今日は・・・個人的な内容も含めた、「親の想い」「親父の想い」「師匠の想い」を綴ろうと思う
夏休み・・・長男(REN:高3)が、帰ってきた
彼は今・・・俺の母校でもある、「和歌山北高校」に在学して、寮生活をしてる
(※俺の実家は大阪府やから、「和歌山北高校」は、ある程度遠くて・・・俺自身も、高校時代は寮生活をしとった)
6月の高校総体和歌山県予選で敗退したから・・・事実上、彼の高校柔道生活は、一旦区切りがついてる
せやから・・・今回は、約10日間ほど、仙台で過ごして、また自分の場所に帰っていきよった
4年前の3月・・・東日本大震災が起こった
震災後2日ほど、自宅とか道場とかで、不安な日々を過ごしてたねんけど・・・ガソリン、食料を求めて、俺ら家族は、山形県に向かった(ルートはR48しかなく(鳴子回りもあったけど、ガソリンが足らんかった)、メッチャ渋滞)
もうすでに、山形県の宮城県寄りのコンビニ、スーパー、ガソリンスタンド、あらゆるものが枯渇状態(特にガソリン:ガソリンは、山形県内も、せいぜい10Lの給油しかしてくれへんかった)で・・・なんとか、10L給油を2回することができたねんけど、なおのことガソリンを求めて進んだら、結局、峠を越えて、新潟県に出てしもうた
新潟に入った時には、Eランプが点灯しとって、やっとの思いで見つけたスタンドも・・・また、並んでる(^_^;)
既に、新潟県の山形県寄りのそのスタンドでも、MAX10Lしか給油してくれへんくて・・・「これは、アカン! 宮城に戻っても、陸の孤島や!」と判断した俺らは、思い切って、北陸自動車道に乗って、大阪(実家)に向かうことにした
(さすがに、北陸自動車道に乗ってからの一発目のSAで、ガソリンを満タンにできたときは、メッチャ嬉しかったよ)
そんな流れで・・・俺らは、大阪の実家にたどり着いた
実家に、たどり着いたはええけど・・・やることがあれへん(ーー;)
あまりに、やることがあれへんもんやから・・・AKEMI(妻)と「子供たち連れて、20数年振りに、母校(和歌山北高校)でも見に行くか?」ってことになって、和歌山北高校に行ってみた
校舎も綺麗に塗りなおされとったり、所々変わってた部分はあったけど・・・俺が汗を流した柔道場は、20数年経ったその時も、雰囲気がそのままで、柔道衣を着た高校生たちが練習をしとった
ほんなら、そこに・・・見覚えのある顔をした奴が現れた
・・・・・・・・・・
同級生やった
その同級生は・・・俺らが団体戦で、インターハイに出場した時の立役者で、個人戦でもインターハイ出場・・・その後は、近畿大学に進学して、愛知県警で警察大会2連覇、全日本選手権出場、嘉納杯(現:東京グランドスラム)5位入賞等々、輝かしい戦績を残してる・・・・・せやけど、高校時代は、いっしょにアホなことを山ほどやった男やった
俺:「お前、何してんねんっ!?」
同級生:「「何してる?」って、お前・・・俺、今ここの監督や」
俺:「えっ~~~~~~~!???」
同級生:「お前こそ、こんなとこで何してんねん!?」
・・・・・・・・・・
・・・・・事の経緯を話したら・・・
同級生:「こいつら(悠葉先生(当時:中学3年生卒業間近で、東北高校進学が決まっとった)とREN(当時:中1)、柔道する場所ないんやったら、練習しに来さしたれよ」って・・・・・そないゆうてくれた
(余談やけど・・・もちろん、東北高校に進学が決まってる悠葉先生に関しては、たとえ我が子であっても私の一存だけで、勝手な行動をする訳にはいかへんから・・・佐藤明代監督に連絡をして、「こんな時期ですから、練習ができる環境が確保できたのなら、体力を落とさないように、しっかりと練習させておいてください!」と、お返事をいただいてからの練習参加やで)
