先日・・・俺にとって、大切な方が亡くなってしもうた
数年前から、病に侵されとったねんけど・・・
さすがに、コロナ禍では伺うこともできへんくて・・・
コロナが落ち着き始めてからは・・・何べんか、伺わせてもらえたねんけど・・・
会うたびに、弱っていかれてる姿を見るのが、ものごっつい切なくてなぁ
それでも・・・
気丈に「耕太郎、食事に出掛けよう」・・・そない言いながら、おじゃまするたびに食事に連れ出してくれた
一報を聞いて・・・お会いしに行ってきた
コロナ禍にも・・・俺にとって、大切な方が幾人か亡くなってしもうたねんけど・・・
当然、会いに行けるような状況やなかったし・・・
ただ・・・今回は、お会いすることができて、ホンマに良かった
合掌
帰りの道中・・・車を運転しながら、ハンドルを握る自分の手が目に入った
「亡くなってしもうたら・・・魂っちゅうんか?、今考えてる思考っちゅうんか?・・・そう言ったもんは、どないなるんやろう?」
「亡骸っちゅうくらいやから・・・そこに魂はないんやろなぁ? だから、しゃべることも、動くこともできへんのやろうなぁ?」
「自分の身体すらも・・・借り物っちゅうことか?」
「(自分の手を見ながら)借り物の手に・・・借り物の指輪がついとる」
「今ここにあるもん何一つ・・・あちらの世界には持っていくことはできへんのやなぁ?」
そないして・・・当たり前のことを、あらためて考え直してしもうた
人間は・・・
「欲」があって・・・「執着」があって・・・
「地位」も欲しがるし・・・「名誉」も欲しがる
「金」があったら幸せで・・・「金」がなかったら不幸で・・・っていう、二元論も世の中には少なからず存在する
いい高校、いい大学、いい会社に入ったら凄くて・・・そうじゃなかったら凄くない・・・っていう、二元論も存在するんやないんかな?
「どこの高校(大学、会社)に行くのか?」よりも・・・
「己自身が何をする(した)のか?」が大事なはずやのに・・・
それでも・・・
どうしても・・・他人や世間の価値観と比べてしまいよる
ホンマは・・・もっと、足元を見なアカンはずやのになぁ?
以前に、経営心理学者?の方のコラムを読んだことがあるねんけど・・・
経営者の方が集まったセミナーで、その方が質問を投げかけるみたいやねんけど・・・
「今後、会社をどうしていきたいですか?」 「大きくしていきたいです」
「大きくとは?」 「社員を増やしていきたいです」
「社員を増やして、どうしたいんですか?」 「業務内容を拡大していきたいです」
「業務内容を拡大して、どうしたいんですか?」 「売上100億の会社にしたいです」
「売上100億の会社にして、どうしたいんですか?」 「・・・・・・・・・・」
・・・・・って、フリーズする経営者の方が少なくないんです
売上1000万円の会社より・・・売上100億円の会社の方が凄い
社員2名の会社より・・・社員100名の会社の方が凄い
「自分の価値観」と「世の中の価値観」は・・・決して同じやないのに、どうしても「世の中の価値観」に飲み込まれてしまう
そないな内容の記事を読んだことがあったけど・・・ものごっつい、頷ける内容やった
俺自身も・・・若い頃(30歳代)は、ガムシャラに走ってきた
事業拡大・・・銭儲けetc・・・
ホンマは・・・「発心」っちゅうもんが大事なはずやのになぁ?
せやけど・・・歳を重ねるにつれて(ここ数年は特に)・・・
「生かされてる」この「命」がある間に・・・俺は、いったい何をするべきなんやろか?・・・俺に、いったい何ができるんやろか?
そないな考え方に変わってきた
今回・・・あらためて思った
「借り物」の身体を借りてる間やからこそ・・・やるべきことがあるんじゃないんか?
そんなことを考えながら・・・仙台に帰ってきた
We Can Do It!
Yey!!