平成4年、2月・・・
「全日本体育系大学柔道体重別選手権大会」の学内予選が開催された
俺の階級(-65kg級)は・・・1年生から4年生まで、約40名ほどが出場するねんけど・・・
トーナメント表の中・・・俺の名前は・・・???
当たり前やけど・・・4強のシード枠には入ってへんし、ベスト8に分けてもらえる枠にさえ入ってへんかった
それどころか・・・俺一人だけ、一番ちっちゃい山(他の連中(上級生、下級生含めて)は、2回戦からやのに・・・俺だけが、1回戦の一番ちっちゃい山からの試合)に、入れられとった
学内予選を開催するにあたって・・・柏崎先生から、みんなに伝えられてたことがあった
それは・・・
「各階級、決勝戦まで残った者は、無条件でレギュラーにする しかし、それ以外の者(準決勝で敗退した者(要するに、ベスト4の者も含めて)は、普段の練習の取り組み方などを考慮して、レギュラーを選考する」っていうことやった
そないなると・・・第二道場におる俺は、必然的に「決勝戦まで上がれへん以上、選手になることは間違いなく不可能!」っちゅうことになる
せやから・・・学内予選の日時が決まって、その内容を聞いてからは、より一層、真剣に練習に取り組んだ
もう、25年前の話やから記せるけど・・・
俺は・・・「誰が相手でも・・・殺すつもりでやってやる!」・・・そない考えとった
(※非常に、聞き苦しい言葉を綴っておることは重々承知してるけど・・・あの頃に感じてたことを正直に表現してるという部分を、どうかご理解いただいき、どうかご勘弁いただきたい)
ほんで・・・「何としてでも、レギュラーになったるねん!」
そない考えて、日々の練習に取り組んどった
ほんで、迎えた・・・学内予選当日
1~3回戦を勝ち上がった俺は、ベスト4を掛けて、同級生のレギュラー候補の選手と試合をすることになった
俺自身が順当に勝ち上がれば、その選手と当たるんやろな?っちゅうことは予想しとったけど・・・予想通りやった
前述したけど・・・その日、俺は「相手を殺すつもりでやってやる!」・・・そない、腹に決めとった
その試合・・・今でも内容は覚えてるけど・・・
試合中盤・・・俺は、「袖釣り込み腰」を仕掛けた
相手選手も・・・当然、ラストチャンスを目論んで、必死に練習してきたんやろうから、簡単には投げられまいと踏ん張ったんやろうな?
それでも、強引に背中に乗せて、そのまま自らジャンプして前転(前回り宙返り)をし、相手選手を投げた
落ち方が悪かったんやろうか?・・・その選手は、頚椎を痛めてしまったようやった(その後、病院運ばれたけど、幸い大事には至らんで良かったんやけど・・・)
投げた後・・・相手選手がピクリとも動けへんのにも拘わらず・・・俺は、すぐさま「十字関節」を取って、「折れろっ!」とばかりに、力一杯、その選手の腕を決めた
「やめろっ!!」
柏崎先生はじめ、柔道部長、コーチの先生が駆け寄ってきて・・・完全にキレて、関節を決めてる俺の体を掴んで、その選手から引き離した
余談やけど・・・
総合格闘技の「故 山本KID」選手なんかが・・・試合中にレフリーが割って入っても、闘争心剥き出して、そのまま攻撃を止めへんようなシーンをテレビで観たことがあるけど・・・何となく、分からんでもないような気がする
もちろん、そんなことは許されることではあれへんし・・・柔道も総合格闘技も、ルールの中で戦ってることは百も承知やねんけど・・・
「キレてしもうてる」というか?「必死」になってる時の人間っちゅうのは・・・自分自身でさえ、己のことをコントロールできへんようになってまうもんなんやなぁ~?って・・・この時ばかりは、自分自身で実感した瞬間やった
それまでは・・・柔道の試合や練習では、もちろんのこと
中高生の頃に、街で見知らぬ人と喧嘩してしまうようなことになってしまった時なんかでも・・・
どっかで、「手加減」っちゅうんか?・・・「躊躇せんと全力でいってない」っちゅうんか?
どっかで、自分自身をコントロールできてたように思うねんけど・・・あの時ばかりは、制御が利かへんかったように記憶してる
もちろん・・・今となっては、「非常に申し訳ないことをしてしまった」って、深く深く反省してるねんで
結果的に・・・相手選手は、そのまま棄権となって・・・俺は、準決勝にコマを進めることになった