同級生との再開と・・・その時期の練習参加が引き金になって・・・・・RENは、中2の夏休み、冬休み、ほんで、中3の春休み、夏休みに・・・2~3週間、単身で「和歌山北高校」に出掛けていきよった
俺が言うのも失礼やけど・・・「和歌山北高校」は、決して強豪校とは言われへん
せやけど、中学生やったRENの目には・・・高校で悪さをしながら、彼女と遊びながら、海とかで仲間と遊びながら、それでいて「柔道」もして、県大会で上位入賞してくる高校生の先輩方が、ものすごくカッコよく映ったんやろなぁ~
中学3年生の夏休み・・・監督に「高校は、こっちに来たいです!」って、直談判して帰ってきよった
俺は・・・チョコチョコと単身で和歌山に行ってるRENが・・・「和歌山北高校に行きたい!」って、ゆうてくれへんかなぁ~って、密かに期待しとった
なんでか?ゆうたら・・・あいつ(同級生)は、高校の監督にも拘らず、俺と同じ考えを持ってくれとったからやねん
「インターハイ、国体出たからって、何やねんっ!? そらぁ、「柔道」強いに越したことないけど、柔道ばっかりしとって、社会に出てから何もできへんかったら、意味ないやろ? それよりは、「柔道」も頑張りながら、社会に出た時に、リーダー的要素を兼ね備えてる奴の方が、よっぽどええやないか? 俺の教え子は、県チャンピオンになられへんかった奴らでも、大学進学して、キャプテン張ってる奴が何人もおるよ! その方が、大事やと思えへんか?耕太郎?」
それと・・・
「俺は、「柔道」のことでは怒れへん そらぁ、気抜いてやってたら、怒るけど・・・結果云々に関しては、何もゆわん せやけど、社会的に間違ったことをした時には、シバキ倒すよ! 徹底的に、シバキ倒す! せやないと・・・あいつら、社会に出てから困るやろ!?」
・・・・・っていう考えを、俺に吐き出してくれた
せやから・・・監督の考え・・・俺が思春期を過ごした、田舎臭い街並み・・・RENにとっても、岩切っていう街とよう似てること・・・男女共学・・・もちろん、公立高校(^_^;)・・・柔道をしながら、ちょっと外れた先輩方・・・ほんでまた、その監督の指導を受けたくて集まってくる、ちょっと外れてるであろう同級生たち・・・・・それらすべてを総合的に考えた時、RENの意向に反対する要素なんかひとつもあれへんかった
もしRENが・・・「有名な強豪校に進学して、「柔道」をしたい」ってゆうてきてたら、俺は即座に反対しとったと思うよ
俺は、常々思ってるし・・・この場でも、何べんも書かせてもらってるように・・・・・
遊びもせなアカン・・・仲間とも遊ばなアカン・・・悪さもせなアカン・・・彼女とも遊ばなアカン・・・いろんなことを経験して、社会勉強をせなアカン・・・その上で、柔道『も』せなアカンって思ってるから・・・・・RENの選択には、ホンマに大賛成やった
そないして、RENの人生が大きく動き始めようとした矢先・・・和歌山県高校柔道界に、激震が走った
和歌山北高校の監督(同級生)が、移動するっていうことが決まった
しかも・・・合格発表あたりに、辞令があったもんやから、大騒動よ(普通は、そんな時期に辞令があることはないらしい)
その監督の指導を仰ぎたくて、和歌山県内から受験をしたRENの同級生たち(10数名)、またその子達を指導しとった各道場の先生方にとっても・・・これは、ホンマに大事件やった
皆さん、ご存じのとおり・・・今年は、和歌山国体や
国体開催地の高校の監督は、あの時点では移動することは、まず、あれへん・・・はずやった
せやのにも拘わらず・・・突然の移動
まぁ、公立高校の教員やから、しゃあないって言えば、しゃあないけど・・・・・RENを含め、あの年に和歌山北高校に入学することになってた子たち・・・また、監督の指導を仰ぎたくて集まってた在校生(2年生・3年生)にとっては、メチャメチャな大事件やったことには間違いなかった
