩いてきた訳やあれへん
また、「仲間」も「先生」も「親御さん」も・・・『本気』や
それらを裏切ったような行動が、俺には許すことができへんかった
せやから・・・お母さんがいらっしゃったけど、そんなもん関係なく、シバキまくったった
※余談やけど・・・シバくだけシバいてから、滉太のお母さんに、「すいません、どうしても許されへんかったので・・・申し訳ありませんでした」って言うたら・・・・・お母さん、「先生がやっていなかったら、私がやってました」って、お母さんもシリンダーヘッドが飛び出しそうになっとったわ(^_^;)
そこから、滉太は・・・覚醒しよった
その夏に開催された、スポーツ少年団の学年別の個人戦では、今まで勝てなかった相手を撃破して、初優勝
それから、中学2年生まで・・・その大会、3連覇を成し遂げてくれた
いずれにしても・・・俺自身、本気で殴ったからには、「責任」を背負い込むっちゅうこと
あいつは、どない思ってたんか?は分かれへんけど・・・俺は、滉太のことが、ものごっつい大好きやった
滉太には・・・髪の毛がない
「全身脱毛症?」っていう病気?なんやな
小学校1年生の時、ウチの道場に来てくれ初めの頃は、髪の毛があった
せやけど・・・だんだんと抜けてもうて・・・いつの間にか、ツルツルのスキンヘッドになってもうた
俺は・・・滉太が、将来どんな子になるんか?、その時点では想像すらできへんかったし(現在は、驚くくらいごっつい体格やし、驚くくらい堂々とした男になってくれたけど・・・(^_^;))・・・もしかしたら、その容姿が原因で、いじめられてもうて、ふさぎ込んでまうかもしれへんし・・・・・
「それやったら」っちゅう訳やあれへんけど・・・「俺が、免疫をつけといたろ」って思って・・・
俺は敢えて、ツルツルになった滉太のことを・・・『たまごっち』って呼んだ
もちろん、親御さんにも、そのことを伝えた上で・・・そう呼ばせてもうた
「おい、『たまごっち』! 何しとんねんっ!」
「いかんかっ! 『たまごっち』!」
時には・・・「何しとんじゃ!? 『たまご』!」って、省略して呼んだこともあった(^_^;)
悠葉先生はじめ、RENやEIMI、悪ケン(大学1年生・社会人)、虎之介や千葉ケン(高校3年生)、正也や夏っちゃん、オッサン(高校2年生)・・・滉太にとっての先輩たちも・・・皆一様に、『たまごっち』『たまご』・・・そない、呼んでた
せやけど・・・親父さん、お母さんが心配するような、滉太のことを気持ち悪がるような奴は、この道場には、誰一人としておれへんかった(追い出し会が終わった夜、悠葉先生とそんな話になってんけど・・・「だって、あれが滉太やん!?(^^)」って言うてたよ)
俺を含め、そんな先輩連中も・・・いつしか、滉太のことを『たまごっち』『たまご』って呼ぶことがなくなった
みんな、普通に・・・『滉太』って、名前で呼ぶようになった
気が付いたら、滉太は中学生になっており、誰に何を言われようが、尻込みして、ふさぎ込んでまうような、そんな弱々しい男やなくて・・・自分自身に自信を持った、堂々とした男になっとった
みんな(先輩連中)、分かってたんやと思う
俺が、みんなに何かを伝えた訳やあれへんで
でも、みんな分かっとったんやと思う
ファミリーであり・・・兄弟であり・・・きっと、みんな、滉太を「弟」やと認めてたねんやろな
中学3年生になって、上に誰もおれへんくなったら・・・誰に、ちょっかいを掛けられわけでもあれへんし、柔道かって、道場内でダントツに一番強いし・・・皆(父兄含め)、滉太をBOSS的存在やと認めてた
せやけど・・・時に、RENや虎之介が帰ってきたら・・・
「痛いっ! 痛いっ! 痛いっ!・・・・・・・・・・(>_<)」
「止めてよ、REN兄ぃ(>_<)」
「止めてよ、虎ちゃん(>_<)」
そんな、泣きべそ状態の(あの頃のままの)滉太に戻る
俺らは、笑いながら・・・「滉太、嬉しそうですね?(^^)」って、滉太の親父さんやお母さんと、目を細めてみてるけど・・・
新しく入会した子のご父兄は、「なんで?」みたいに、目をまん丸くして、その光景を見とったわ(゜゜)~
当然やわな(^_^;)
俺らからしたら・・・RENや虎之介に、面白おかしく、いじられてるのが、『滉太』やけど・・・
今しか知らへんご父兄の方々は・・・今のBOSS的存在の滉太が『滉太』やもんな(^^)
時は・・・流れてんねやなぁ~
胸を張って、堂々とした立ち姿で、巣立っていってくれた
ほんで・・・みんなバラバラやった、「最悪の状態やった北岡(私)」と「いつ崩壊するかも知れへんかった北岡道場」を知る、最後のご父兄(滉太の親父さん、お母さん)が退会された
悠葉先生、晃先生はじめ、多くの卒業生が、道場に帰ってきた時・・・
「北岡先生、なんですか?この道場は? みんな、バラバラじゃないですか!? これだったら、あの時と同じじゃないですか!?」って言われへんように・・・
道場を、彼らが巣立っていった素晴らしい状態のまま、守っていくこと!
