「競争社会」に立ち向かう逞しさ
世の中、ホンマに「競争社会」って言われてる
仕事、教育、スポーツ、なんの世界でも「競争」という言葉が付いて回る
企業競争、教育競争、スポーツ競争・・・いずれ、近い将来、大半の子たちが、そういう中に飛び込んでいくことやろう
せやけど・・・
小学生・中学生に対して・・・大人が客観的に見えてるもんを、ナンボ説明しても・・・自分自身で、身を以て経験してへんことを、完全に理解できるわけがない
せやから、今は・・・目に映る度合いの、自分が目指す場所、自分が目指す相手を定めて、切磋琢磨することを怠らず、自分を成長させていくことができたら、ただそれでええんとちゃうんかな?
今は・・・決して諦めることなく、たとえ「負け」が続いたとしても、自分を鼓舞して、一生懸命立ち向かっていける「勇気」を手に入れてもらう時期やと思うなぁ~
世の中が思うようにならないことの自覚
世の中、自分の思い通りに事が運んだら、どんだけ楽なんやろう?
恥ずかしながら・・・俺自身、今でも、しょっちゅう、そんな風に思うよ
せやけど、そんなことはありえへん
どんだけ努力しても叶えへんこと・・・どんだけ一生懸命になっても伝われへんこと・・・どんだけ頑張っても報われへんことetc・・・
自分の思い通りにはなれへんっちゅうことを、重々理解してもらいたいなぁ~って思う
心(気持ち)の強さ
どんな困難なことがあっても、心(気持ち)が折れることなく立ち向かっていけるように・・・
柔道を通じて、強い「心」を培ってほしい
たとえ、「負け」が続いたとしても・・・何べんも何べんも立ち向かっていくしぶとさ
ほんで、「今に見とけよ!」・・・そう思える心が、人を成長させるんやと俺は思う
諦めることなく、前に前に進んでいってほしい
感情(怒り・欲求等)の抑制
もしも、感情を抑制することなく、怒り散らして、暴れまくったら、どないなる?
そらぁ、大変なことが起こるよ
その「感情の抑制」ができへんから・・・人を殺してしまったり・・・物を盗んでしまったり・・・してしまうんとちゃうんかなぁ~?
せやから、如何に「感情を抑制」することができるんか?
自分の思い通りにはいかへんことを自覚して・・・ちゃんと、「感情を抑制」せなアカンで
他人に対する思いやり
人は、独りでは生きていかれへん
人と人との間がつながってこそ、「人間」になるんやから・・・
「人間社会」では、相手を思いやる心は、ものごっつい大切やと思う
自分の利欲、目先のことばっかり考えんと・・・自分に重ね合わせて、自分が「嫌や!」って思うことは他人にはせず・・・相手を思いやること
「天国と地獄のスプーン」の話やないけど・・・与えるものは与えられ、与えられるものは与える・・・その人の心構えとか、態度・対応によって、その人のおる場所が「天国」にも「地獄」にもなるっちゅうことやで
『辛抱』と『努力』をすること
「辛抱」と「我慢」は、よう似てる言葉やけど・・・俺は、違うと思ってる
「辛抱」とは・・・辛さを抱いて、目標に向かって突き進んでいくこと!
せやから・・・どうか、自分の将来を見越して、「辛抱」をしてほしい
「努力」の「努」は・・・「女」「又」「力」って書く
女性(「女」)が子供を産む時に、命がけで股(「又」)に力(「力」)を込める(『努』)
それくらい「力」を入れろ(『力』)
それが・・・『努力』
もちろん、これは・・・俺の勝手な解釈やから、正しいもんではないねんけど・・・
俺は、『努力』っちゅうもんは、それくらいの覚悟でせなアカンもんやと考えてんねん
せやから、『辛抱』と『努力』を怠るな!
不平不満を云わぬこと
不平不満を言い出したら、きりがあれへん
そんなもん、グータラグータラ吐き出す暇があったら、物事をポジティブに捉えて、前に前に突き進んだ方が絶対にええと思う
例えば・・・
「俺は、体が小さいから・・・」
「私は、力が弱いから・・・」
「あいつは、お父さんが柔道をしてたから・・・」
「あの先生は、教え方が下手やから・・・」
「あの教科さえなかったら・・・」
そんな、しょうもないことを、吐き出しても・・・世の中、思うようになれへんねんから・・・
不平不満を云わんと、一生懸命頑張れ!
与えられた環境の中で最大限の努力をすること
週に2回の練習時間を言い訳にしたらアカン
隣の畑は良く見えるけど・・・その畑に移ったら、何事もうまくいくっちゅうもんやあれへんで
「今」、与えられた環境の中で、最大限の努力をせえへん奴は、どこに行ってもいっしょ!