和歌山北高校の士気は、一気に下がった
在校生も新入生(REN)も・・・確実に、士気が下がっとった
実家に帰省した時に、練習の見学に行ったけど・・・ホンマに「『志』の低い連中の集まり」っちゅう風に、俺の目には映った
そらぁ、今・・・
「北岡道場の先生が変わります! 明日からは、〇〇先生の指導の下、頑張ってください!」ってゆわれたら、小学生でも戸惑うやろうし・・・まして、それが多感な時期の高校生やったら・・・分からんでもないわな(^_^;)
俺は、RENに・・・「そんな中でも、お前独りになってでも・・・一生懸命がんばれ!」とは、言われへんかった
確かに、「柔道」は大事やけど・・・あいつには、あいつの世界がある
先輩や仲間の間での、あいつの立ち位置がある
それを、根こそぎ蹴っ飛ばしてしもうたら・・・柔道の結果は出てくるかも知れんけど・・・あいつには、仲間がおれへんくなってしまう
だから、いろんなことを総合的に考えた結果・・・「これは、必然や!」と受け止めて、俺はRENのことを、黙って見守った
「たら」「れば」は・・・言うてもしゃあないし・・・言うべきことではあれへんけど・・・
それでも・・・俺の同級生が監督でいてくれとったら、RENはきっと、高校総体和歌山県予選で優勝戦線に絡んできとったやろう
(失礼を承知で書くけど)あんな状態の中でも、県大会ベスト4に上がっていくんやから・・・しっかりとした「志」を持って、取り組んどったら、間違いなかったんとちゃうんかなぁ~って、俺は思う
せやけど・・・すべては、『必然』やねん!
監督がおれへんようになったことも・・・高校総体の予選で負けてもうたことも・・・また逆に、それらに力が入れへんかった分、柔道以外の物事を必要以上に吸収したこと(-_-;)も・・・・・
あいつが、この先の人生を歩んでいくための・・・『必然』
俺は・・・自分の身の周りにに起こる、すべての出来事は『必然』やと思ってるから・・・あれは、あれで「良し」やと思ってる
ほんなら、やっぱり・・・・・彼も、何かを感じてたんやろなぁ?・・・動き出しよったわ
『必然』が・・・今、生きようとしてきたわ
『必然』が・・・RENの気持ちを突き動かして、自らの意志で進むべき道を選択して、俺に思いを訴えてきよったわ
親として・・・師匠として・・・今、彼が進もうとしてる道を、限りなく応援してやりたいと思うばかりやよ
彼は・・・俺ら夫婦が、思い描いてた通りの道を、自らで選択して、一歩一歩前に進んでくれてる
自分の周りに起こること・・・自分の置かれてる環境・・・自分がどれだけ愛されてるのか?・・・自分は今、どこに向かわなければならないのか?・・・自分は今、何をしなければいけないのか?・・・それらすべてを踏まえ、『自己責任』と『感謝』の気持ちまで背中に乗っけて、俺ら夫婦が思い描いた通りの人生(みち)を歩いてくれてる
俺ら夫婦は・・・彼が物心がついた時から、常に『自己責任』を背負わせて育ててきた
『自己責任』を背負わせるが故、『答え』を提示してやられへん分・・・親としては、ものごっつい歯がゆかったことも、多々あったけど・・・・・せやからこそ彼は、早い段階で俺らの前を歩くようになってくれたし、どんどん彼が遠い存在になっていってもうたことも事実やった
俺ら夫婦は・・・よく話す
「『子育て』なんか・・・まったく難しいと思ったことがないよな(笑)」って・・・
だって・・・俺らが子供らから、『親』っていう立ち位置を教育してもらってるだけなんやから・・・
難しいはずなんか、いっこもない!
俺らの方が、経験値は豊富なのは当たり前!
でも、その経験値を振りかざして、上から目線で彼らに接したら、芽生えるのは反発心だけや!(俺ら大人かって、そうやん??)