失礼を承知で述べるけど・・・
この先、十人十色、自分の進みたい方向(例えば、「勝つための柔道を指導してほしい」とか、自分の子供達だけにいろんな技を教えるなど、自分勝手な行動や言動を吐き出すとか・・・)を一つの意見として、俺の前に提示してこられるご父兄の方がおるかも知れへん
俺は、その時・・・きっと、何の躊躇もすることなく、「線引き」をすることやろう
以前の俺は、それをせえへんかった・・・いや、出来へんかったっていう方が正解やろな?
どんな勝手な行動をされたとしても・・・どんな状況に追い込まれたとしても・・・「子供には罪はないから・・・」、そない思って、じっと堪えて我慢をしてきた
せやけど、残念ながら今の俺は・・・そんな悠長な心は、持ち合わせてへん
俺自身・・・OBの子達に胸を張られへんことと、横暴な言動や行動をされる父兄のご子息を、天秤にかけた時・・・・・その天秤が傾くようであれば、相手が誰であろうと、俺は間違いなく「線引き」をするやろな
それだけ・・・
『卒業生が、帰って来れる場所』
滉太!
たまごっち!(笑)
9年間・・・たくさんの感動と興奮、ほんで何より、人間的な素晴らしい成長を見せてくれたこと、私は本当に嬉しく思っています
『追い出し会』の日・・・みんなからの、最後の投げ込みのあと・・・
お母さんのところにいき・・・「9年間、ありがとうございました!」と言いながら、頭を下げたあなたの姿を、私は一生忘れないと思います
これからの人生・・・自分が消えてしまいたくなるような出来事にも、きっと遭遇することでしょう
その時は・・・自分の『心』が押しつぶされてしまわぬよう、無理をせず、良からぬことを考えず・・・どうか、後ろを振り返ってください!
私は・・・いつでも、ここ(道場)にいますから・・・・・
私を振り返り、仲間を振り返り、自分の歩んできた「誇りある場所」を振り返って・・・どうか自分自身の大切な羽(心)を休ませてあげてください
そして、また、前に進む準備が整ったならば、私に背を向けて前を向いて歩き出してください!
沙季(滉太)パパ!
沙季(滉太)ママ!
数年前、あのドン底のような、道場運営の状況下の中で・・・何も言わず、黙って「沙季」と「滉太」を、北岡に預け続けてくださったこと・・・・・
私と明美は、何ものにも替え難い、『勇気』というものを与えていただきました
そして、最後の日・・・
「孫の代まで、お世話になるんだから・・・先生、元気でいてくださいよ」って言ってくださったこと・・・この上なく、嬉しいお言葉でした
本当に、感謝しております!
ありがとうござました!
競争社会に立ち向かうたくましさ
世の中が思うようにならないことの自覚
心の強さ
他人に対する思いやり
辛抱と努力をすること
不平不満を云わぬこと
与えられた環境の中で最大限の努力をすること
滉太のこれからの活躍を祈って・・・
元気出していこう!
READY! GO!!