日曜日・・・愛車とドライブをしてた時の話
ある信号で停車した際・・・右車線に「〇〇畜産」っていうトラックに遭遇した
何気なく、トラックの荷台に目をやると・・・牛が2頭、積載(この場合、積載っていうべきなんか?どうか?上手く記されへんから、お許し願いたい)されとった
トラックの荷台の金属ポールに、鼻を輪っかで通されて、こっち(左車線)向きに、固定?されとってんけど・・・
俺は・・・前方の牛を目をやった後・・・そのまま、後方の牛にも目をやった
ほんなら、後方の牛・・・俺の目を見てた
ちなみに・・・俺は、車高の低い車(AE86)に乗ってて・・・トラックの荷台の牛の顔を見上げる角度は、およそ上方60度っちゅうくらいやろか?
鼻を固定されてる牛から見ても・・・結構、角度的には下を見なアカンような角度やってんけど・・・
せやけど・・・俺は、後方の牛と目が合った
通りすがりに、ちょっと目が合うことくらい、人間とでもしょっちゅうあるけど・・・
もちろん、そのまま目が合ったままやったら・・・メンチの切り合いになってまうから、すぐに目は逸らすけど・・・
その牛とは・・・信号が青に変わるまで、ずっと目が合ったままやった
何かを、訴えようとしてたんか?
何かを、伝えようとしてたんか?
ただ、俺が・・・
勝手に、そない思い込んでただけなんか?
せやけど、俺は・・・
その牛の目を見つめたまま・・・信号が青に変わって、車が動き出すまでの間、目を逸らすことができへんかった
きっと、その牛は・・・この後、殺される
食肉になるために・・・殺される
ずっと以前に・・・食肉加工の会社で働いてる方に、お話を聞いたことがあるけど・・・
牛たちは、そないなる直前・・・泣く(実際に涙を流すか?否か?は分からんけど)って聞かされたことがある
それさえも、もちろん・・・その方が、そない感じてるだけなんかも知れへんけど・・・
せやけど・・・
その方が仰ってた言葉(ずっと以前に聞いた言葉)が・・・俺の心の中に、すんなりと溶け込んだ瞬間やった
俺ら(人間)の『命』は・・・何かの『命』によって支えられてる
そう・・・
何かの『命』が・・・俺ら(人間)の『命』を支えてくれてるんや
世の中に、当たり前のように転がってる「真理」っちゅうもんを・・・見せつけられた瞬間やった
『当たり前』
俺は・・・この世の中に、『当たり前』なんていうもんは、存在せえへんと考えてる
スーパーで、パックに包まれて並んでる牛肉ひとつを、自分の口に運ばせてもらうまでにも・・・いろんな「過程」が存在してるはずや
子牛の時から、餌を与えて育ててくださる方
もちろん、糞尿の処理をされる方
牛を運ぶ方
その牛の命を絶つ役割の方
当然のことやけど・・・人間のために死にゆく、多くの牛たちの存在
それらの「過程」、すべてが重なり合うからこそ・・・自分の口に、食肉として運ぶことができるんやよな?
せやから・・・
『当たり前』なんちゅうもんは・・・この世の中には存在せえへんねん
俺は・・・道場生たちに、事ある毎に伝えることがある
あったかい布団で眠れること・・・
あったかいご飯が食えること・・・
あったかいお風呂に入れること・・・
お父さん、お母さん、兄弟、姉妹が、そこに存在してくれてること・・・
仲間といっしょに、柔道衣を着て「柔道」ができること・・・
「何ひとつ取っても、『当たり前』なんて思うな! 『当たり前』なんて、あれへんねん! せやから、すべての物事に「感謝」しろ!」って・・・
せやけど・・・人間っちゅうのは、限りなく愚かな生き物であって・・・
己自身に「与えられた環境」の中で、日々を過ごしてると・・・どうしても、それが『当たり前』やと認識し始める
もちろん・・・
それは、俺自身にも当て嵌まることやから・・・他人のことを、とやかく言う資格なんて、これっぽっちもあれへんのは、重々自覚してるんやで?
せやからこそ・・・
あの牛と目を合ったからこそ・・・
あらためて、それらを考えさせられた出来事やったんやろなぁ?
We Can Do It!
Yey!!