だから・・・いくら親が、愛情を持ってても・・・その愛情が、裏返しでしか伝われへんかったら、子供達には何も伝えわれへん
だから、単純に・・・「自分が今、彼らの立場やったら、どういうアドバイスがほしいやろう?」って考えて・・・アドバイスを送るだけに留める
ほんなら・・・あとは、自分で考えて・・・自分の意見を訴えてきよる
自分自身が歩んできた人生(過去の時間)に・・・ちょっとアドバイス送ってあげて、ちょっとスパイスを加えてやったら・・・子供が、自分(親)を追い越すのなんか容易いことやん?
ほんで・・・それ以上のことを、親が求めすぎて、答えを出しすぎてもアカンやろうし・・・「どないしたら、子供ら自身が自らの意志で、それ以上のことを求めれる人になってくれるんやろう?」って考えることの方が、betterとちゃうんかなぁ~って・・・そない考えて、『親』を演じさしてもらってきた
それが、功を奏したんか?・・・俺ら夫婦は、子供達から「うるさいなぁ」とか・・・そっぽ向かれたりとか・・・反抗されたことが、たったの一度もあれへん
RENが中学生の頃(一番、悪さをしてた時(笑))に、聞いてみたことさえある
「お前・・・俺ら(親)に反抗したりとか、うっとおしいとか思ったことあれへんのか?」って
ほんなら・・・
「反抗する必要性がないやろ!? 全部『自己責任』で、自由にやらせてもらってんのに・・・」っていう答えが返ってきた
子供を『信頼』する!!
・・・・・って
口で言うのは容易いけど・・・本心では、ものごっつい難しいことやと思うなぁ~
でも、それが本心からできるようになった時・・・
子供が持つ『責任』とか『思いやり』とかは・・・何十倍にも、何百倍にも膨れ上がるように、俺は思う
RENは・・・仙台に帰ってきても、ほとんど、家にはおれへん
中学時代の仲間と、「いつ帰ってきたんねん?」っちゅうくらい、毎日毎日、遊びに出掛けてる
それでも、忙しい合間をかいくぐって・・・SO(次男)やYAMATO(三男)を遊びに連れて行ってくれたり、悠葉先生と出掛けたり、ほんで、俺ら両親との時間も、ちゃんと取ってくれる
和歌山におる時はおる時で・・・先輩にかわいがってもらって、同級生(仲間)と最高の時間を過ごし、違うクラブの仲間とも素晴らしい時間を共有して、彼女とも大切な大切な時間を過ごし、ほんで、その上で「柔道」にも取り組んできた
ホンマに、羨ましいくらいの時間を過ごしてる
俺も、大学の頃・・・地元の仲間と、RENと同じような時間を過ごしてたことを思い出す
大学の柔道部の解散の間(2週間くらい)・・・実家にも帰らんと、地元の仲間の家でずっ~~~と過ごした
大学の柔道部の解散は、10日~2週間くらいの夏休み(冬休み)やねんけど・・・その休みで、俺が地元に帰ってきたのをきっかけに、仲間6人(俺を含めて)が集まるねん
ただ・・・いっしょに飯を食って、いっしょに過ごして、朝方まで遊んで・・・そのまま、雑魚寝
朝になったら・・・みんなそれぞれ、仕事とかバイトに行く
俺も、起きたら・・・母校(和歌山北高校)に練習に行く
夕方、帰ってくるのは・・・その仲間の家
晩になったら・・・また、みんなが集まってきて、いっしょに晩飯を食いに行って、くだらないことをして、また朝方まで遊ぶ
毎日毎日、飽きもせんと、そんな夢のような生活を繰り返して過ごしてた
おまけに・・・仲間みんなが仕事が休みになる、お盆(年末年始)は・・・それこそエンドレスで、ず~~~っと、ず~~~っと、いっしょに時間を過ごした
ほんで、俺の休みが終わって、大学に帰る時・・・みんなもそれぞれ、いつもの生活に戻っていくねん
そんな最高の仲間(親友)が・・・俺には、5人もおる
今はさすがに・・・みんな、子育て真っ只中やから、「GWや!お盆や!正月や!」って、家族を放ったらかしにして集まる訳にはいかへんけど・・・・・それでも、俺が大阪に帰った時は・・・必ず、集まってきてくれる
そんな、素晴らしい仲間が・・・俺の最高の宝物やねん!