もっと言うたら・・・「今」、やれへん者が、「明日からやります! 1か月後からやります!」って言うたかって、できるはずがない
「今」やる奴は、環境なんか、言い訳にはせえへんねん!
勘違いしてほしくないねんけど・・・
俺は時々・・・
「彼らの「その時」は「今」じゃないんやろう?」
「「今」は、そこまで躍起にならんでもええねん!」
・・・って書くけど・・・・・
その「今」っちゅうのは・・・「徹底的に、結果を求めるのは「今」じゃないよ!」って言うてるだけであって・・・
「与えられた環境の中で、「今」、一生懸命頑張る」ことは、彼らの将来の糧になるべく、絶対に怠ってはいかんことやとは思ってるで!?
ナンボ頑張っても、成長途中である彼らにとっては、心身の成長度合い(それも、本人に与えられた環境)によっても、ものごっつい「結果」が左右される時期であるやろう
せやから、「高校生、大学生になった時、また社会に出た時・・・そうやって、周りとの心身の成長が一律にそろった時に、死に物狂いで努力して、『結果』をもとめてこそ、価値のあるもんなんとちゃうんかな?」ってこと
だから俺は・・・無理強いはせえへんし、躍起になることもせえへん
「今」は・・・自分が選んだ道、自分が選択した場所・・・そう、「与えられた環境の中で、最大限の努力をする」
それさえ覚えとったら、どんな環境でも、最大限の努力ができる人になるはずやよ
せやから、「今」は・・・ただ、それだけを怠らへんかったら、それでええねん
弱い者いじめをしないこと
当然やわな!?
自分より弱い者をいじめるなんてことは、以ての外や!
おまけに、もっと質が悪いのが、徒党を組むことや
突っ張るんやったら、独りで突っ張れ!
自分が弱くて、信念がない奴ほど、徒党を組む傾向があるよなぁ~
人間も動物やから、本能で「群れを成す」ことは、否めへんけど・・・
せやけど、人間やからこそ・・・何事も、徒党を組んでしか行動できへん者には、人は集まってけえへんと思うよ
ほんで、人や場所を見て行動するな!
相手が誰であろうと・・・どんな場所であろうと・・・同じ行動を取らなアカンねん!
いずれにしても・・・
単独やろうが・・・徒党を組もうが・・・
自分より、弱い(体力、立場等)者を、いじめるなんて、以ての外や!っちゅうことや
嫌なことがあった時、『北岡道場』を頼ること
特に、学校生活に於いての「いじめ」「仲間外れ」など・・・形はどうあれ、存在するのは事実やな
せやから・・・道場の仲間、道場の先生を頼りにして・・・何かあった時は、必ず相談すること
独りで悩んで、良からぬことを考えるな!
要するに・・・「自ら、命を絶つな!」ってこと
殴られた痛みは、腫れが引いてきたら、ある程度は少なくなってくる
せやけど・・・
心に傷を負った痛みは・・・ある意味、体に大怪我を負わされることよりも辛い時がある
心の傷は・・・負った者にしか分かれへん
一生、消えへん傷さえある
でも・・・「家族」や「仲間」がおったら、その傷は、限りなく癒されるねんで
せやから・・・『北岡道場』を、必ず頼ってほしい
ほんで、また・・・卒業してからも、立ち止まることを余儀なくされた時・・・「ここ(北岡道場)」に帰ってくることで、何かに気づき、何かを思い出し、前に進む材料になれるような・・・そんな大切な場所であってほしいと願うよ
『北岡道場』では・・・練習を始める前の整列の時、以上の道場訓を全員で斉唱してる
子供たち(特に、ちっちゃい子)にとったら、いったい何を唱えさせられてるんか?さえ分かれへんかも知れへん(^_^;)
せやけど・・・全員で斉唱する
ほんで、時々、今書いた内容を説明するねん
それでも、きっと分かれへんことやと思う
せやけど、俺は説明する
彼らが、本当に困った時、これらのことを少しだけでもええから、思い出してくれたら・・・
彼らが、やがて大人になった時、これらのことの意味を、自ら考え始めてくれたら・・・
そう思って・・・彼らを、未来で待つつもりで・・・斉唱するようにしてるし、時々説明もしてる
親になって、我が子を教育、子育てし始めて・・・21年!
道場設立し、教育者になって・・・10年!