その最高の宝物は・・・俺の人生を、事ある毎に助けてくれるんや
「助けてくれる」って・・・仕事を紹介してくれるとか、ビジネス面で協力してくれるとか・・・そんな、表面上のことやないで
俺の心の中にいる、あいつらには・・・絶対に負けたくない!
俺の心の中にいる、あいつらには・・・弱さは見せても、泣き言は言いたくない!
俺の心の中にいる、あいつらが・・・孤独になった時、独りぼっちになった時でも、ずっと心の根っこを支えてくれてるから、頑張れる!
そない思わせてくれる奴らこそが・・・俺にとっての『真友』やねん
そんな仲間って・・・損得勘定がぶら下がってへん、ガキの頃にしかできへんのんとちゃうんかなぁ~って、俺は思う
だから俺は・・・我が子にも、道場生にも、そんな『仲間』を見つけてもらいたいなって、常々願ってるねん
ほんで、もうひとつ、大事なこと!
『家族』(『両親』『兄弟・姉妹』)を、ぜひとも大切にしてもらいたい!
これは・・・簡単なようで、なかなか難しい
「「家族の絆」「親子の絆」「兄弟の絆」は・・・簡単には、千切れへん!」
・・・・・そんなこと、あれへんよ
ものごっつい・・・脆いよ
だからこそ・・・お互いに思いやりを持って、『家族』を大切に大切にしてもらいたいと思うんや
RENが生まれた時・・・彼女(AKEMI)には、こう話した
「こいつ(REN)と共に時間を過ごせるのは・・・15年間だけやで! その覚悟しといてな!」って・・・
ほんで、RENが物心がついた時から・・・彼には、ずっと伝え続けてきた
「お前が、この家(北岡の家)におれるのは・・・15歳までやで! 15歳になったら家を出て、自己責任を持って一人で歩んでいかなアカンねんで!」って・・・
彼はもう・・・俺ら夫婦の元には、二度と戻ってけえへんやろう
「帰ってくる場所はないねんで!」、そない伝えながら育ててきたし・・・15歳で旅立つ時、一人の『男』として送り出したつもりやから・・・
だから、決して・・・柔道の結果を求めて、柔道のスキルアップとか、柔道名門高校への進学なんていう理由で、彼を和歌山に行かせたんではあれへんねん
もちろん・・・SO(次男)も、YAMATO(三男)も、その道を歩んでもらおうと思ってるし・・・だからこそ、何よりも『自己責任』を重んじて、彼らに接してるつもりでおる
(ちなみに、長女(悠葉先生)には・・・「お前が家を出ていくときは、嫁ぐときにしなな(^_^;)」って、そない伝えながら育ててきたねんけどな(ーー;))(苦笑)
子供の成長は・・・ホンマに早い
気が付いた時には・・・親の範疇を超えてしまってる
超えてしまうのはええことやけど・・・超えた時に、許容範囲(ルール)が分かってへんかったら、ええ歳してとんでもない場所に足を踏み入れてしまうことになる
また逆に・・・「よしよし、ええ子ええ子」で育ててしまったら、親の範疇を超えることさえできへんくらい、鎖につながれたままの子になってまうこともある
社会の中で、『普通』に生きていく術は・・・
教科書を持たせて、説明するもんでもないし・・・紙に書いて、実行させるもんでもない
親の思い通りに操作しとったら、考えへん子になってまうし・・・そうかと言うて、溺愛して自由気ままにさせる訳にもいかへん
だからこそ・・・心に焼き付けて、覚えてほしいんや!!
■競争社会に立ち向かうたくましさ
■世の中が思うようにならないことの自覚
■心(気持ち)の強さ
■感情(怒り)の抑制
■他人に対する思いやり
■「辛抱」と「努力」をすること
■不平不満を云わぬこと
■与えられた環境の中で最大限の努力をすること
■夢を持て
■己を信じろ
■心で負けるな
■辛抱しろ
■努力しろ
■諦めるな
■要は『根性』
元気出していこう!
READY!! GO!!