今、道場に在籍してくださってるご父兄の皆さんよりは、「子育て」「子供の教育」という観点では、ちょっとだけ経験値が多いんやろな?って、自負がある
せやから・・・一歩引いた位置から、客観的に見えるものも、皆さんよりは多いと思う
子供に対する「教育」「子育て」っちゅうのは・・・
足元ばっかり見とったら、迫りくる崖が見えへん場合がある
せやけど・・・
背伸びして、遠くばっかり見とったら、足元の小石につまづく
分かってはおるねんけど・・・親や指導者は、そこを見失ってしまうことが多々ある
しょうもない例え話やけど・・・
スーパー銭湯で、「ええ湯加減」の風呂に、長いこと浸かってたら・・・いろんな人や人間模様、いろんな物事、ほんで良くも悪くも経験が、入れ代わり立ち代わり見えてくるもんやねん(^^)
熱過ぎるサウナには、長いことは入ってられへんし・・・冷た過ぎる水風呂にも、長いことは浸かってられへん
俺は・・・だいぶ長い間、「ええ湯加減」の風呂に浸からせてもらってるから・・・サウナから、大汗流して出てくる人・・・水風呂で体を冷やす人・・・滑って転ぶ人・・・いろいろと、この目で見てこさせてもうた
せやけど・・・すべての人が、最後は風呂から上がっていく
そう・・・子供が成長するにしたがって、皆が最後は「子育て」を終えていくねんな
ほんで、また・・・子供も然り・・・
そのプロセスで・・・
親に、嫌々サウナに連れていかれてた子は、「サウナは熱くて嫌な場所」ってしか認識できてへん子もおる
また・・・
親のそばで、「ええ湯加減」の風呂に、ずっと大人しく浸かってる子も、これまた問題やわな?
それでも・・・全ての子供たちは、やがて成人して、社会に出ていくねんよな
大人は、スーパー銭湯って、こんな場所やって理解できてるけど・・・
子供にとったら・・・スーパー銭湯は、アミューズメントパークと変わらんやん?
せやから・・・大きな風呂で泳いでみたり・・・水風呂で水を掛け合ったり・・・露天風呂で遊んでみたり・・・
でも、それこそが・・・子供にとっての、掛け替えのない「経験」になるんやないんかなぁ~?って、俺は思うねん
サウナのドアを開けたり閉めたりしてたら、オッサンに怒られる
水風呂の水をジャブジャブやって、オッサンに掛かったら、「冷たいやないかっ!」って怒られる
湯船にタオルを入れてたり、潜ったり、泳いだりしてたら、オッサンに怒られる
たかだか、銭湯でも・・・オッサンに怒られて、ルールを学ぶことが、ぎょうさんある
大人になったら・・・
汗を流したくて、サウナに入ることもあるやろうし・・・
水風呂で、頭と体を冷やさなアカンこともあるやろうし・・・
電気風呂で、腰に電気を流さなアカンこともあるやろうし・・・
ほんで、また・・・露天風呂で、星を見ながら「ゆとり」を感じることが必要な時もあるやろう
そない考えたら・・・やっぱり、大人になった時、スーパー銭湯の楽しみ方を、ぎょうさん知ってる人に育ってほしいやん!?
「ええ湯加減」の風呂に、長い間浸からせてもらってたら・・・いろんなことが、いろんな視点で見えてくるもんやねん(^^)
せやけど・・・俺は、まだ、「ええ湯加減」の風呂に浸かって、いろんな人や物を見てる段階やけど・・・
俺の親父(道場設立30数年の道場長)は・・・もう既に、風呂から上がって、扇風機の前に立って、コーヒー牛乳飲みながら・・・
俺も含めて、風呂の中で右往左往してる人や物を、きっとガラス越しに眺めてるんやろなぁ~(^_^;)
熱過ぎてもアカンし・・・冷た過ぎてもアカンねん
「ええ湯加減」が、一番長い間、浸かってられるねん(^^)
人生も同じ・・・
どんな場面であれ・・・最後まで残って、笑ってられるのがええんとちゃうんかな?
子供の頃の自分・・・今現在の自分・・・いろんなことを重ね合わせて・・・
そういう観点で、「子育て」「教育」に携わってみたら・・・
結構・・・親や指導者の方が、子供たちよりも、もっともっと学ばなアカンことが多いような気がするのは・・・俺だけなんかな???
親も指導者も・・・一生、彼らの面倒を見ていく訳にはいかへんねんから・・・
俺は、次の『師匠』にバトンタッチするまでの間・・・「今」伝えてやらなアカンことを、見失わんようにせんとアカンと思うねんよなぁ~
親は、もちろんやけど・・・子供の頃に、深い接点を持った教育者も・・・子供の心に、多大なる影響力を及ぼすはずや
子供は、いずれ・・・
親の言う通りに、行動せえへんようになる
親のした通りにしか、行動せえへんようになるねん
「その親にして、その子あり」よ
責任重大やで・・・ホンマ(^_^;)
元気出していこう!
READY! GO!!